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http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/061013_gaikou/index.html から転載。
2006年10月13日
安倍首相の中国訪問につづく韓国訪問。そして、それにぶつけるようにして行われた北朝鮮の核実験と、今週は目まぐるしいような動きが次々にあった。
10月10日からは、大阪9区と神奈川16区での衆院補欠選挙もはじまった(投開票は22日)。安倍政権がスタートしたばかりの頃は、この補欠選挙では、自民党が結構苦戦し、民主党が善戦するのではないかとの観測があったが、おそらく、そうはなるまい。
これだけの“ビッグ・イベント”が次々に起こり、連日、安倍首相の活躍が華々しく報道された結果、形勢は完全に逆転したと見る。
中国・韓国訪問によって、かねて、安倍首相の最も弱い部分といわれていたアジア外交で大きなポイントを獲得した格好になった現在、安倍首相が選挙に負けるはずはない。
安倍首相は目下国会で連日の質問攻めに会っており、結構苦戦しているが、街頭に出たとたん、大々的な安倍人気が巻き起こるだろうと思う。
補欠選挙に大勝するのはもちろん、与野党伯仲を予想されていた来年夏の参院選挙でも自民党が大勝して、安倍首相は長期安定政権の基盤を一挙に築いてしまうかもしれない。
そして、かねて念願の憲法改正に向けてまっしぐらという展開になる可能性すら大いにある、と思わせるような展開になってきた。
官僚のパペット丸出しの国会答弁
9月26日に安倍政権が誕生してからしばらくの間は、安倍首相のやることなすこと、心もとないとしかいいようがない言動の連続で、こんな人を総理大臣にしておいて日本は本当に大丈夫なのだろうかと日を追って心配になっていった。
とくにひどかったのは、9月29日の所信表明演説のあと、各党代表質問がつづき、それに対して、安倍首相が答弁を返していく、そのやりとりだった。
国会中継のテレビをつけ放しにして、他の仕事をするかたわら、ときどき画面に目を走らせていたのだが、安倍首相の答弁は、ほとんど官僚の書いた答弁原稿を丸読みしているだけだった。
自分の考えたことを自分の言葉でしゃべっているという様子がまるでうかがえなかった。
官僚の書いた答弁書を読むだけという答弁は、歴代の総理大臣みなおりにふれてやってきたことではあるが(すべての問題に自分の言葉で答弁することなど現実問題として不可能)、同時にみな多少のイロをつけて、自分の言葉を随所にはさみこんで、自分もその問題を知っているふりをしてきたのである。しかし安倍首相は、そういうことをする心のゆとりが全くないようだった。
言葉にめりはりが全くなく、語調に感情がこもっていない。目に映った文字の意味すら考える余裕がないのか、ただ次々に目に映じる文字を発音しているだけという風情だった。
だから、言葉が生きた言葉にならず、観念だけが上すべりしていた。「役者のように上手に感情をこめて読め」とまではいわないが、これはあまりにひどいと思った。「これではまるで、『私は官僚のパペット(あやつり人形)です』といっているようなものではないか」と、私は思わず頭の中でつぶやいていた。
このままいったのでは、安倍政権は長もちしそうにないなと思った。
新閣僚たちの評判もいまひとつだった。人選においても、論功行賞丸出しであったり、派閥推薦をそのまま受け入れていた時代にまで戻るようなことはなかったものの、有力者(森元首相など)の後押しにそのまま従っていたり、参院のボスなど実力者の推薦に従って、どう見ても不適切としか思えない粗悪な人材を入閣させてしまったりするなど、安倍首相の性格の弱さ(主体性の無さ)がいたるところにあらわれていた。
史上最も若い総理大臣という安倍の若さ(清新さ)が反映した内閣というよりは、安倍首相の政治家としての経験の無さ、力量不足が反映したグレードの低い内閣と見えた。
相次ぐ“ビッグ・イベント”で形勢が逆転
その頃は、それから2週間も経たないうちに、このような“ビッグ・イベント”トが次々に起きて、安倍人気が一気に盛り上がることになろうとは、正直いって予想していなかった。
安倍政権の最初の政治課題が、小泉首相によって最悪の状態にされた日中関係の修復であることは誰の眼にも明らかだった。安倍は総理大臣になることが確定するかなり以前から、水面下で、中国との秘密交渉をはじめているというウワサが、マスコミの裏街道を流れていた。
