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安倍は昨日、答弁で、「憲法改正と教育基本法改正は自民党結党以来の悲願です」などと言っていた。
自民党の新憲法草案も、今日成立してしまった「狂」育基本法も、政府批判を抹殺する効果を持つものである。
つまり、国民の声を抹殺し、一億総「羊」化をはかること、そしてそれによって自分達の地位・利権を磐石なものにすること。これが自民党の結党以来の悲願なのだ。
また、共謀罪という平成の治安維持法の成立にも自民党はここ数年ずっと執念を燃やし続けている。
政府は「政府批判抹殺法案」の制定にやっきなのだ。
政府批判抹殺の動きを止める手段はただ一つ。
その動きに抗して、ちゃんと批判すべきものは批判することだ。
くれぐれも批判を「自主規制」してしまわないことだ。
反対/批判を行うにあたって、対案がなければダメなのではなどと思う必要はない。
悪魔的法案に「対案」路線など不要だ。
反対するだけでも十分だ。
悪魔と同じ土俵に立って物事を考えていたらこっちまで悪魔と同じ思考回路に陥ってしまう。
悪知恵の働くことの多い悪魔に餌を与えることになるだけだ。
「狂」育基本法が成立してしまったことにより、政府に対し批判する者への風当たりは徐々に強くなっていくだろう。
自分の意見をはっきり表明する教師や生徒に対する公権力による弾圧がこれまで以上に大手を振って横行するようになるだろう。
しかし、だからと言って批判をやめれば、政府はますます増長する。
そして国民は萎縮し、自らの生活を破壊する政府の行為に対しても従うしかなくなる。
デフレ・スパイラルならぬ言論萎縮スパイラルという悪循環に自ら陥るようなことをしてはならない。
それはまた格差社会での転落スパイラルにも通じるものであり、また、戦争にもNOを言えずに自他の命を奪う人間に堕落することをも意味するからだ。
政府批判の正当性を担保してくれる法律はいまや憲法だけと言っても過言ではない。
その憲法も、新憲法草案のようなものに変わったら、政府批判を非合法化するものに変わってしまう。
したがって、政府批判の権利を守ることにより日本社会、さらには世界をよりよいものにしていきたい愛「地球」人(なんか愛・地球博みたいでイマイチか?)は、
憲法改悪に道を開く国民投票法案及び新憲法草案に対し批判/反対し、
現行憲法の徹底遵守を政府に対し求め、
そして、直接に批判を封殺する法案である共謀罪(違憲の法案と言える)に徹底的に反対しよう。
教育現場その他で起きてくるであろう、また既に起きている言論弾圧事件に対しても、非難の声を上げていこう(そして、被・弾圧者を支援しよう)。
格差拡大や、殺人を合法化する軍事化の動きに対しても反対/批判していこう。
そして、できれば、格差拡大を伴わない経済・社会システムのあり方や、軍備のない世界にするための具体的方策も、模索・提案していこう。
当面の間は上記のようなことに関して各自が自分でできることをする。
そして、この動きを日本中(、世界中)に広げていき、まずは来年の参院選挙で自民・公明与党に対し、また、格差拡大や軍事化に賛成する一部の民主党議員に対しNOを突きつける。
その後、できれば衆院解散に持ち込み、衆議院でも自民・公明与党らに対しNOを突きつける。
政権交代させる。
政権交代をさせられれば、新「狂」育基本法も、新憲法草案も、憲法改悪推進派に有利な国民投票法案も、共謀罪も、廃止・廃案に追い込める。
格差を是正し、再び平和国家路線へと日本を向かわせることもできる。
「狂」育基本法成立に気を落とさず、元気に前向きにいきましょう!
あ、注意点、一つ。レッテル貼りに負けないことです。
政府は、マスゴミの手を借りて、あらゆるレッテルを貼ってくるでしょう。
「抵抗勢力」バッシングなどが記憶に新しいところです。
しかしあんなものは自己都合によるレッテル貼りでしかなかったということは、「抵抗勢力」批判を最初にぶち上げた張本人である小泉の復党賛成への転化を見れば明らか。
チンピラの脅しに負けてはダメです。
正義はこっちにあるのですから。そういうレッテルを貼られることが名誉だと思えるくらいになりましょう(笑)
(上のバナーはUnder the Sunのもの)
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<国民投票法案>改憲派に圧倒的に有利になる広報・投票方式 <国民投票法案>情報提供が中立ではない「国民軽視」の法案【情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10018736906.html
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10019150654.html
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■マルティン・ニーメラーの警句 ・・・マルティン・ニーメラー(1892―1984)の言葉として知られるものは、米国の記者ミルトン・マイヤーの著作『they thought they were free』(『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未来社)〉の中にあり、ある言語学者が次のように語っているのを引用したものです。 「『発端に抵抗せよ』と『終末を考慮せよ』というあの一対の有名な格言を私は何度も考えてきました。でも、発端に抵抗するためには、それが発端だとわかるためには、終末が見越せなければならないのです。…ニーメラー牧師は、(御自分についてはあまりにも謙虚に)何千何万という私たちのような人間を代弁して、こう語られました。 1933年、ヒトラーが首相になると、教会を第三帝国教会に一元化してナチズムに利用することや、ユダヤ人牧師などを排除する「アーリア条項」導入を企てます。 第一次大戦末期、Uボート艦長として従軍、その後ルター派の牧師になったニーメラーは、ヒトラーが教会を攻撃した段階で立ち上がり、牧師緊急同盟をつくり抵抗しますが、37年7月、逮捕され、ザクセンハウゼン(後にダッハウ)強制収容所に終戦まで収容されました。(彼の生涯は、D・シュミット著、雨宮栄一訳『マルティン・ニーメラー』(新教出版社)にくわしい) 45年秋、妻とともにダッハウを訪れた彼は、「ここで33年から45年までに238756名の人間が殺された」と書かれた掲示を見て、「自分はもう他人の罪について云々することはできないと感じた」といい、罪の自覚の上に、西ドイツの再軍備や核兵器に反対していきます。 46年1月、ゲッチンゲンでの説教では次のように語っています。 「私には罪がある。なぜなら私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、沈黙を守っていました。そうです。私は強制収容所においても罪を犯しました。なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、私は抗議の声をあげませんでした」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-27/20060427faq12_01_0.htmlより転載。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した
―しかし、それは遅すぎた、と」
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≪共謀罪とは≫
●「国際協調 政府の建前 ⇒本音は国民対象の治安立法」【2006/05/25 東京新聞特報記事】
●事例集(一般の人も対象になり得る「共謀罪」)
●共謀罪が適用され得る法律はこんなにたくさん→ http://kyobo.syuriken.jp/taisyo.htm
●臨時国会で再審議『共謀罪』の論点は【2006.10.06東京新聞特報記事】
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