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[暴政]「ナルシシズム政治=小泉・安倍ヤラセ劇場」の重いツケ回しに喘ぐ日本国民
【画像の解説】
<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061215
ゴヤ『理性の眠りは怪物を生む』 Francisco Jose de Goya y Lucientes(1746-1828)「The Sleep of Reason Produces Monsters From the series Los Caprichos , plate 43 Etching and aquatint 21.6 x 15.2 cm
・・・そもそも野心家であったゴヤは、スペイン・マドリードの宮廷タピスリー画家から出発して、1799年にはカルロス4世(ブルボン朝)の主席宮廷画家となります。フランス革命後の影響(度重なるフランス軍の侵入など)を受けて、大激動期のスペインに生きたゴヤはロココ的な魅惑と官能の世界から、戦争と悲惨、狂信と妄想などグロテスクな世界まで、あらゆる美を描き尽くしています。特に、病を得て聴力を失ってから暗い内面世界へ没入しますが、そこで首尾一貫して見られるのは、ゴヤの恐るべき程まで透徹したリアリズムの眼です。
・・・この作品は『版画集、気まぐれ』(1797〜1798)の中の1点です。この版画集のテーマは「人間の愚劣さ、無知、嘘、偏見などに対する批判」と「理性の眠りが生む幻想的な世界」です。この作品のテーマが後者であることは言うまでもありません。
・・・・・以下、本論・・・・・
安倍政権は、12月13日のTM(タウンミーティング)調査委員会(委員長=林芳正・内閣府副大臣)の“ヤラセTM問題”(ヤラセ質問、放埓・放漫&ズサン会計処理)に関する報告を受けて、安倍首相自身を含めた関係責任者の給与返納を発表し、これでケジメが付いたとして、さっそく“ヤラセ問題”の幕引きに取りかかっています。ここには、どうやら“「大きなカネ」の問題は「小さな見せガネ」で片が付く”と単純に考えている節が窺えます。しかしながら、漸く一般国民も「小泉・安倍ヤラセ劇場」の余りのツケの重さに気が付き始めたようです。この『ツケの重さ』の全てが、次年度以降の税負担増(下記、注)として「小泉・安倍ヤラセ劇場」の主(あるじ)たちを騙されて熱狂的に支持してきた多くの善良な国民たちの肩にズッシリ圧し掛かって来る段取りです。
(注)12月14日、連立与党は「2007年度税制改正大綱」を決定したが、企業に傾斜した約4500億円減税(減価償却制度の見直しなど)の一方で、肝心の消費税の議論は来年の参院選後に先送りするという、相変わらず“選挙目当ての”愚民政策である。定率減税廃止で個人は負担増となる一方で、次年度以降には法人税の引き下げ論議が具体化する(参照:2006.12.15付・日本経済新聞)。
しかも「小泉・安倍ヤラセ劇場」には、その継続的な大増税政策に「論理的お墨付き」を与える役割の本間正明・政府税調会長(阪大教授)が“財務省が黙認する中で愛人と豪華官舎暮らしをしてるらしい”という下卑たスキャンダルのオマケまで付いて来る始末です。従って、この“ヤラセ問題”の大急ぎの幕引きによる「論点ボカシ・関心逸らし」と「見え見えの責任回避の意図」が、今後、安倍政権の首を更に一層強く絞めることになる“と思われます。不気味なことに、12月14日17時・配信の時事通信による「内閣支持率調査=41.9%に急落」の報道(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061214-00000112-jij-pol)が、このことを強く予感させます。
ことさら深く考えるまでもなく、一連の教育・司法改革等に関する“ヤラセTM問題”は、過去5年間の「小泉劇場」が“詐欺師・ペテン師的な改革手法”の歴然たる証拠であるだけでなく、その取り繕った表面(オモテヅラ)とは異なり、過去5年間の「小泉劇場」の出演者たちの金遣いは底なしに放埓でズサンの限りを尽くしてきたようです(参照、[2005-09-12付、toxandoriaの日記/小泉劇場『幻想のバブル』を選んだ選挙民]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050912)。安倍政権が今回の“ヤラセ問題”の幕引きを不自然なほど“急ぎ過ぎる”ことの裏には、このような「小泉劇場」の“詐欺師・ペテン師的な政治手法”を糾弾する国民の声が大きくなることへの恐怖心があると思われます。