先にお伝えした(第85回 新総理安倍晋三が受け継ぐ “妖怪”岸信介の危険なDNA)、日本外国特派員協会(外人記者クラブ)の講演でもそのことに言及した。
裏交渉は当然予想されることだったが、裏交渉というのは、そうそうトントン拍子に運ぶはずがないというのが常識だから、日中首脳会談の実現まで年内いっぱいくらいかかるだろうというのが私の予測だったし、またそれが当時の一般的な予測でもあった。
それがこれだけ一気呵成の流れになったのは、中国側も、かねてから関係修復を願っていたということだろう。
これまでは、中国側が日中関係を修復したいいうサインを送っても、小泉前首相はまるで日中関係のより一層の悪化を願っているかのような言動をもって応じていた。それを見て、中国首脳は、小泉時代がつづく限り、はややかな修復の可能性なしと考え、ポスト小泉時代の到来を待っていたのだろう。
どれほど中国側が修復を願っていたかは、安倍首相が北京を訪問した10月8日、北京では、中国共産党の幹部が全員参加する中国共産党の6中総会(第16期中央委員会第6回総会)という重要会議が開催される初日にあたっているというのに、胡錦濤国家主席、温家宝首相、呉邦国・全国人民代表大会常務委員長(国会議長に相当)の党、国家、議会を代表するトップ・スリーが場所をかえて次々に登場し、安倍首相と1日の間に全員が会見してしまうという、破格の扱い(通常は国賓でもトップ・スリーの1人と会うだけ)をしたことでも明らかである。
単に首脳と連続会見したというだけでなく、今後、日本と中国は、共通の戦略的利益に立脚して、「戦略的互恵関係を構築していく」ことなど計7項目にわたる事項で合意したという日中共同プレス発表が行われた。
かねて小泉前首相と中国側がともにこだわっていた靖国参拝問題についても、安倍首相が「行くか行かないか、行ったか行かなかったかも、言わない」とする「曖昧不言及戦術」をとり、中国側もそれをそれとなく受け入れる(これで結構などとは絶対にいわない)これまた曖昧な言及パターンで決着がはかられた。
安倍の“靖国参拝リーク報道”で中国の反応を確認
日中間でこのような決着のつけ方がいつどのようなレベルではかられたかは不明である。ただ、安倍首相が靖国に秘密参拝を行ったのが4月であったことが、いまとなっては明らかになっているから、それ以前であることは間違いあるまい。
あの秘密参拝が安倍側からのリークによって明るみに出た8月以降、安倍首相は一貫して、「行くか行かないか、行ったか行かなかったは、言わない」という態度で一貫している。要するに、あのリークが、今回の日中首脳会談における靖国参拝問題の曖昧不言及方式による決着のつけ方の予行演習になったということである。
もしあのとき、日本国内あるいは中国国内で、あの曖昧方式に対する強い拒否反応的リアクションが出ていたら、別の方式が試された可能性もあっただろうが、どちらの国でもある程度の反発は出たものの、それほど強い拒否反応ではなかったので、本番でもそれでいったということだろう。
このような方式で靖国問題の棚上げをはかるというアイデアを考え付き、日中双方をその線でまとめた知恵者が日中双方にいたということである。
それが誰であるかは、当分の間、明らかにならないだろうが、おそらく日中双方とも、相当のハイランキングの政府高官がこれに関わっていたと考えてよいだろう。
今回の安倍首相のニュース映像を見ていて感心したのは、安倍首相の外国首脳との懇談風景が、実にサマになっていたということである。
歴代の日本の総理大臣をふり返って見ると、あのような場面でサマになる人はむしろ少ない。顔も身体もこわばって、ギクシャクしてしまい、外国首脳と談笑すべき場面で、ほとんど一言も言葉をかわせないで終わった総理大臣が珍しくない。
しかし、安倍首相はほとんど水を得た魚のごとく、ごく自然にふるまっていた。
それを見ながら、あの悲惨としかいいようがなかった、国会答弁における、官僚の答弁原稿を丸読みする安倍首相の姿を思い出し、同じ人なのになんというちがいだろうかと思った。
考えてみれば、それも道理。安倍首相にとっては、外交という舞台のほうが、ずっともの慣れた気分でいられる舞台なのである。
父・安倍晋太郎が施した帝王教育
