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2006年10月18日 (水)
植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(6)
背景にはアメリカの一貫した対日戦略がある
植草氏は最近の「ウエクサ・レポート(2006年を規定するファクター)」中
で、米国の対日金融戦略はきわめて長期の視野に立って行われており、
橋本龍太郎が金融ビッグバンの構想をぶち上げた時、私はこれが米国
の対日戦略であることを強く訴えたと書いている。また、植草氏は、金融
をめぐる意見対立について関岡英之氏の見方を引き合いに出してこうも
書いている。当時から今にかけて、日本では「国益擁護派」と「米国従属
派」に分かれた対立があり、(小泉政権にいたっては)真に国益を踏まえ
た「独立自尊」を軸に主張を展開する人々が、マスコミ支配の権力を行使
する「米国従属派」によって「抵抗勢力」として殲滅されかけていると。
(P459)
これを私流に延長して言えば、マスコミ権力を盾にする米国従属派の
総本山が、最も先鋭的な「抵抗勢力」つぶしとして実行したことが「国策
捜査」という国家犯罪なのである。植草氏は上記レポートを書いていた
時点では、まさか自分が再度国策捜査の毒牙にかかるとは思っていな
かったと思う。しかし、9月までの彼の言動が、強烈な政府批判と同時
に、りそなショックの巨大な暗部を糾弾し始めた矢先、彼は再び国策に
よる口封じ作戦に捕らえられてしまった。小泉内閣とは米国従属勢力が
最も先鋭化した内閣なのである。それを引き継いだ現内閣が、その国
策の手を緩めていないのなら、植草一秀氏のいまだに解けない長期拘留
の謎は理解できる。安倍政権も従米売国政権の可能性がきわめて強い
ということである。
ところで、前回では、小泉構造改革がフリードマンの徹底した考え方で
行われていることを書いた。しかし、大ナタをふるったと言われるその構
造改革は国民に是認される下地がすでにできていたのである。少々長
くなるが、りそなショックを解明するためには、その伏線的背景として橋
本時代の金融ビッグバン辺りからの日本の経過を簡単に述べておこう。
1989年、ベルリンの壁が崩壊、二年後にソビエト連邦が完全解体さ
れた。冷戦構造が消滅したこの辺りから世界は再び帝国主義の様相を
呈してきた。それは二極対立的な軍事均衡が崩れたあとの混沌状態で
あるが、世界が再びそれなりの恒常的均衡に落ち着くまでの揺れ動き
の中、世界における各国の経済ヘゲモニーは、大戦後、最も熾烈な様
相を帯び始めて来た。それまで、西側の軍事大国としてソ連共産圏を睨
んでいたアメリカは、今度はその国際戦略を経済問題に振り向けてきた。
それまで世界の勝者であり自由圏内の庇護者、指導者であったアメ
リカが、今度は自分に従っていた国々に対して、極めて洗練された頭
脳的経済侵略の牙を向けてきたのである。これは、東西冷戦が消滅し
て、それまで抑制されていたアメリカの本質が出てきたという捉え方が
できるわけであるが、我々は当時のことを思い出すと、ある一つの不
思議なできごとに気付く。それはアメリカと日本の間で起きていたあの
熾烈きわまる日米貿易摩擦の話が’90年代になっていつの間にかす
っかり消滅していたことである。
日米経済摩擦とは言うが、その実態はアメリカが一方的に日本に対
して、フェアーな貿易関係が樹立できない、従って、日本特有の組織構
造が駄目だから何とかしろという言いがかりである。実はこれが曲者だ
ったわけであるが、当時の外務省や政府関係者は、アメリカのこの執拗
な大騒ぎに辟易していた。しかし、ドイツ・ナチ、ゲッペルス宣伝相の鸚
鵡効果ではないが、アメリカのこのワンパターンな遠吠えを繰り返し聞
いているうちに、「本当に日本市場は閉鎖的なのかもしれない」などと
思うようになってきた者も出てきた。
この意識の変化は、グローバリズムという言葉が、日本の知識人た
ちの口に頻繁にのぼり、それがあたかも国際経済のスタンダードでも
