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(回答先: 不人気安倍につきまとう 「小泉の亡霊」 [J-CASTニュース] 投稿者 white 日時 2006 年 12 月 12 日 21:04:48)
□「闘わない政治家」の「闘うべき」相手 [国会TV]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061212-01-0601.html
2006年12月12日
「闘わない政治家」の「闘うべき」相手
安倍内閣の支持率低下が続いている。
マスコミ各社の世論調査で就任当初60〜70%程度あった支持率が、1ヶ月後には50%台になり、最近では50%を割り込むようになった。
低下しているとは言っても40%台を維持していれば慌てる必要はないのだが、安倍総理に限っては、小泉後継として白羽の矢を立てられた最大の理由が国民的人気の一点だったから、本人だけでなく周囲も大いに気になっているところだろう。
問題は何故支持率が下がっているかである。その分析を間違えると取り返しのつかないことになる。今のところ支持率を下げさせたのは「郵政造反組の復党問題」だと言われているが、本当にそれだけなのだろうか。
国会TVでは番組に登場するゲストに支持率低下の原因を聞いてみた。
11月17日に出演した「インサイドライン」編集長の歳川隆雄氏は、
「対中韓外交を円滑に行うために採用した曖昧戦略が、プロ筋には評価されても、国民には理解されず、そのことで支持率が下がっている」と分析した。
中国、韓国と日本との外交関係は小泉前総理の靖国参拝問題によってかつてなく悪化し、首脳の相互訪問ができなくなるという異常事態を招いた。そのため後継者の安倍総理にとってこの問題の解決は急務であった。就任後速やかに中国を訪問することが第一の課題となり、事前の水面下の交渉の中から、靖国参拝については「行ったとも行かないとも言わない」という曖昧な態度を取り、相手の「面子」を潰さない形で関係修復を図ることになった。
こうした「知恵」は外交のプロはもとより政界、官界からも評価されたが、小泉時代の善悪二元論、喧嘩手法を見慣れてきた国民にとっては「物足りなさ」を感じてしまう。それが支持率を下げたという見方である。
12月1日に出演した元産経新聞論説副委員長の花岡信昭氏は、
「安倍総理は、曖昧戦略が功を奏して中国訪問を実現し、華々しく政権をスタートさせたが、その後周囲が失敗をしないように押さえているためか、存在感が見えなくなった。
これまで右派から総理になった中曽根康弘氏はウイングを左に広げて選挙に大勝した。そのことを意識しているのか安倍総理も左に寄ろうとして、村山談話や河野談話を認める発言をしている。これには右の勢力から不満の声が相次いでいる。私は来年の参議院選挙までは仮の姿で、参議院選挙で勝利し、長期政権の構えになれば本音が出てくる。それまでの辛抱だと言っているのだが、こんな筈ではなかったという声は強い」と述べた。
花岡氏は保守の論客であり、安倍総理のブレーンにも知己が多い。その保守勢力の中に不満がたまっているというのだ。
花岡氏は支持率低下の原因を、曖昧戦略よりもむしろ安倍総理周辺の「振り付け」の仕方にあると見ている。若い安倍総理に傷をつけないようにという過保護が存在感を薄めさせ、また選挙を意識するあまり本音を隠して左に寄ってみせる「振り付け」が、保守派の不満を増幅させているという見方だ。
総理の周囲というのが誰を指すのか花岡氏は明言しなかったが、中川秀直幹事長がその一人であることは間違いない。
復党問題の処理を安倍総理は中川幹事長に丸投げした。その結果、平沼赳夫氏には受け入れられない復党条件が設定され、中川昭一政調会長や青木幹雄参議院会長が猛反発、党内に亀裂が生まれた。
その間、中川幹事長は自らを安倍「義経」を守る「弁慶」にたとえて見せ、この問題で矢面に立つのは自分で、安倍総理に傷をつける訳にはいかないという格好をしてみせた。それがかえって安倍総理の存在感を希薄にし、「指導力」のなさを印象づけることになった。
復党問題について言えば、そもそも安倍総理は「刺客」選挙に反対だった。平沼氏以外にも古屋圭司氏や城内実氏など郵政造反組の中にこそ考えの近い「同志」がいる。安倍総理は当時自民党執行部の一員だったから口には出せないが、「郵政選挙」の大騒ぎを「茶番劇」だと冷ややかに見ていた筈だ。だから自分が総理になれば、かつての同志を復党させるのは当然で、総裁選挙の最中からそのことは断言していた。それなのに何故安倍総理はこの問題を自分で処理せず中川幹事長に丸投げしたのだろうか。「郵政選挙」に酔いしれた国民から批判されるのは覚悟の上なのだから、どうせなら自分の思い通りにすれば良かったものを、誰かに遠慮をしたとしか思えない。
12月8日に出演した毎日新聞編集委員の村田昭夫氏は、
「道路特定財源の一般財源化は道路族の勝利に終わり、小泉さんが言っていたレベルより後退した。揮発油税の一般財源化など出来るはずもないことを何故安倍総理は断言したのか全く理解できない。この内閣には総理を振り付けるキーマンがいない」と言った。
