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植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(1) 「神州の泉」より。
http://www.asyura2.com/0610/senkyo27/msg/498.html
投稿者 新世紀人 日時 2006 年 10 月 12 日 14:11:08: uj2zhYZWUUp16
 

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2006/10/1_991d.html
植草つぶしは「りそな問題」の隠蔽にある(1)
    欺瞞の小泉・竹中構造改革路線

 「直言:失われた5年 ー 小泉政権・負の総決算」によれば、植草一秀
氏は、小泉内閣発足の一年前に、小泉純一郎と中川秀直に対してレク
チャーをしている。植草氏は財政収支改善を中期的に取り組む必要を説
き始めた時、小泉はその発言をさえぎって、「緊縮財政運営こそがすべて
に優先されるべき」であるという持論を得々と開陳したそうである。植草氏
は、当時、日本経済の根っこには、巨大な不良債権問題が沈潜しており、
これを無視して財政緊縮路線を遂行すれば、経済悪化、金融不安増大、
財政赤字拡大等の深刻なマイナス要因が発生し、「魔の悪循環」のスパ
イラルに呑みこまれることを指摘していた。

 植草氏は、小泉純一郎が政権を取った時、上述の基本政策が取られた
場合、明らかに日本経済の失速・墜落を招くと一年も前から確信していた
ので、小泉政権がスタートしてから一貫して政府のマクロ的な経済政策に
対して精力的に警鐘的な批判をしていた。植草氏の予想は的中し、政権
発足から2年経った2003年の4月28日に、日経平均株価が7607年円とバ
ブル以来の最安値に暴落した。金融不安を引き起こしたのである。

 その前に、小沢一郎が主催するある朝食会に植草氏が講師として招か
れた時、竹中も主席していた。この席で植草氏は、米国はこれまでに、「経
済、財政、金融」不振の三重苦からなる巨大な財政赤字を抱えていたが、
経済改善優先の指針を明確に採用したことによってこれを改善していたと
説明した。すると竹中平蔵は植草氏の正論に真っ向から異を唱え、先に
不良債権問題を処理しなければ経済は回復しないと突っぱね、それを強
硬に小泉施政の中で実践した。その結果、2001年から2003年までの経済
は、植草氏の判断が適正であったことを裏付けるように失速していった。

 竹中と植草氏には基本的にこういう経緯があって、マクロ的な政策見解
では完全に対蹠的、対立的な関係にあった。この時点で植草氏は、アメリ
カ・ハーバード・シンジケートの直轄エージェントである竹中平蔵に決定的
な要注意人物としてマークされ、それは当然、アメリカに最大級の危険人
物として報告されていたはずである。

 小泉内閣は、新自由主義経済の背骨である自己責任論の実践形式とし
て、「退出させる企業には有無を言わせずに退出させる」という断固とした
金融政策上の基本テーゼを掲げた。その時、退出させる企業には当然大
銀行も含まれると言明したために株式市場は慌てふためき、2003年の春
に日本経済は金融恐慌の崖っぷちまで滑り落ち、誰もが小泉政権の断末
魔をかいま見た。

 植草氏は言う。この究極の局面で小泉政権は、最大の眼目であった「自
己責任論テーゼ」を完全放棄して政策路線をケインズ型財政出動にいきな
り切り替えてしまったのである。「小さな政府論」を口角泡を飛ばして繰り返
し、官僚主導による「大きな政府論」の弊害を徹底的に非難し、憎悪を叩き
つけていたはずの小泉内閣が、その基本方針を180度方向転換し、小泉
構造改革のレエゾンデェートルを自ら放棄したのである。

 国民はこの時点で、この内閣の無思想性と極悪なペテン性を糾弾するべ
きであった。ところが、小泉べったりのマスコミ(実はアメリカの金が動いて
言論統制の網がかけられている)のせいもあるが、総じて、国民はこの大
事件を看過してしまったのである。実は、この『りそな突き落とし&りそな
救済』の雛形は2001年末にも存在した。小泉施政の根本的誤謬によって
株価暴落が始まり、マイカル(サティなど)や青木建設などが次々と破綻し
た。小泉はこの時、「退出するべき企業は退出させる」という政策テーゼが
実行されていることを念頭において、この動きを歓迎する旨の発言を行っ
た。これを受けて市場はパニックに陥った。そしてダイエー存続問題が急
浮上した。小泉は突如、このダイエーを政府資金で充当して救済したので
ある。構造改革路線への第一の裏切りであった。

 国民はこの時も「なんか変だなぁ」と思いつつもこれを看過した。しかも
小泉はダイエー救済後、臆面もなく竹中スタンスである緊縮財政路線に引
き戻したのである。株価は当然のようにまた暴落を再開し、小泉の支持率
は急落した。ところが、小泉はこの難局を北朝鮮訪問で乗り切り、支持率
を回復した。2003年以降、景気は上昇傾向に乗り出した。悪質なことに、
小泉や竹中は、この上昇を構造改革路線の紛れもない成功だとはやし立
てていた。この間の推移で、日本経済の底力を担っていた中小企業や零
細企業、多くの人々が、倒産、失業、自殺などで、どれだけ犠牲になったこ
とだろうか。

