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撤退後のサマワ:自衛隊の残したもの/3
欲しかったのは「電力」
◇任務と要望にかい離
サマワ市内を流れるユーフラテス川沿いの歩道「コルニシュ通り」。日没前後から民族服の男性が憩う姿はメソポタミア文明の時代から現代に連綿とつながる悠久の歴史を感じさせる。歩道は日本外務省と陸上自衛隊が共同で補修し、街灯も取り付けた。サマワで最も美しい場所とされ、自衛隊員らが「サマワの青山通り」と呼んだほどだ。
しかし、住民の目は厳しい。歩道のベンチでセメント技師のアブ・ザメンさん(50)は「私たちの要望とはかけ離れていた。技術力のある日本がどうして歩道の補修なぞしたのか」。折あしく電力不足の影響で街灯の灯が消えた。「電気もないのに街灯を作るなんて」
こうした不満は珍しくない。自衛隊は荒れていた市内の式典広場を整備したが、植えた芝は今、半分以上が枯れている。「失業者がデモするだけの広場」と形容する住民も。当時、市との調整にあたった陸自幹部は「市の要望通りに芝を植え、スプリンクラーも設置した。塩分を含む川の水だと芝が枯れるので『真水を使うように』と指導もした」と引き渡し後の管理問題を指摘する。
◇ ◇ ◇
自衛隊、外務省の支援対象はイラク側の要望に応じて決まる。日本政府は支援を「発展の基礎作り」と位置付け、道路補修、学校修復などが主体となった。「大規模事業は安全になった後に企業主体で実施する予定」(外務省筋)のためだ。だが、サマワ市幹部は「式典広場整備は最優先事項ではなかった。大規模事業を要求したが断られた」と語り、認識の溝の深さをうかがわせた。
サマワ市評議会のカーシム・ジュベル・アブドルフセイン議長(46)も自衛隊の活動を評価しながらも「私たちが期待したのは巨大事業。特に電力事業が必要だった」と語る。住民も「最も欲しかったのは電気」と口をそろえる。04年夏、デモが頻発したのも失業と電力不足が原因だった。
夏は日中の気温が50度を超えるサマワ。今でも電力供給は1日あたり6〜10時間だけだ。ムサンナ県電力配電局によると、旧フセイン政権時代に1日80メガワットだった同県の電力消費量は今夏、1日最高200メガワットまではね上がった。住民が衛星テレビやエアコンなどの電化製品を使用するようになったことが深刻な電力不足につながっている。
◇ ◇ ◇
サマワ中心街から南に車で約10分。日本外務省が政府開発援助(ODA)として供与する大型火力発電所の建設現場が姿を現す。ムサンナ県電力局のサアド・ラヒム・サルマン局長と現場に入ると炎天下、約200人が作業にあたっていた。
地元業者による工事は今年3月に始まった。07年11月に60メガワットの電力供給を目指す。サルマン局長は「電力供給と失業対策という住民の要求にかない、不満改善につながる」と期待を寄せる。「軍服によらない貢献」なのでイスラム教シーア派反米強硬派のサドル師派も支持しているほどだ。
もっと早く電力不足に対応すべきだったとの意見は自衛隊内にもあったという。陸自幹部は「電力事情の改善は必要と考えていたが、任務は補修や整備で、発電所の新設はできなかった」と語る。自衛隊は任務と現地の要望とのはざまで苦しんでもいた。【サマワ(イラク南部)で小倉孝保、社会部・反田昌平】=つづく
毎日新聞 2006年10月5日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20061005ddm002010087000c.html
関連記事―
撤退後のサマワ:自衛隊の残したもの/2 部族に守られ攻められ―「毎日新聞」
http://www.asyura2.com/0610/senkyo27/msg/224.html
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