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サマワで感じた自衛隊の限界=小倉孝保(外信部)
◇軍服支援に固執し過ぎた−−宿営地の基地化が心配
陸上自衛隊が2年半にわたって駐留したイラク南部のサマワを訪ねた。取材を終えて感じたのは治安組織である自衛隊が復興支援を担うことの限界だ。自衛隊によらない支援は可能で、その方が住民の期待にも応えられたのは間違いない。
前回(04年1月)のサマワ取材では、住民の日本への期待感を感じた。商店街には、日本の支援を歓迎する横断幕が張られ、日本との友好協会も設立された。しかし今回、住民の表情は硬かった。「自衛隊が来ても生活は良くならなかった」。住民へのインタビュー中、何度か激しくなじられた。サマワ住民を対象にした世論調査では、7割が陸自の活動を評価しているが、住民には「来ないよりはまし」「感謝しているが、期待していたほどではなかった」との思いが強かった。
問題の多くは、自衛隊という治安組織に復興支援を任せたことに起因する。日本政府は復興支援と強調したが、武器を持った軍服姿での支援は一部の住民には占領と映った。しかも、日本政府はムサンナ県を非戦闘地域としていたため、自衛隊を歓迎する住民にさえ「戦闘がないのに、なぜ軍隊なのか」という不信感があった。
イラク全土で多国籍軍と住民の衝突が多発するに従い住民の反米感情、不信感は反自衛隊感情になった。そのため、自衛隊は安全確保を優先させねばならず、復興支援に集中することができなくなった。住民にとって自衛隊は、非戦闘地域での復興支援を主張しながら、一方でよろいで身を固くして守りに徹する奇妙な治安組織に映った。
さらに、事実上、武器の使用を禁じられたことも自衛隊には試練となった。多国籍軍の他の部隊は自らを占領軍と認めているため、基地として使用した土地の賃貸料や使用料を支払っていない。しかし、自衛隊の場合、宿営地用地の使用権を持つ地元部族に多額の謝礼を支払ったため、部族側はその後、さまざまな要求を突きつけるようになったが、武器が使えず弱い立場の自衛隊は混乱回避のため、無理難題にも対応せざるを得なかった。
撤退の際、逃げるように宿営地の裏門を出なければならなかったのも、武装した部族が正門前で座り込んでいたためだ。武器は使用できないのに、占領軍として攻撃対象になり、むちゃな要求でも簡単には拒否できない隊員は気の毒としかいいようがない。さらに撤退の仕方も問題を残した。自衛隊駐留は、ほとんど使い道のなかった砂漠を整地し、高度な設備を置いたことで「宝の山」に変えた。そこを原状回復せずに撤退したことで部族、軍が権利を主張し合い、あつれきを生んだ。
自衛隊は、宿営地について「イラク軍が使用することで県と合意した」とする。しかし、国造り途上にあるイラクで今後、どんな政権ができるかは予想できない。旧政権のような独裁政権が誕生した場合、その軍が自衛隊の造った基地を使って隣国への侵攻をうかがうことにもなりかねない。自衛隊の宿営地が軍事基地になるかもしれないこの問題は、もっと議論されてもいいはずだ。
「イラクのような不安定な国で、復興支援活動ができる組織は自己完結型の自衛隊しかない」との反論もあるだろう。しかし、サマワで今、日本の大手商社が進める大型火力発電所の建設現場をみると、そうした主張も詭弁(きべん)に思える。
商社は隣国ヨルダンを拠点に現地の請負業者を通じて工事を指揮し、作業は順調に進んでいる。失業、電力不足という2大課題の解決になることから現地の反発もない。しかも自衛隊が駐留していた当時に比べ、サマワの治安はむしろ悪化している。「軍服を着ない復興支援」は当初から可能だった。もしも、自衛隊派遣に使った支援額をこうした方法で発電所建設に充てていれば、サマワの電力問題は解決し、住民の日本に対する評価はずっと高かったはずだ。
自衛隊による現地医師などへの訓練の際、コーディネーターを務めたターリブさんは言う。「最先端の医療技術に触れ、夢のような時間だった。また、日本人はみな礼儀正し過ぎるほど、礼儀正しかった」。日本へのあこがれを強くしたターリブさんは来春、北海道の医大への入学を決めた。また、日本外務省の案件で、不幸にも使われないままのアスファルト製造機を納入した企業のアムラス社長は、外務省職員の姿を通し「国のために働く」ことを教わったという。
支援現場で、自衛隊員や外務省職員は住民と素晴らしい信頼関係を築いた。その分、日本政府が軍服による支援にこだわったことで、一部に強い反発を生んだことが私には余計、残念に思えるのだ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/
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