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(回答先: 農水省 日本食認定制度へ 厚生労働省 セックス認定制度へ 投稿者 abc 日時 2006 年 12 月 11 日 17:06:01)
ここには日本や中国の官僚、役人、政治家が学ぶべきものがある。政治とは何か、政治の原点を見るようである。ここにあるのは社会主義とか、市場経済とか言う抽象的な概念ではない。
都市のマオリ 加藤秀俊 19821020 季刊民族学
http://www.asyura2.com/0610/asia6/msg/714.html
投稿者 Kotetu 日時 2006 年 12 月 10 日 22:05:21: yWKbgBUfNLcrcより抜粋転載
話が脇道にそれてしまったが、こんなわけで、第一次産業でどうにかやってゆこう、というのはむずかしい話だ。それでは、いったい、どうしたらよろしいのか。ひとことでいえば、都市に出ることだ。都市に出れば、工場もあるし、建設業や港湾作業などのしごともある。それに、とりわけ若いマオリにしてみれば、都市というのは刺激と歓楽にみちたあこがれの土地である。だから、かれらは、大きな期待と希望に胸をふくらませて都市にやってくる。
中略
つまり、ニュージーランドは古典的な意味での植民地、すなわち原料輸出国なのであって、加工業はあんまり発展していないようなのだ。
それにくわえて、いまは、世界的に経済が沈滞期にある。若いマオリが、オークランドやウェリントンで職さがしをしても、いいしごとをみつけることはほとんど絶望的だ。もしもかれらが大学、あるいはそれ以上の高等教育をうけているのであれば、ホワイト・カラーの職業につくことも不可能ではない。専門的技術者なら売手市場だ。だが、一般的にいって、マオリは低所得層にぞくしている。若ものたちは高等教育をうけるチャンスにめぐまれていないのだ。だから、あこがれの都市に出てきても、ありつことのできるのは中途半端で不安定な職業であり、それもながくはつづかない。結局のところ、何万ものマオリの若ものたちは大都市で慢性的な失業者群を形成する。
それだけではない。都市にはさまざまな誘惑がある。村にいたときには、部族的結合のなかに組みこまれていたが、都市での生活は自由だ。そこで、職業にあぶれた若ものたちは非行グループにひきずりこまれる。かっぱらい、置き引き、万引、そして、ときには強盗 ―― 血なまぐさい暴力沙汰も、たまに発生する。オートバイを乗りまわし、落書をする。そうした青少年非行は、いうまでもなく、現代の世界ではどこの都市でも見受けられる風景だけれども、これまで、しっかりとした団結と部族的な誇りをもって生きてきたマオリにとって、これは憂慮すべき重大な問題である。こんなことが、ながいあいだつづいたら、マオリ文化の将来はあぶない。
この問題にさいしょに気がついたのは、マオリの各居住区でマオリの生活にあれこれと心をくばってきた社会福祉官(ウェルフェア・オフィサー)である。かれらは、それぞれの地区の住民から選出され、「マオリ省」という中央の独立官庁に所属する。地域でなにか問題が起きればマオリ省に報告して指示を仰ぎ、また、マオリ省は行政上の決定をおこなうにあたって各地域の社会福祉官の意見を求める。かれらは、こんなふうに各地域に密着しているがゆえに、マオリ社会に起きつつあるさまざまな問題を肌で感じている。そして、ふりかえってみると、これまで、マオリ社会には、あまりたのしい話題はなかった。困った問題や悲しい話があまりにもおおかった。じっさい、「マオリ省」という官庁も、の実態からいうと、「マオリ“問題”省」とよばれるのがふさわしい。とにかく、マオリがなにか「問題」を起したときに「マオリ省」がその処理をする、という、いわば消極的な役割がこのお役所のイメージであった。どうにかして、マオリ「問題」を、よりあかるい未来展望をもったものとしてつくりかえ、積極的にとり組むことはできないものか ―― 社会福祉官たちはかんがえた。ニュージーランドを合計一二の地域にわけて、それぞれの地域のマオリ問題を一手にひきうける地域担当官もおなじ思いにとらわれていた。
