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2006年10月13日(金) 朝刊 1・32面 沖縄タイムス
沖縄靖国訴訟/遺族らの控訴棄却
小泉純一郎前首相の靖国神社参拝をめぐる「沖縄靖国訴訟」で、福岡高裁那覇支部は十二日、原告全面敗訴の一審・那覇地裁判決を支持し、「公的」か「私的」かという参拝の性格や、憲法の政教分離原則に違反するかどうかには触れず、原告の控訴を棄却した。原告側は上告する。
小林正明裁判長は「沖縄戦の悲惨な体験から、首相の参拝によって怒りや憤り、不快感を感じていることは認められる」とする一方、首相の参拝によって、靖国神社への参拝を強制されるなど信教の自由が侵害されたとは言えないと指摘。
「参拝が違憲だとしても、権利侵害は認められず、損害賠償請求を棄却する結論は変わらない。違憲かどうかを判断する必要はない」と述べた。原告の違憲確認について「参拝は違憲という立場や意見に対して確認を求めるもので、必要のない抽象的な判断」とした。
前首相の靖国参拝をめぐっては今年六月、最高裁が憲法判断を示さないまま請求を退ける判決を言い渡しており、同支部は最高裁の判断の枠組みを踏襲する形となった。
訴えていたのは、沖縄戦の遺族や宗教者など八十人。
沖縄戦に巻き込まれた肉親が知らぬ間に靖国神社に祀られ、「戦闘協力者」として賛美されているのは耐え難く、前首相の参拝で苦痛はさらに深まったと主張していた。
◇ ◇ ◇
[解説]
憲法判断回避参拝に免罪符/司法の不作為鮮明
小泉純一郎前首相の靖国神社参拝をめぐる十二日の福岡高裁那覇支部の判決は、参拝の職務行為性や違憲性について沈黙する、今年六月の最高裁判決通りの“模範解答”だった。
福岡地裁や大阪高裁が違憲判決を出しても、「憲法違反だとは思っていない」「心の問題」と、まったく意に介さなかった小泉前首相に司法が自ら免罪符を与えた格好だ。
前首相の靖国参拝をめぐっては、中・韓を含めた国内外に議論が広がり、前首相の参拝が憲法に違反するかどうかは原告のみならず広く国民が聞いてみたかったのではないか。
憲法の番人が、政治や行政に及ぼす影響にためらい、法理論でその問いをはぐらかしているという原告らの不信感は根強い。
沖縄靖国訴訟が提起していたのは、前首相参拝の是非をめぐる議論を通して、国や国民がどう歴史に向き合い、どう未来を描くかという問い掛けだった。
憲法の政教分離規定は、戦前の軍国主義的な国家神道への反省だ。原告らは、沖縄戦を含む過去の戦争を、正義の戦として今でも正当化する靖国神社に、一国の宰相が参拝することは戦前の政教一致にほかならないと主張。
国家神道の支柱として、国民を「誉れある戦死」に駆り立てた靖国神社が、今でも戦死者への悲しみを喜びに昇華させる舞台であり続ける限り、追悼の場にはなりえないとの思いは強い。
そして「本土の捨て石」とされた沖縄戦の犠牲者をも、遺族の意思とは関係なく、戦争協力者として賛美し続ける靖国神社には強い疑問を投げ掛ける。A級戦犯を分祀したところで問題の解決にはならないとする。
原告らの問い掛けに消極的な司法が、靖国神社の本質を見過ごさせ、世界に不戦を誓った国と国民の進路を見誤らせてしまうことになるなら、憲法判断を回避した司法の不作為の罪は大きい。(社会部・粟国雄一郎)
識者談話
高良鉄美・琉球大学大学院教授
非常に無気力な判決
率直に言って、非常に無気力な判決だという印象を持った。憲法判断を避けた六月の最高裁判決の内容をただなぞっただけの残念な判決だ。
戦前・戦中の日本国家では、国教的な性格を帯びていた靖国神社が、国民を戦争に駆り立てる上で大きな役割を果たした。その反省に立っての政教分離であり、信教の自由なのに、判決はその点に踏み込むことなく、形式的な判断にとどまっている。
裁判所の役割は、個人の権利侵害の回復だけにあるわけではない。立法府や行政府の行為に暴走はないかチェックする「憲法の番人」の役割こそが大事なはずだ。だが、高裁は、行政の長である首相の靖国参拝が憲法に照らしてどうか、判断することから逃げた。
国民が国の憲法違反を問う手だては、残念ながら国家賠償訴訟しかない。それが、このように機能不全を起こしたままなら、国民の司法に対する不信は増す一方だろう。
石原昌家・沖縄国際大学教授
遺族の苦痛理解せず
沖縄靖国訴訟は、沖縄戦犠牲者が、戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用で、軍に積極的に協力した戦闘参加者として靖国に祀られ、首相の参拝で精神的苦痛を受けたことに対する被害を訴えたものだ。
控訴棄却は、遺族の憤り、不快感は認めながらも、一方で不利益は認められないとし、本当の沖縄戦の被害住民の苦痛を理解していない。
われわれが、住民の立場から記録し、解明してきた沖縄戦の事実を、有事法制の制定後から隠蔽・歪曲し、いかに軍民が一体となり闘ったかという認識をつくろうとする動きが強まっている。その一つが「『集団自決』訴訟」だ。
その流れの中で、沖縄靖国訴訟は沖縄戦の真実を深く知らしめ、沖縄戦の認識をめぐるせめぎ合いの場となっている。
原告側としてはひるまず、司法の判断に対して、より一層怒りをもって立ち向かっていくことになるだろう。
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200610131300_02.html
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