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東京新聞10月2日特報欄より
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061002/mng_____tokuho__000.shtml
東京に住む原爆被爆者の有志と東京空襲の被害者が二十一日、東京都内で「戦争で被害を受けたすべての市民に償いを」と題してピースウオーク(平和行進)を行う。両者の「共闘」は戦後六十一年で初めて。実現した背景には、軍人恩給のような補償がない民間戦災者共通の思いと、「戦争被害は受忍(我慢)すべきだ」と放置してきた国への反発がある。高齢化した参加者たちが国への償いを求めて連帯する理由とは。 (橋本誠)
■「地獄は同じだ共にやりたい」
「広島ではお年寄りや子供も一斉にやられたが、それは東京だって同じ。熱風に焼かれて、みんな川に飛び込んだんだから…」
東京空襲で家を焼かれた後、広島で被爆した男性(80)は、今回のウオークに臨む心境をこう語る。
構想が持ち上がったのは、国に謝罪と補償を求める集団訴訟の準備を始めた東京空襲犠牲者遺族会が今年三月に開いた集会。長崎で被爆した吉田一人さん(74)が「国は原爆の被害は地獄だと言いながら、その地獄を我慢しろと言っている。地獄というのは爆弾の種類こそ違うが、東京大空襲だって同じだ。仲間ができて励まされた。一緒にやっていきたい」と呼びかけた。
これに、昨年開かれた「東京大空襲展」に参加したボランティアでつくるグループ「和・ピースリング」が応じ、被爆者と空襲被害者に参加を打診。どちらも国が戦争を始め、遂行した責任や、戦後も被害者を放置した責任を追及する意向が共通しており、八月下旬に賛同者が集まって開催を決めた。
当日は東京・浅草で集会を開き、被爆者と空襲被害者が被災体験を語る。支援する弁護士も参加。近くの花川戸公園から雷門前を通り、隅田川に架かる吾妻橋まで約二キロを歩く。高齢者が多いため、短いコースも用意。横断幕には「政府はすべての戦争被害者・遺族に差別なき償いを!」などと書く予定だ。
「和・ピースリング」のメンバーで、東洋大学非常勤講師の山本唯人さん(34)は「被爆者が補償を訴えると、政府は『一般戦災者との均衡が崩れる』と言い、一般戦災者が訴えたら、『被爆者との均衡が崩れる』と言ってきた。ともに声を上げれば、政府の分断政策に振り回されない活動ができる。戦後の平和運動史で越えられなかった壁を越えたい」と意気込む。
東京空襲訴訟で原告団長を務める星野ひろしさん(75)は「被爆者と一堂に会することは画期的で、運動に新たな道を開く。中国残留邦人や強制連行訴訟など他の戦争被害者とも連帯したい」と期待する。
■「力強く思った」被爆者側も歓迎
被爆者にとっても、核兵器廃絶、原爆被害の補償に関係ない人たちと行動するのは初めて。参加する山本英典さん(73)は「初めは戸惑いも感じたが、一般空襲の方たちが表舞台に立って運動をもり立てる状況になったと力強く思った」と歓迎する。
被爆者が原爆症認定を求めて争う集団訴訟の内藤雅義弁護士は「被爆者の話を聞いていると、亡くなった人への思いが強い。人が愛する人を失うのは特別なこと。それは空襲の被害者も同じ」と理解を示す。
■空襲被害者への補償認められず
戦後、軍人・軍属やその遺族には恩給制度などができたが、民間人を補償する制度はなかった。
初めて声を上げたのは被爆者だ。一九五六年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を結成。国が戦争責任を認めて償う「国家補償」の被爆者援護法制定を求める運動を始め、認定被爆者の治療費を国が負担する原爆医療法などが制定された。政府はあくまで「地域福祉の一環の社会保障」としたが、七八年、韓国人被爆者が国を訴えた訴訟の最高裁判決は「原爆医療法は実質的に国家補償的配慮がある」と認める。国は衝撃を受け、厚相(当時)の諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)での検討を余儀なくされた。
このころ、一般の空襲被害者の一部にも政府に補償を求める活動が起こったが、大きなうねりにはならなかった。星野さんは「軍人、軍属に比べ、民間人が差別されている問題には、あきらめのムードがあった」と振り返る。被団協の田中煕巳(てるみ)事務局長(74)は「被爆者にも『一般空襲と原爆の被害は違う。原爆の悲惨さへの補償が第一』という考え方があった。空襲の被害者の行動に期待したが、こちらから呼びかける力はなかった」と話す。
八〇年一月には、東京大空襲で家族を失った男性が国を訴えた訴訟の判決で、東京地裁が「戦争被害は公法的受忍義務の範囲内」として請求を棄却。その年の十二月、基本懇が「戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとでは、生命・身体・財産等に犠牲を余儀なくされても、すべての国民が等しく受忍しなければならない」と打ち出した。
この「受忍論」は八七年、空襲で片腕を失った名古屋市の女性らが国を訴えた訴訟の上告審判決にも適用され、原告敗訴が確定。田村和之龍谷大法科大学院教授(行政法)は「等しく戦争被害が生じているというが、人命、財産、健康などを失った人もいれば、そうでない人もいる。論理的でない」と指摘するが、この最高裁判例は今も全国の空襲被害者にとって厚い壁となっている。
国は自・社・さきがけ政権の九四年、ようやく原爆医療法の枠を超える被爆者援護法を制定したが、「国家補償」の文字はなく、「国の責任において」というあいまいな表現に。国会答弁で政府側は「国の戦争責任を意味するものではない」と国家補償の性格を否定し、現在に至っている。
こうした歴史を経て、昨年八月、東京空襲犠牲者遺族会が集団提訴を決めたことは、民間戦災者が手を結ぶ受け皿ができたことを意味した。担当する中山武敏弁護士は「訴訟では、直接国家の責任を問う。一般国民の中にもある『戦争の場合は仕方ない』という考えも問うていく」と語る。
■償わせないと戦争容認になる
被爆者側にも、あらためて国家補償を求める機運が高まっている。「政府は補償の対象を放射線被害に限定し、爆風も熱線も考慮しない。一般的な戦争被害の補償に広がらないよう、特殊なものとして扱っている」(田村教授)事情があるからだ。「国家補償の旗をもう一度掲げ、戦争を起こしたら、どんなに財政負担が必要か分からせないと、戦争容認になる」(山本さん)との声が出ている。
「受忍論」は、中国残留孤児らが日本政府を訴えた訴訟で大阪地裁が昨年七月、原告敗訴を言い渡した判決に適用されるなど、今も生きている。
内藤弁護士は言う。「空襲被害者にも被爆者にも、もうすぐ自分たちがいなくなる状況で憲法が変えられ、戦争が過去のことにされていく危機感がある。本当は一緒にやらなくてはいけなかった。もっと早くできれば良かったが、どんなに遅くても遅すぎることはない」
<デスクメモ> 受忍という言葉は「迷惑をこうむっても我慢すること」(広辞苑)。見知らぬ人からの電話勧誘や迷惑メール…日々、腹立たしいことは多いが、戦争被害が「受忍義務の範囲内」とは驚きだ。これじゃ、空襲などで肉親を失った民間人は浮かばれない。被害者には時間がない。愛国心教育以前の問題か。 (吉)
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加藤紘一実家放火犯人の「愚挙」を義挙にしようと策動している一部右翼がいるが、このようなつまらないことにしか目が向かないようでは、運動など辞めてしまったほうが余程國のためだ。
本当の愛國運動とは、庶民の声を救い上げることだ。
byレディウルフ@石井一昌のパートナー兼護國團情宣局長
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