これだけ問題が切実になってきた時期に、おどろくべき変化が起きた。一九七六年、マッキンタイヤー氏がマオリ省の大臣になり、プケタプ氏がその次官に任命されたのである。この大臣と次官は、従来まったく想像もつかなかったような方法で「マオリ問題」に取り組みはじめた。かれらは就任と同時に、一二人の地域担当官をウェリントンの本省にあつめ、なにがほんとうに問題であるのかを二四時間以内に、とりまとめて報告せよ、と指示した。こんな大臣や次官は、ながいマオリ省の歴史のなかでひとりもいなかった。担当官たちは当惑した。
当惑したけれども、いまこそ、日ごろかんがえている問題を大声で叫ぶことのできるチャンスである。だからかれらは、住宅問題、教育問題、といったふうに、いくつかの問題領域をしぼりこんで、徹夜の作業をおこなった。みんなひと晩の作業で疲労し切っていたが、とにかく、こんなに真剣に作業をしたことはなかった。指示どおりに、かれらはその報告書を提出した。疲れたろう、一日、ゆっくり休みたまえ、と次官はいった。
一日が終わった。翌朝、一二人はふたたび本省にあつまった。ところがおどろいたことにプケタプ次官は、前日受けとった書類を、全員の見守るなかでビリビリと引き裂いて紙くずカゴに放りこみ、これはまったく意味のない作文である、もういちどやりなおせ、なによりもマオリ族の一員としてものをかんがえよ、と指示して部屋を立ち去った。
「姿勢を正そう」運動
一二人の地域担当官は呆然とした。せっかく書きあげた報告書は紙くずになってしまった。どこが悪かったのだろう。しかし、そうやっておたがいに議論をしているうちに、いつのまにやら、かれらは英語でなくマオリ語で話しはじめていることに気がついた。担当官は、みなマオリである。だから、ほんとうはマオリ語で語りあうほうが自然であったはずだ。それなのに、マオリ省の公務員になって以来、もっぱら英語で生活するようになってしまっていた。この国の公用語が英語である以上、それはしかたのないことであったし、前日に提出した報告書も英語でタイプ打ちしたものであった。だが、よくかんがえてみると、それはマオリの問題をマオリの現実に即してとりまとめたものではなかった。気がつかないうちに、担当官たちは、パケハの思考方法を英語で身につけ、管理者の立場に立ってしまっていたのだ。そしてマオリ語で話しあっていると、英語では表現のできない、こまやかな感情がおたがいに通いはじめていたのである。
そういう議論が白熱しはじめると、担当官のひとりが感きわまった面持ちで立ちあがり、「ツ・タンガタ」と叫んだ。他の言語には翻訳しにくいが、日本語でいえば、「姿勢を正そう」 ―― つまり、みずからの民族文化に誇りをもち、みずからの能力を発揮しよう、といったような意味だ。もうひとりの人物がつづいて「ファカイティ」といった。全力をあげよう、という意味である。第三の担当官は「コタウ・ロウロウ」といった。「みんなのバスケットの食べものをだしあえば全員が満足できる」ということだ。要するに、管理者的発想からではなく、マオリの民衆生活そのものからものごとを根本的に再検討する作業がこのときからはじまったのである。大げさにいえば、これはマオリの歴史のなかでこれまで前例のない文化大革命の出発を意味した。
「ツ・タンガタ」は、基本的スローガンになった。官僚的作文を破り捨てたプケタプ次官は、この二回めの報告に満足し、すべての権限を担当官にゆだねた。そして、「ツ・タンガタ」的発想で見直してみるとこれまでのマオリ行政はまちがいだらけ。各担当官は、従来、快適な事務所で執務していたのだが、それではマオリの現実を把握することはできない、ということに気がついた。かれらは事務所でデスク・ワークをするのでなく、毎日、車で担当区域を走りまわり、直接に民衆の声をきく、という方法を採用するようになった。
なによりも、「ツ・タンガタ」というよびかけにこたえて、自発的に民衆のがわから生まれてきた小さなグループの提案をだいじにする習慣が、マオリ省のなかで支配的になってきた。極端な例がひとつある。ある日、数人のマオリの中年女性がマオリ省にやってきた。彼女たちは、これから減量をしようと思うのだが、それを手つだってもらえるか、というのである。かんがえてみれば、これはふしぎな提案である。肥満体の女性たちがやせたい、というのは当然の希望であろうが、それはあくまでも個人の問題であって、政府省庁の関知するところではないはずだ。しかし、マオリ省は、このグループを援助することにした。たしかに、減量というのは美容の問題でもあろうが、同時に健康の問題であり、それは、ひいては健康な家庭づくりの問題とも関係するだろう。その意味で、このグループの提案は、将来のマオリの生活改善へのひとつのアプローチでありうる。担当官は彼女たちに二〇〇ドルの予算をあたえた。ただしこの二〇〇ドルは、彼女たちが中心になってマオリ社会ぜんたいに減量運動を推進してゆくための、いわばシード・マネーである。これを有効に使って、マオリの女性たちが肥りすぎにならないようにみなで知恵をだしあうように ―― マオリ省は、そういって彼女たちをはげましたのであった。