あるかのような錯誤が浸透していったことと期を一にしていた。もうひと
こと言うなら、日本から伝統観念や共同体意識が希薄化してきたことも
内在的な要因ではあった。さらにもうひと言付け加えるなら、戦後日本
に常識として根付き始めた「国際化」という標語の浸透とも同期してい
る。この常識とは、真の国際化という意味から乖離し、アメリカの標準
にいかに近づくかという思い込みであった。
日本人は国際標準という漠然とした概念を、アメリカと国際金融資本
が提唱するグローバルスタンダードだと思い込んでしまったのである。
あとで説明するが、グローバルスタンダードというアメリカ一国の経済
覇権的な戦略を、日本人が普遍的な世界の趨勢だと読み違えてしま
ったところに、小泉政権という日本史上最悪の内閣が誕生する土壌が
あったのである。
話を15年前に戻すが、日米貿易摩擦の喧騒の中で、アメリカの口撃
に頭にきていた日本人も、一方では、経済体制をモノから金融へ、生
産から情報革命へと、アメリカ並みの「近代化・進化」を遂げる必要を
痛感していた。そして、平成バブル不況に至っては、そのアメリカへの
思慕は、半ば脅迫観念を持っていたようなところもあった。そういう中
にあって、1993年、宮沢・クリントン会談で「年次改革要望書」の取り
決めが合意され、その辺りから、日米通商関係に関する摩擦やごた
ごたは不思議なことにきれいさっぱりと消えてしまい、小泉政権が始
動する数年前までにはほとんど耳にすることはなくなっていた。
1996年、橋本龍太郎政権時代には、金融ビッグバンが起こったが、
その時の掛け声が「フリー、フェアー、グローバル」であった。金融ビッ
グバンは、小泉構造改革の予兆的原型を持っていた。それは金融に
特化された規制緩和、規制撤廃であり、いわゆる国際化に柔軟に対
応できる金融システムを作ろうということだったのである。ここにも「グ
ローバルスタンダードに合致する構造改革」という暗黙の了解ができ
ていた。また、ここには急速なIT化など、第三次産業革命と言われる
情報革命の進展があった。この時に目指したものが国際市場に倣っ
て、さまざまな規制に関する法制度の変革と会計制度の国際標準化
であった。グローバルスタンダードにあわせたこの会計制度の変更が、
2003年のりそな銀行国有化におけるインサイダー取引疑惑と重要な
関連性を持っているが、その話はもう少し後になる。
この時点で、日本の金融界も、これまでのきわめて日本的な、そし
て集団主義的な共同体意識の変革とともに、護送船団方式による旧
弊なシステムを、新たに流動的市場原理に変えて刷新して行こうとい
う機運が生まれた。ここに小泉純一郎が気に入って繰り返して使用し
た言葉、すなわち「自己責任原則論」の萌芽があったのである。この
時の掛け声が、フリー(自由市場)、フェアー(公正な条件)、グローバ
ル(国際化)なのであった。記憶している方々も多いだろう。
当時はバブル崩壊のショックで知的な後退に陥っていた日本人は
今、この時のことを冷静になって総括する必要がある。すなわち、あ
の金融ビッグバンとは、国益に敵う改革だったのかということと、それ
までネガティブにイメージ化された「日本の護送船団システム」が、本
当に時代遅れで機能障害を負い、全否定に値する産物であったのか
という真摯な問いかけである。
フリー、フェアー、グローバルとは、日本人や他のアジア諸国をだま
す最も適切な標語群であった。しかし、落ち着いて考えてみるとこの三
つの標語には決定的に欠落しているものがあることに気が付く。それ
は文化や伝統の大切さが見事にというか故意に抜けているのである。
フリー(自由市場)、フェアー(公正な条件)、グローバル(国際化)とは、
フリードマンが提唱する世界、新自由主義そのものの世界観から成り
立っていることに気が付く。
(次回に続く)
参考図書
植草一秀「ウエクサ・レポート」(2006年を規定するファクター)」
市井文学株式会社刊
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