振り付けをするキーマンもいなければ、手足になる実働部隊もいない。村田氏には官邸機能が全くバラバラにしか見えないと言うのだ。
小泉時代は事の是非はともかく内政の課題が何かは見えていた。それを経済財政諮問会議という装置を使い、竹中平蔵氏が司令塔になり、党の族議員と闘う構図にして国民に見せつけた。
ところが安倍内閣になって経済財政諮問会議も「第二の竹中平蔵」も見えなくなった。当初は外交ばかりが喧伝されて内政課題はさっぱり見えなかったが、ここにきて見えてきたのは経済成長戦略である。財政を立て直すために歳出カットだけでなく、経済を成長させて借金を減らしていこうというもので、そのために出てきたのが企業優遇減税案である。まずは企業を強くして経済を上向かせる考えだ。しかし今でも大企業は好決算を続けており、利益は設備投資に向かっている。一方で国民生活は、消費は冷え込んだまま、戦後最長の好景気と言われても国民にはまるで実感がない。それで「さあ日本の景気を上向かせるためにみんなで頑張ろう」という気持ちになれるかどうか。村田氏は首をひねった。
私は安倍総理の国会答弁を聞きながら心に残る言葉がないのが気になっている。答弁はそつがなく、失言もない。優等生的な答弁である。しかし味も臭いもない「蒸留水」のような答弁で、言葉を発している安倍総理の「人間」が全く感じられない。
今国会の最重要法案である教育基本法改正案を巡っては、伊吹文部科学大臣が官僚の用意したペーパーを使用せず、連日長時間にわたり自分の言葉と見識で見事な答弁を展開している。野党議員からも賞賛の声が相次ぐほどで、政治家にとって言葉がいかに大事かということをつくづく感じさせられる。
無論、若い総理にベテラン政治家と同じ見識や経験に裏付けられた言葉を求めているわけではない。「ない」ものを「ある」とみせかけては嘘になる。
それよりも安倍総理は自分が「初の戦後生まれの総理」であることをもう一度思い出すべきではないか。これまでの総理の誰にもなかった「自分らしさ」を打ち出したらどうか。それが未熟であっても構わない。若いということは「再チャレンジ」が十分に可能な時間を持っているということだから、傷つくことや失敗を恐れる必要はない。あるがままの自分を披瀝して、山積する課題に悪戦苦闘しながら立ち向かう姿をさらけ出せばよいではないか。
かつて「小泉二代目政権」(1)〜(2)で私は、
<創業者が強烈な個性を持って周囲に敵を作りながら土台を作り、それを継承した二代目が土台の上に家を建てる。大変なのは二代目の方だ。失うもののない初代と違って無茶な事はできない。その上何かにつけて初代と比較される。安倍氏はこれから小泉総理と比較されることになる。その事を意識してか「美しい国へ」の中で安倍氏は「闘う政治家」であることを強調している。しかし政治の世界をシニカルに眺め、他の政治家と群れる事のなかった小泉総理と、祖父や父親の政治家像を崇拝し、優等生的に政治の世界を生きてきた安倍氏との間には大きな開きがある。(中略)小泉総理を意識して「闘う政治家」と自らを規定した事がもしかすると小泉二代目政権の落とし穴になるのかもしれない>と書いた。
その後、「闘う政治家」の「闘う相手」(1)〜(2)では、「闘う政治家」と言いながら北朝鮮の金正日総書記以外に安倍総理が闘おうとしている相手が見つからないと書いた。
政治は闘わずに事を成し遂げるのがベストである。「闘う相手」を無理に作る必要はない。「闘う相手」もいないのに「闘う政治家」を標榜する必要もない。いずれにしても安倍総理は小泉改革の継承者でありながら、小泉前総理が「ぶっ壊した」自民党の修復を図らなければならないという相反する役目を負っている。そこが二代目政権のつらいところだ。両方の顔を立てようとすると今回の復党問題や道路財源問題のように迷走することになる。
実は権力者なら誰でもやらなければならない「闘い」がある。それは前任者との闘いである。前任者は自分の偉業が後任に消されてしまわないように、十重二十重の仕組みを作って後任を制約しようとする。それを如何に潜り抜けるかが権力者が権力者になるための通過儀礼と言ってもいい重要な仕事である。前任者には忠実な顔をしながら密かに一つずつ前任者の権力の素を削いでいく。そうしなければ本当の権力者にはなれない。
「小泉純一郎と中曽根康弘」(1)〜(4)で書いたように、中曽根康弘氏は自分を総理に押し上げた田中角栄氏の言うことを忠実に実行しながら、その裏で金丸、竹下両氏と組んで田中失脚を狙った。竹下氏は総理になった直後から盟友である金丸氏を政界引退させようと画策した。そして小泉前総理は総裁選最大の功労者である田中眞紀子氏を更迭した。あの更迭劇がなければその後の小泉政権はなかった。
安倍総理も小泉改革の後継者の顔をしながら、しかし「小泉劇場」を国民の脳裏から消し去る工作を進めなければならない。それをやらないといつまでも「顔が見えない」といわれ続けることになる。
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