安倍首相は独特の個人史を持つが故に、総理大臣になる以前、国会のヒナ壇にならんだ経験はほんのちょっとしかない(第3次小泉内閣で官房長官になったときだけ)が、実は首脳会談には何度も立ち会っている。安倍首相は、外相級の首脳会談立ち会い回数の多さにおいては、日本でも稀に見る記録を持っている。
安倍首相のこれまでの人生が語られるとき、すぐ引き合いに出されるのが、成蹊大学を卒業してすぐ神戸製鋼所に入り、しばらく普通のサラリーマン生活を送っていたといういエピソードである。そのころ職場や寮生活をともにしていたサラリーマンがTVに出てきて思い出を語ったりする。
だが、安倍首相の神戸製鋼所時代は、実はわずか3年(79〜82)あまりでしかない。
それよりはるかに長い9年間(82〜91)、安倍首相は父・安倍晋太郎の秘書としてすごしている。その間、いちばん長かったのが、父が外務大臣(82〜86)をしていた外務大臣秘書官の時代なのである。
安倍晋太郎は、昭和57年11月、第1次中曽根内閣の外務大臣に就任した。それから3年半にわたって、4期つづけて外務大臣をつとめ、その間に訪問した国は延べ181ヵ国に及び、飛び回った距離は76万キロ、地球19周分に及んだ。「空飛ぶ外相」の異名を取り、歴代外相の新記録となった。
安倍首相はその間ずっと秘書官として父親に付き従い、各国首脳との会談にも同席していたのである。
それは安倍晋太郎が息子晋三に対して施した帝王教育だったといってもよい。それがいかなる国の首相に会ってもいささかも動じるところがない安倍首相の現在のふるまいとして結実しているわけだ。
総務会長秘書として政権中枢のすべてを見聞
安倍晋三首相はまた、父親晋太郎が外務大臣から身を引いて自民党総務会長になれば総務会長秘書となり、同じく父晋太郎が自民党幹事長になれば、自民党幹事長秘書となった。そうすることで党務の側からも父親からの帝王教育を受けられたということである。
安倍首相は国会議員となってからの経験がわずか13年でしかないために、政治家として経験が浅すぎると考えられがちだが、安倍首相の場合、国会議員になってからの政治家体験以上に重要なのが、国会議員になる以前の、父親の秘書としての政治の世界体験なのである。
父親が自民党の重鎮であったために父親の秘書でありつづけた9年間は、日本国の政治の中枢部分を、内閣の中心的な閣僚の視点から、あるいは政権党の中心的実力政治家の視点から、党務政務の中枢部分を内側からウォッチするという世にも稀な機会を与えた。このような意味において、安倍の政治の世界体験は、その深さにおいて、そんじょそこらの代議士では及びもつかぬ経験量と経験質を誇ることができる政治家になったのである。
さらにいうなら、総務会長時代の安倍晋太郎は、ポスト中曽根の座を竹下登、宮沢喜一と争い合う苛烈な権力闘争の日々を送っていた。それを晋三は秘書として身内としてすぐそばで見守っていたわけで、これまた、ナミの政治家には経験することができない貴重な体験であったといえるだろう。
それに加えて、小泉政権時代の5年間、安倍は、官房副長官にはじまって、自民党幹事長、副幹事長、官房長官と、政権中枢を片ときも離れることなく、小泉から直々の帝王教育を授けられている。そしてそのあげくに、小泉の引退声明後は、小泉が安倍の政権獲得への道を作ってやり、ほとんど禅譲といってよいような形で、総理大臣の位を譲られている。
日本で総理大臣になった人は、57人もいるが、これほどの帝王教育を受けてから総理大臣になった人は、安倍以外にいなかったといってもいいくらい、安倍首相はずっと帝王教育を受けてきた。
だから、外国に行こうと日本で他国の首脳と会おうと、その場その場で適切にふるまうことができるのは、当り前といっていい。あまり長くなりそうなので、とりあえずこのあたりで、私の今回の安倍首相論は筆をいったん置くことにする。
総理大臣としての資質には疑問
ここで安倍首相を一言で評価しておくと、もし安倍首相が、外務大臣であったなら、見た目なかなか立派にふるまうことができる外務大臣として合格点を与えることができる。しかし、見た目でなく、中身の外交政策立案者ということになると、後述するようにいろいろ疑問点も出てくる。
また、外務大臣ではなく、総理大臣としての評価ということになると、外交より内政のほうがはるかに大切だが、そちらのほうでは大きな疑問点がいろいろあることは、これまでも述べてきた通りである。
