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□日本政府も覚悟 「北難民20万人が日本へ」 韓国想定では中露韓へ30万人が流出 [読売ウィークリー]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061024-01-0202.html
2006年10月24日
日本政府も覚悟 「北難民20万人が日本へ」 韓国想定では中露韓へ30万人が流出
中露韓には30万人、日本にも20万人――。韓国と日本政府が極秘に北朝鮮からの難民についてそれぞれこんなシミュレーションを行っていた。
今回の“危機”に、本誌は日本政府と韓国政府の極秘シミュレーションの内容を把握。いずれも1990年代に行っていたものだ。日本政府は第一次核危機で揺れた94年6月、当時の内閣安全保障室が「大量避難民対策について(案)」を作成。一方、韓国政府は金泳三政権下の97年7月に北朝鮮急変対策「30日計画」をまとめていたのだ。やはり両政府の最大の懸念は、いずれも難民の大量発生だった。
日本政府の「対策」を議論するたたき台となった内部メモでは、当時、北朝鮮政府の崩壊や社会混乱の生じる原因として、「想定される事態」7パターンを次のように挙げていた。
(1)金日成の死亡による権力闘争・内乱(2)金正日グループと反金正日グループとの権力闘争・内乱(3)反金正日グループによるクーデター・内乱(4)南への軍事進攻による戦争の勃発(5)国際的な経済制裁による社会的混乱(6)経済破綻による社会的混乱(7)民主化・自由化に伴う社会的混乱
このうち「金日成の死亡」を「金正日の死亡」と読み替えれば、現在でもほとんどが当てはまる。そのうえで、
(1)北朝鮮政府の崩壊・内乱等による社会的混乱を逃れてくる避難民
(2)クーデターによる政権交代、または現政権の政策変更で国内の自由化・民主化が進み、従来の管理社会、鎖国状態が緩んだ結果、出国し到来してくる者
という2種類の難民があると想定している。これも現在でもそのまま当てはまる分類だ。
一方、韓国の雑誌「月刊朝鮮」2003年1月号が報じた韓国政府の「30日計画」によると、
「北朝鮮権力層内部において、宮廷クーデターなどの突発的な事態が発生して、金正日が追放され、クーデター主導勢力が政権を掌握する」
という状況のみをモデルケースとして設定。さらに、
「継続する経済難と政治的混乱による社会統制機能の喪失で、北朝鮮住民の脱出ラッシュが深刻化する」
という事態のなか、現在は1年に最大数千人規模の脱北者が1日数千人規模になった場合に「30日計画」を発動し、難民対策や将来の統一に向けた対応に乗り出すとしている。
では、最大の懸念である難民の数については、どうなのか。
まず韓国政府の最初の2か月間の想定は、こうだ。
「大部分は、北朝鮮との国境線地域から中国、ロシアなどに脱出し、一部は、海上や休戦ラインから韓国、日本および台湾などに脱出する」
人数は、中国・ロシアとの国境を越えて脱出するのが約20万人。韓国には、約9万5000人が休戦ライン(38度線)を越えて来るほか、海上から約4800人(小型船舶800隻×6人)が到来するとしている。
合計30万人とは膨大な数になるが、算出の根拠は東西ドイツ統一の際の数字だという。ドイツでは89年のベルリンの壁崩壊の前後2か月間で、東独住民約18万人が西独に脱出した。これを北朝鮮の人口比に直すと26万人になるのだ。
問題は、このうちどのぐらいが日本に来るかだ。
韓国政府は日本への難民数を試算していないが、日本政府は「少なくとも10万人」と想定していた。さらに、政府内部で「最大20万人を想定する必要がある」との指摘が出ていた。かつての帰還事業(59〜84年)で北朝鮮に渡った在日コリアンの帰国者や日本人配偶者ら(計約9万3000人)と、その二世、三世らを中心に日本へ来ると想定しているからだ。
これらの難民に対し、仮上陸を認めて収容施設に収容。入管当局が厳格な審査を行い、日本人妻らは帰国確認手続きをし、元在日帰国者は在留を考慮。その他の難民は朝鮮半島情勢が安定した後に帰国させる――というのが、日本政府の対処方針となっている。
もっとも、第一次核危機とは状況が異なり、現在、北で異変があっても、それほど多くの難民は日本に来ないと見る専門家もいる。だが、北をめぐる緊張状態や内部の混乱が続くなかで、元帰国者らの一部は中国経由で日本に戻り続けており、90年代後半以降、計100人を超えた。北の状況次第では、中国経由などで膨大な数の難民が到来する可能性は十分にある。
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