しかも、12月14日には恰もこの問題を更に強引に覆い隠す意志があるかのように、野党の強い抗議を押し切る形で、あの「教育基本法改正案」が参院・特別委員会で強行採決されました。「小泉・安倍ヤラセ劇場」の主(あるじ)たちは、上から押し付ける鋳型のような「愛国心」(これが徴兵制への道を拓くのは明らか!)が余程“お好き”なようです。もはや、こんな有様では一般国民の周知を集めた「イジメ問題解決」への本格的な取り組みも望み薄となったようです。なぜなら、国会(衆院)で絶対多数を占める連立与党の“得意ワザ”こそが学校・職場などイジメの現場で良く使われる「シカト」(多数派の力で少数派を徹底的に無視するイジメの遣り方)だからです。彼らが“イジメは悪いことだ!”、“学校では愛国心を教えるべきだ!”いうのは“加害者であるドロボーが被害者を説教する”ような構図です。
ところで、少々古い記事ですが[2005-09-18、toxandoriaの日記、『踊るポンポコリン化した小泉劇場』の深淵を探る]で、次のような内容を書いたことがあります。
・・・・・部分再掲の始まり・・・・・
(小泉・踊るポンポコリン劇場がもたらす虚像への恐怖)
「郵政焦点・解散総選挙」の結果、善良な国民の圧倒的な支持(?)を受けて“踊るポンポコリン(大政翼賛/Dancing Pompokolin)化”した日本は、まるで“ハーメルンの笛吹き男のピーヒャラ、ピーヒャラに誘われた130人の子供たち”と同じ運命(http://www.hat.hi-ho.ne.jp/hori-t/ajisai/index16.html)を辿るかのような“得たいが知れぬ不安な空気”に包まれ始めています(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050912)。
このように国民が不安や恐れを感じ始めた背景には五つのポイントがあります。その一つは『小泉首相には初めから日本国憲法を無視する意志があったと思われること』、二つは『選挙制度の欠陥(死に票が多いことによる)が隠されていたこと』、三つは『部外者から見ると、小泉首相とその熱烈な支持者たちの間には一種独特の異常熱愛シンドロームのような雰囲気が漂っていること』、四つは『小泉劇場について濫喩的分析を試みると、その深奥から激情的なViolenceの嗜好が表出してくること』、五つは『小泉劇場とマスメディアが共犯的堕落という一点で深く共鳴し合っていること』(特に民放テレビの堕落ぶりは酷い!)です。
今になって見ると、「小泉劇場」が吹きまくった幻想(ホラ話)で踊らされた日本国民の運命が、「ハーメルンの笛吹き男」にゾロゾロついて行き姿を消した多くの哀れな子供たちの姿に重なってきます。我われは、あまりにも危険な方向へ一歩踏み出してしまいました。ヒョットすると『小泉劇場』の公演は、この『小泉劇場』が善良な多くの国民に幻想を噛ましてつくりあげた『衆議院議席2/3以上』という大政翼賛政治(独裁政治化)の重すぎる遺産は現実のハードルとなって国民の肩に伸し掛かってきます。また、あまりにも多くのホラで構築された『幻想の王国・小泉劇場』が国民の心に残すトラウマの後遺症と、この5年間で更に巨額化した財政赤字が日本国民へ重い手かせ足かせとなって迫って来るはずです。小泉氏が推薦した“セレブで華麗なマドンナ”たちに投じた清き1票が日本国民の“酔生夢死”に繋がらないことを祈るばかりです。
・・・・・途中省略・・・・・
S. フロイト(Sigmund Freud/1856-1939)の用語に「自我衝動」(自我本能)と「自我欲動」(性本能)がありますが、彼は生物学用語の「個体保存本能」と「種族保存本能」を援用して、前者を「自我衝動」に、後者を「自我欲動」に対応させています。そして、この両者の内面での葛藤が神経症をもたらす病因を生むと考えました。フロイトによれば、「自我欲動」(性本能)は快楽原則に従ってひたすら快感を求めるあまり、「現実」を無視して個体の安全を脅かすことになります。つまり、「自我欲動」(性本能)はエントロピーが増大する方向(死へ向かうベクトル)へ向かうことになります。一方、「自我衝動」(自我本能)は現実原則(摂食・排泄・知覚などを統制する本能的な作用)によって「自我欲動」(性本能)を抑圧するという訳です。