そして、外交で華々しい成功をあげた余波で、国内に安倍人気が高まってくると、安倍首相の持つ危険な側面がやがてむき出しになってあらわれてくる(いまはそういう側面があらわにならないよう気をつけている段階)可能性も大いにあると思っている。
そのあたりのことは、これから何回かにわけて順次書いていこうと思っているが、ここで最後にちょっとふれておきたいのは、安倍首相と北朝鮮問題のかかわりである。
出口のない拉致問題に出した“約束手形”
安倍首相が、父晋太郎の秘書をしていた時代から、拉致問題に取り組みはじめ、以後一貫して、拉致問題において強硬路線を取りつづけ、それが世の大方の賛同を得たことが、安倍人気が広がっていく大きなきっかけになったことは、よく知られている通りである。
安倍首相も、自分が政治家として世に認められるようになった最大のきっかけが拉致問題にあるということはよく自覚しているから、安倍内閣を作るにあたっても、拉致問題に最大限に配慮した内閣を作った。
なにしろ、内閣に、「拉致問題対策本部」を設置し、専任の事務局を置いた。そして、安倍総理自らがその本部長となってしまったのである。
その上、塩崎官房長官を拉致問題担当相に任命した。さらに、内閣補佐官にも拉致問題担当補佐官を置き、拉致生存者帰還にあたって中心的に世話役を果たしたことでよく知られる中山恭子補佐官をそれにあてた。
さらに、衆院にも参院にも、拉致問題特別委員会を作った。
このように拉致問題を担当する組織を、政府にも議会にもガッチリ作った上、総理の所信表明演説でも拉致問題に相当の時間をさいて、
「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」
というこの問題に関する大原則を表明した。そしてまた、北朝鮮との交渉は、「あくまで拉致被害者全員生存の原則に立つ」という大原則も表明した。
この2つの大原則をあくまで守るという立場に立つと、困った問題が出てくる。しかし、客観事実として、拉致被害者が全員生きているなら、この2大原則に立っても何の問題も起きない。そして、経済制裁などプレッシャーを強めていけば、本当に、北朝鮮が音を上げて生存者全員を帰還させるということもないではないだろう。そうなれば、すべてメデタシメデタシということになるが、そうでない可能性も大いにある。つまり、拉致被害者の中に何らかの理由で(北朝鮮が殺したか、事故死か、病死か、理由はどうであれ)1人でも死者がすでに出ていたら、この2大原則に立つ限り、国交正常化は永遠にないということになる。
つまり、この2つの大原則を正面に押し出した所信表明演説は、論理的に現実的な出口をすべて封じてしまった自己閉鎖的文章になってしまっている。これでは、拉致問題の解決に努力するといいながら、いったい何をどうしたら解決の方向に向かい得るのか、全く見えてこない文章である。
これは、通常の外交のプロあるいは官僚のプロであれば絶対に書かないたぐいの文章である。言葉をかえていえば、プロは、文章のプロでも、政策のプロでも、論理性あるいは現実性において欠落がある文章を書いてはならないのである。おそらく、所信表明演説のあの部分は直情径行型の少々思慮の足りない人物が書いた文章であるか、プロが書いた文章に少々思慮が足りない人が妙な手をいれてしまったかなのであろう。
吟味が必要な拉致問題解決の“安倍神話”
この点を鋭く衝いたのが、参院予算委員会で、10月11日に質問に立った民主党の森ゆうこ議員だった。「拉致問題の解決に努力する努力する」と政府はさかんにいうが、「具体的にいったいどのような手を打とうとしているのか、可能性はいったいどこにあるのか」と問うた。
この問いに安倍首相が正面きって答えなかった。その前に同議員が持ちだしたもうひとつの問題をめぐって、「そんなことを言うのは失礼じゃありませんか」と安倍首相が語気もあらわに怒り狂ったので、委員長席にあわてて自民党理事と民主党理事が駆け寄り、審議が中断してしまうという大騒ぎがあったからだ。
この大騒ぎは、新聞、テレビ等の大マスコミが、安倍首相に気を遣ったためか、ほとんど伝えなかったので、知る人も少ないと思うが(この大騒ぎが発生して間もなく、NHKのテレビ中継が正午のニュースを伝えるために中断されてしまったという事情もあった)、大事なことと思われるので、ここに簡単に伝えておく。
もうひとつの問題というのは、週刊現代10月21日号の「安倍晋三は拉致問題を食いものにしている」という記事である。