ある若もののグループがやってきた。中古でいいからトラックを一台提供してくれ、というのである。かれらは、ウェリントンで職さがしをしたが、どうも思うようにならない。グループがトラックで移動すれば、たとえば草刈りとか、土木工事の手つだいとか、小さなしごとをつぎつぎにさがすことができるだろう、だから援助してくれ、というのがかれらの希望であった。マオリ省は、このグループにも予算をつけて、トラック一台を提供した。いわば、これは一種のあらたなるジプシーだけれども、この若ものたちにも、かならず自発性と知恵があるにちがいない。まじめにしごとをすすめれば、ジプシー生活でなく、どこかで定着して将来性のある職業につくことができるかもしれぬ。いや、このグループをモデルにして、若ものたちのあらたな生活スタイルがつくられてゆく可能性も高い。そういう理由から、マオリ省はこのグループを援助することにしたのだ。
こういう、いささか常識はずれの突飛なアイデアをもふくめて、合計五〇〇ほどの自発的な「ツ・タンガタ」グループの活動がニュージーランド全土にわたって展開した。前例のないことだけに、批判もすくなくなかった。たとえば、農村からオークランドに遊びにきて、帰りのガソリン代がなくなった、と担当官のところに泣きついてきた青年たちにガソリン代を支給したという例もある。世論はかなりきびしかった。いやしくも政府が遊興の手つだいをするのはけしからぬ、というわけだ。しかし、担当官はこう答えた。もしガソリン代を払えなければ、かれらはそのままオークランドに居つづけて、望ましからぬグループにはいってしまうかもしれぬ。安全にじぶんの村に戻るほうがかれらにとってもしあわせだし、国のためにもなる。いちどこういう経験をすれば、二度とおなじようなまちがいをおかすことはあるまい。
とにかく、「ツ・タンガタ」は、全面的にマオリの良識を信頼することからはじまっているのである。この五〇〇のグループのほかに、以前から細ぼそとつづいていた三〇〇のグループをあわせて、巨大な草の根のエネルギーが結集されはじめた。そして、この合計八〇〇のグループは地域ごとに結集して「地域社会協議会」をつくった。その作業チームは「コキリ」とよばれる。マオリ省は、全国一二の「コキリ」それぞれに三人の有給の職員を配置し、同時に三台の乗用車を配置した。三台の自動車があれば、最大一五人の人間が同時に移動できる。デスクの上では解決できないような問題も、こういう機動力をもったグループの行動によって解決できることがすくなくない。「ツ・タンガタ」は、きわめて行動的なのである。
じっさい、わたしは、あちこちの「コキリ」を訪問し、あれこれと質問をしたのだが、そのたびにマオリの友人たちは、ことばによってわたしの問いに答えるのではなく、わたしをうながして自動車に乗せ、現地につれていって、現実をもって答えさせる、という方法をとってくれた。わたしのような人間にとっては、こういう方法のほうがどれだけ明快で説得的であるかわからない。わたしは「ツ・タンガタ」運動に深く感動した。
しかし、これだけ機動力をもっているからといって、「コキリ」はただ移動しつづけているだけではない。かつてのマオリがそうであったように、いまでも、マオリには確実な根拠地がある。それは、全国各地に散在するマラエだ。マラエというのは、集会所であると同時に、祖霊の宿る神殿である。もろもろの儀式もマラエでおこなわれるし、それぞれの村の年長者たちは、ここでおしゃべりをしたり、黙想したりして時間をすごす。マラエに戻ったときにこそ、マオリの心には安息がおおずれるのだ。
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