また、フッサール(Edmund Husserl/1859-1938)の現象学に「間主観性」(自我共同体)という用語があります。人間は、自分が存在する意味を先ず自分自身の精神環境から自覚するようになるのだから、自己の存在自体こそが人間精神の初期発達段階における根源的な志向対象であるということになります。人間の2〜3歳頃の発達段階が、まさにこの段階であり、それは「鏡像段階」と呼ばれます。それは、丁度、鏡に映る自分の姿に強烈な関心が向けられる発達段階です。この最初の他者である自分の像に魅せられるあまり、精神環境がこの段階に固着してしまう場合があり、それがナルシスト的な性格(この傾向が過剰になると極端なまでの自己中心性と非情な冷酷さが出現する)となる訳です。いずれにしても、人間は幾分なりとも自分だけのナルシスティックな世界の住人であることは理解できるはずです。しかし、一方で我われにとっては万人に共通する自然世界や文化・経済・社会的な客観世界が存在することも自明であり、このような客観的世界(公的な世界)の共有意識こそが近・現代的な意味で我われの日常性(日常の生活)を支える「間主観性」です。
・・・・以下省略、部分再掲は終わり・・・
ここで書いたように、善良な日本国民の圧倒的な支持による「郵政焦点・解散総選挙」は、「衆院議席数2/3以上」という、いわば「打ち出の小槌」を連立与党に与えてしまった訳ですが、その直後から日本全体は“得たいが知れぬ不安な空気”に包まれ始め、我われは、その状態を引きずりながら今の「美しいアナクロのワナに嵌った安倍政権?、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061208」の状態に至っている訳です。
先ず、この時、日本国民が不安を感じ始めた原因と考えられる五つの論点の中で次の三つに我われは注目すべきです。
(1)小泉首相には初めから日本国憲法を無視する意志があった
(2)小泉首相とその熱烈な支持者たちの間には一種独特の異常熱愛シンドロームのような、まるで馴れ合うかのような不可解な雰囲気が漂っていた
(3)小泉劇場について濫喩的分析を試みると、その奥底から激情的なViolenceの嗜好が表出してくる
そして、同じくこの時に取り上げた次の二点に注目すると、すぐに気づくのは(1)-(b)、(3)-(a)の結びつきの強さです。
(a)S. フロイトの自我欲動(性本能)
(b)フッサール現象学の間主観性
(3)-(a)については特に説明を要しませんが、(1)-(b)については少し詳しい説明が必要だと思われます。“人間は自分が存在する意味を、先ず、自分自身の意識のあり方(精神環境)の中から自覚するようになるものであるから、自己の存在それ自体こそが人間精神の初期発達段階における最初の観察の対象である”という見方がポイントとなります。一般に、人間の2〜3歳頃の発達レベルが、まさにこの原初的な段階にあたることになり、それをフッサールは「鏡像段階」と名付けました。ところが、何らかの原因でそれが、その後の成長段階で自然消滅せずに成人の精神の中に強く残ってしまう場合があり、そのような場合に「ナルシスト的性格」(この傾向が過剰になると極端なまでの自己中心性と非情な冷酷さが出る)が出現することになります。そして、このナルシスト的性格は<幼児性>を強く残していることが特徴です。また、この「ナルシスト的性格」の具体的な側面を列記すると次のようになります(参照、http://www.oct.zaq.ne.jp/shionomiya/kokoro/peasonal/narcissist.html)。
●自分の重要性は大変大きなものであると考えている=自己中心性
●限りない成功、権力や才能といったものの空想にとらわれている=自己中心性
●自分が特別な人間であるため、地位の高い人にしか自分は理解されないと思っている=自己中心性
●過剰な賞賛を求める =自己中心性
●自分だけに特別な計らい、特権があると思っている =自己中心性
●自分自身の目的の達成の為なら、他人を利用する=非情な冷酷さ
●他人に対する共感の欠如 =非情な冷酷さ
●他人に嫉妬する=非情な冷酷さ
●尊大で傲慢な態度や行動をとる=非情な冷酷さ
一方、この<幼児性>というものの大きな特徴は、今、自分ドップリ漬かっている世界の外には絶えず“より広い世界”が存在するという謙虚な認識(意識)が持てない点にあります。従って、そのような人間は他人の立場に立ってモノゴトを考えることができず、絶えず自己中心的でワンサイドな物言いに終始することになる訳です。<幼児性>を帯びた人間のもう一つの大きな特徴は、彼の精神環境がある幼少期の精神段階で止まっていることからすれば当然だと言えますが、そのような人間は普通の経験的(ここでは学習効果も一種の経験と見做す)な意味から生まれる「歴史観」(=歴史認識)が持てないということです。
