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http://moon.ap.teacup.com/komichi/108.htmlより転載。
2006/10/5
「負け組の格差社会容認と『裸の王様』」 政治経済
「下層」とか「負け組」とか負け組とか言われる低所得者層や不安定就業者層(パート・派遣など)とか言われる人たちが、新自由主義(=市場原理主義)路線による「(勝ち組・負け組の)二極分化」とか「格差社会化」と言われる現象を受け入れている傾向があるらしい。
例えば、以下の記事にあるように。
*『なんだかなあ』(tsurezure-diary 2006年9月19日記事)
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface.php/c91a10821052ffec04e71a4f1a878727/f3
*『格差社会は悪くない。悪いのは、あなただ!』(ニュースの現場で考えること 2006年9月10日記事)
http://newsnews.exblog.jp/4528619
私の知る限りでは、そういう人たちは若年層に多いという。そしておそらくは、新自由主義政策を推進してきた小泉政権(そしてその路線を継承するという安倍政権)の支持率が若年層に多いという現象とも無関係ではあるまい。
そういった「下層」とか「負け組」と言われる人たちは、小泉・安倍政権の新自由主義路線によって損を被った人たち……つまり犠牲者ではないか? それにも関わらず何故、それらを支持・肯定するのか?
『裸の王様』という童話のことを、私は思い出してしまった。
『裸の王様』は、多数派意見に流されることの愚かさと危うさを書いたものとして有名だが、もうひとつ、とても重要なことが示唆されている。
王様を含めた全国民が、何故インチキ仕立屋の仕掛けた詐欺にのせられてしまったのか? というか、何故「嘘くさい」と薄々気づいていながら、「それは違う」と言えなかったのか? ここが重要。
それは「王様の服は愚か者の目には見えません」とインチキ仕立屋が言ったからだ。そのために王様をはじめとした皆が、「それは嘘だ!」とか言う勇気がなかった。「それが見えないのは、お前がバカだからだ」と言われたくなかったからだ。
一度作られてしまった多数派意見に、多くの人々が異論をはさめずに流されていく場合というのは、だいたいこんなものではないだろうか。
つまり、自分が少数意見になって孤立し、なおかつ「駄目なヤツ」「劣った者」とかいうレッテル貼りをされるのを怖れる。そのあまりに、「自分の認識・感覚と良心に基づいて素直に本音を言う」ことができない、その勇気がない。
さて、どう見ても弱者・敗者な人たちほど、格差社会を肯定したがるのは何故か?
それも同じようなものではないか、と私は考えている。
つまり、それを主張することによって、「それはお前が、競争に勝てない無能者で、しかもそれを他人や社会のせいにする甘ったれだからだ」というレッテルを貼られているのを恐れているからではないか。
大きな原因のひとつにはそれがある、と私は思っている。
特に、若者に対して知名度や影響力のある有名人(私の世代では、例えば落合信彦という人がいた)などが、「これからは実力主義の時代だ! 厳しい競争が始まるが、真に実力ある者は這い上がれる。甘えは許されない」などとプロパガンダを行う。
若者というのは社会経験、特に大きな挫折経験などがないゆえに、社会の厳しさも、自分(を含めた人間)の弱さや限界というものに対して鈍感になりがちだ。根拠のない自信やプライド、「世の大人たちを見返してやりたい」などという妙な欲求ばかりが先行しがちである。
恥ずかしながら、かつての私にもそういうところはあった。
そのために、ちょっと耳障りの良い正論や格好のいい主張を吐く人がいると、すぐにそれに飛びつき、すがる。それらを支えにして、まるで自分の考えであるかのように主張。そうすることによって、自分が世の大人たちより偉く、優れた者になったかのように錯覚してしまう。
紅衛兵やナチスの突撃隊などのように、一部の扇動者によって若者が利用・洗脳されるのはそうした理由によるものではないか。おそらくネット厨房・チンピラ(おこじょさんによれば「ねっといなご」)になる若者たちも……。
新自由主義(=市場原理主義)を支持・肯定する若者たちも、それらと似たようなものではないか?
ただ彼らの場合は、ほとんどの場合、すぐに現実に直面させられることになってしまう。結局「勝ち組」になるのは、ホリエモンや村上某、オリックスの宮内某ら金とコネと情報を独占できる、ごく一部の者だけ。もちろん、実力でのし上がれた者もいるのだろうが、それもほんの一部だけ。実は、自分たちは最初から十分なチャンスすら与えられてはいなかった。イヤでもその事実に直面させられる。
でも、一度市場原理主義を肯定する論理を受け入れてしまった以上、今更それを否定することは簡単にはできない。何故なら、それをすれば「えらそうに大口を叩いたくせに勝ち組になれなかった、惨めな負け組の自分」というとても辛い現実を認めてしまうことになるからだ。
ちなみに、以前にも読んでくださった読者の方もおられると思うのだが、こんなエントリーを書いたことがある。
ここで改めて紹介しておきたい。
*「若年層小泉支持」の背後にある新自由主義への幻想
http://moon.ap.teacup.com/komichi/65.html
本文に関連するのは、特に第5回(http://moon.ap.teacup.com/komichi/56.html)です。
また、このシリーズを、加筆・修正を加えて再掲したいと思うのですが、なかなかそこまで手が回りません……。
P.S.
(以下略)
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