 国民は知らねばならない。2003年以降の景気回復は、構造改革の成果
とはまったく違い、これは経済が最悪の状況まで落ち込み、慌てた政府が
なりふり構わず、土壇場で自分たちが唾棄していたはずのケインズ主義的
な財政出動を行ったためである。ちゃっかりと路線を転換していたのであ
る。この時点で小泉構造改革は、その基本方針の根拠を完全に失ってお
り、後の郵政民営化に手をつけるどころか、内閣の存続理由を失っていた
のである。そういう自死的な状況にも関わらず、この内閣が奇跡的に延命
したのは、マスコミがその真相を報道しなかったことと、小泉・竹中が、構造
改革の痛みはさまざまにあったが、いまはそれを乗り越えて景気が良い
方向に向っていると国民を見事に騙したからにほかならない。

 あのような致命的な自己矛盾を内包しながらも、後の郵政民営化問題で
亀井静香氏を筆頭とする守旧派を攻撃した小泉純一郎の思想性、神経は
異常そのものである。まるで精神異常をきたしたヤクザが、腹を括って凶
暴な行為に駆り立てられているようなものである。こういう宰相を出してし
まったこと自体が日本史の汚点なのである。

 植草氏は言う。この現実をしっかりと踏まえた小泉政権の総括が必要で
あると。政府が釈明する「りそなの救済」は、救済という言葉が、新自由主
義経済の掟である「自己責任論&小さな政府論」の政策基本と整合性が
まったく取れていないことを示すものであった。小泉施政の失敗は、金融
恐慌を甘受するか、あるいはそれを回避するために自己責任原則を放棄
して政府救済を行うかの二者択一(究極の選択)のぎりぎりの限界点まで
日本経済を追い込んでしまったことにある。

 素人なりに思うが、植草一秀氏の経済思想とは、国家の適正な介入と
いうマクロ的ケインズ主義の包括的な視点と同時に、ミクロ的各論的なフィ
ールドサイドの問題では徹底した自己責任を被せるという、謂わばケイン
ズ経済主義の日本型進化形態に属していると私は見ている。適正なマク
ロ経済政策運営によって、経済システム総体の安定的恒常性を確保しつ
つ、個別の金融問題の対処については「自己責任原則論」を固守する。
一見、相反するかのように見えるこの両者の絶妙な拮抗バランスを維持
させ、それを政策的に実現していくことが経済政策の手腕であると植草氏
は言っているのである。よく考えてみれば、これも昔から日本人が得意とし
た「和の融合的創造性」なのである。植草氏の経済理論は、新古典主義
でもなければケインズ主義でもなく、両者の融合的視点から生まれた「む
すび」の経済学なのである。いかにも日本人の経済学と呼ぶに相応しい
ものだと私は見ている。

 私は植草氏のこのプリンシパルな経済思想が、日本民族の性向にもっ
ともよく合っていると思っている。なぜなら日本民族というものは、あれか
これかの二値論理的思考を好まずに、全体の空気からいつの間にか
整合的な結論を引き出せる本能を持っているからである。大江健三郎で
はないが、日本人の曖昧性や即断を嫌う性質の中には、全体から個別
に向かい、個別から全体に向う心の動きを繰り返しながら、いつの間に
か然るべき適正な思考にたどり着き、その結果が最適な結論に収斂して
行くという、謂わば複雑系に似た思考様式を持つ。日本人の思考様式が
欧米人の「要素還元主義」的な思考様式と決定的に異なるのは、各論と
総論が、フラクタルな自己相似関係を持ち、結果としては合成の誤謬の
リスクを回避して調和的な領野へ思考の方向性を向けることが可能なこ
とにある。これこそ、十七条憲法に謳われた「和を以って貴しとなす」の
基層精神の働きによるものである。こういう民族性は、民族の長い経験
則によって裏打ちされたDNAに蓄えられたものである。

 ところが、物事で、これがいいか悪いかという、小泉の二項対立を基底
にした間抜けな遠吠えは、人間の精神性まで要素還元主義に置換する
アングロサクソンの典型的な思考様式なのである。こんな奴は最も日本
人らしくない思考や行動様式に囲繞されており、魂の底までWASPに跪
いているのだ。。このような思考様式で、植草理論が提唱するマクロとミ
クロの絶妙な拮抗バランスを理解もできなければ実行できるはずもない
のである。また、ミクロ的な政策が結果的に合成の誤謬を惹起しないよう
に、政権は常に極度の観察力と深い洞察力をもって目を光らせている必
要がある。この総論と各論の絶妙な舵取りこそが、経済政策の要点であ
るという植草氏の提言を、あの小泉が理解できるはずもない。しかし、竹
中平蔵はあれでも経済学者である。彼は植草理論の要点は完全に理解
した上で植草理論をつぶしにかかったのである。

 つまり、小泉政権は「構造改革なくして経済再建なし」と花火をぶち上げ
て置きながら、「りそな騒動」で自らそれを破っていたのである。スローガン
と実践は違うとは言っても、これでは足下からの自己否定である。しかし、
小泉や竹中はこの致命的な政策破綻を糊塗し、乗り切るための偽装説明
を行った。それに使われたのが「預金保険法 第102条」である。

 (次回につづく)

 
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