この記事の「安倍晋三は拉致問題を食いものにしている」というタイトルに安倍首相は怒り狂い、そこで審議が中断してしまったのだが、タイトル表現の妥当性の問題より重大なのは、この記事が提起している事実問題のほうである。
その内容については、安倍首相は、「いちいちそうした記事を読んでおりません」といったり、過去に週刊現代が拉致事件の別の側面で誤報をした(と安倍首相が考えている)事例をあげて、「だから、その程度の話なんですよ。その程度の話について、私はいちいちコメントするつもりは全くありません」などと語気を荒げるばかりで、具体的な内容の反駁は全くなされなかった。
というわけで、この段階で、真偽のほどはまだなんともいえないが、提起されていることがもし本当なら、あるいは本当である可能性があるなら、安倍首相も、「読んでいません」とか、「コメントするつもりはありません」といった口上を並べるだけで、逃げつづけるではすまないような内容を含んでいる。
詳しくは、同誌の記事を見ていただきたいが、私は、これは単なるガセネタではないだろうと思っている。
強硬外交が金正日の『狂気』に火を点ける
同誌によると、いまから3年前の03年8月、それは、蓮池薫さんら、5人の拉致被害者は帰ってきたが、被害者の家族がまだ北朝鮮に残っているという状況の中で起きたことだ。北朝鮮は、それら家族を日本に帰国させるのか、させないのか、拉致問題で膠着状態に陥ってしまった日朝国交正常化交渉をいかにして元に戻すかをめぐって、日朝間でいろいろな駆け引きが行われていた時期の話である。
北朝鮮から、崔秀鎮(チェ・ス・ジン。中国朝鮮族の大物実業家)という密使が日本にやってきた。彼は安倍官房副長官(当時)と、河口湖近くのホテルで会い、2時間にわたって極秘会合を持った。
この会合自体は、安倍と崔氏がにこやかに笑って握手している写真があったり、安倍がある人物あてに書いた内密の書簡で、その会合に言及した上で
「よろしくご検討のほど、お願い申し上げます。
日本政府内閣官房副長官
安倍晋三拝上
2003年8月18日」
と安倍が署名した手紙が写真版で収録されているから、実際に行われたと推測して間違いなさそうである。
問題はその会合の内容だが、安倍が、日本に一時帰国した5人の拉致被害者を、また北朝鮮に戻すと約束しておきながら、その約束を守らなかったことについて、
「その約束を守らず、金総書記の体面をつぶしてしまったことは、本当に申し訳ありませんでした」
と侘びを入れたり、家族の帰国については、
「8人の家族さえ帰国させれば、北朝鮮としては、やることはすべてやったということでしょう」
といって、拉致問題はそれで打ち止めにするとの言質を与えたり、北朝鮮に対する経済制裁についても、
「アメリカが北朝鮮に経済制裁を許しても、日本は同意しません」
と言質を与えたことになっている。
これらの報道が本当なら、安倍首相は二枚舌外交によって、北朝鮮を騙しに騙してきたことになる。
今回の北朝鮮の核実験は、安倍首相のソウル入りに合わせてなされた(時間差が30分しかなかった)と考えられるところから、拉致問題で北朝鮮に煮え湯を飲ませたことに対する「意趣返し」という説も出ている(週刊新潮10月19日号「安倍訪韓日に決行は『拉致の意趣返し』」。
ということになると、安倍首相が音頭を取った拉致問題強硬外交が、金正日の『狂気』に火を点けてしまったという可能性も考えられるわけで、ここまでくると、安倍が本当のところ、北朝鮮側との裏交渉で、どのようなやり取りをしてきたのか、言を左右にして逃げてばかりいないで、明らかにする責務が生じているといえるのではないか。
(この項つづく)
立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月-2006年9月東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌—香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。近著に「滅びゆく国家」がある。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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