従って、その背後における暗黒のカルト右派からの圧力の有無はともかくとしても、一種の<幼児性>を帯びた人間である小泉・元首相が普通の意味での「歴史観」(=歴史認識)が持てないのは当然であると言えます。この<幼児性>こそが、ナルシスト的性格の小泉・元首相の「靖国神社参拝への拘り」と「日本国憲法を無視しようとする強い意志」の湧出源だったのです。もっとも、かつて小泉・元首相(ポチ?)のご主人様であったアメリカのブッシュ大統領は「テロとの戦い」を宣言したばかりの頃に、この「テロとの戦い」は“現代版・十字軍の戦いだ!、聖戦だ!”と言って世界中のイスラム教徒から批判を浴びたことがありますが、この出来事はブッシュ大統領も歴史認識が浅薄であったことを窺わせます(参照、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/2006120)。
(注)なお、日本国民一般の民主主義意識に関する「未熟な幼児性」についても見据えるべきだが、このことについては、下記(◆)の記事を参照乞う。
◆2005-05-11、toxandoriaの日記「幻想民主主義の国」日本(2)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/
ところで、残る疑問は、5年間に及んだ「小泉劇場」のフィーバー・騒動・狂乱の中で「(2)小泉・元首相とその熱烈な支持者たちの間に、一種独特の異常熱愛シンドロームのような、まるで彼らが馴れ合っているかのような不可解な雰囲気が漂っていた」という珍現象がなぜ発生したかという点になります。どうやら、この疑問への答えは、現在、安倍政権下で表面化した“ヤラセTMによる世論誘導”の問題の中にあるようです。渦中の“ヤラセTMによる世論誘導”では広告会社・電通が大きな役割を演じています。というよりも、内閣府は電通へTMの業務を丸投げしていたというべきかも知れません。そして、このことはアノ「小泉劇場におけるB層攻略作戦」を思い出させます(参照:「小泉支持者はIQが低い」という国会資料/http://deztec.jp/design/05/09/04_research.html)。
そこでも、会社名こそ違いますが、やはり広告会社への丸投げ方式で「B層をターゲットとする攻略作戦」が練られていたことは周知のとおりです。また、鳴り物入りで派手に宣伝された「小泉メルマガ=購読者数250万件」の数字も怪しいものです。今になって思えば、ここでも、ダミー、サクラ、ヤラセ、架空計上などによる数字のゲタ履きはお手の物であったと考えられます。更に言えば、女性層を主体としたコイズミ人気、つまり“キャー、ステキ〜、コイズミサ〜ン!握手シテ〜!”の黄色い声でもサクラ、ヤラセの臭いが限りなく漂っています。ともかくも、渦中の“ヤラセTM問題”の中に「コイズミ・フィーバー」の秘密が潜んでいるようです。結局、5年間にも及んだ「小泉劇場」とは、数百億円の経費(税金)を湯水の如く使った“壮大なヤラセ劇場”であったようです。
かくして、「小泉劇場」から“ダミー、ヤラセ、サクラ”などの詐欺師・ペテン師的な手練手管を引き継いだ「ヤラセ&ナルシスト安倍内閣」(現代日本の政権中枢に居座る小泉・安倍・麻生・中川(昭一)ら二・三世の国会議員たちが、彼らに共通する性質、つまり歴史を無視して“追憶のカルト”を崇拝するという意味で、同じナルシシズム的性質をもつ政治家たちであることは下記★で論述したとおり)が最重要課題に位置づけてきた「改正教育基本法」は、2006年12月15日午後の参院本会議で自民・公明両党などの賛成多数で可決・成立しました。彼ら二・三世ナルシスト政治家たちの余りにも重すぎるツケ回しで、遂に、我われ一般の日本国民が本格的に苦しむ時代がやってきたことを覚悟しなければならないようです。
★2006-10-31、toxandoriaの日記/安倍政権内における“皇道派と統制派の暗闘”を許す「メディアと民度」の劣化、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031
(参考URL)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/
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