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□“カリスマ変人”の素顔 秘書官は見た [スポーツ報知]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2613939/detail?rd
“カリスマ変人”の素顔 秘書官は見た…NewsX
「沈黙の宰相」と化したかと思えば、選挙応援で突然「きみまろ節」を披露−。総理の座を去っても小泉純一郎前首相(64)のサプライズは世の中を引っかき回し続けている。そんななか、今月出版された「小泉純一郎です。」(時事画報社、1050円)は発売後1週間を待たずに2万部を突破。「小泉内閣のメルマガ」をまとめたもので、その「−メルマガ」を編集していたのが元秘書官・岡田秀一氏(54)=現・経済産業研究所上席研究員=だ。総理を最も近くから見続けてきた男が語る“カリスマ変人”の素顔とは?
「いまだに小泉総理の演説にも国民の心に深く残ったものがない」−。
02年8月の小泉内閣メールマガジンに、作家の曽野綾子さんが寄稿したものだ。小泉さんの演説を批判したものだけに周囲は掲載を躊躇(ちゅうちょ)。総理本人に“お伺い”を立てることになった。
「反対意見もどんどん載せろ」小泉さんはシンプルに一言言い放った。
岡田氏は当時の様子をこう語る。
「不思議なことに総理の批判記事を入れたメルマガの号は評価が高くなるんです。我々は不安だったんですが、総理自身は、まったく心配してなかった。勉強になりましたね」
01年4月の小泉内閣発足時に広報担当の秘書官に就任。それ以来、岡田氏は小泉前首相にぴったりと寄り添ってきた。記者会見やぶら下がり取材のすべてに同席。自民党の会合や会議などにも可能な限り同伴した。最も小泉さんの間近にいた人間といっていい。
“ワンフレーズ”の印象が強い小泉さんについて「役人の書いた紙を読まずに、自分の言葉でしゃべっていました」と振り返る岡田氏。会見では一応原稿を用意するものの、小泉さんは、ほとんど独自の感性で話していたという。
「(原稿が)少しでも採用されるとうれしかったですね。でも常に私どもが用意した原稿よりもはるかに素晴らしい話をしていた。難しい話ではなく普通の人の言葉。だから国民のみなさんに思いが通じたと思う」
今年9月まで岡田氏の在任期間は約5年5か月にも及んだ。小泉さんの秘書官らに対する接し方は終始変わらず「いつも平常心のまま」だったという。秘書官らは独身の小泉前首相と夕食をともにすることも多く、家族同然のような付き合いだったという。
離れる時に寂しさはなかったのか。しかし、その去り際も“小泉流”だった。
「私どものほうが『お疲れさまでした』『ありがとうございました』と言っても、総理は『うん』とか『おう』と言っただけでした。『ご苦労さんだったな』『世話になったな』とかを言うような人ではありませんから。そういうところは非常にさっぱりした方でした」
◆岡田 秀一(おかだ・ひでいち)1951年、東京・千代田区神田生まれ。54歳。76年東大法学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。機械情報産業局電子政策課長、中央省庁等改革推進本部事務局参事官などを歴任。01年小泉内閣発足と同時に、内閣総理大臣秘書官に就任、広報を担当した。現在は独立行政法人経済産業研究所上席研究員。
◆小泉内閣の秘書官 「懐刀」とされる飯島勲政務秘書官を中心に財務、外務など4省庁からのエース級職員が出向した事務秘書官が首相を支えた。財務省出身の丹呉泰健氏は郵政民営化の知恵袋となり、外務省の別所浩郎氏は日朝首脳会談などを仕切った。経産省の岡田氏は広報を担当、警察庁の小野次郎氏(05年から山崎裕人氏)はテロ警戒などの危機管理を担った。政権が5年5か月に及んだため本省に戻る際、空きポストがないことなどが懸念された。動向が注目される飯島氏だが、まだ表立った動きは見せておらず小泉さんを静かにサポートしている状態だ。
2006年10月23日08時15分
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