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最近の暴行や中傷を「いじめ」と扱う表現には怒りを感じる。
たとえ未成年であっても、誹謗中傷は誹謗中傷、名誉毀損は名誉毀損なのだ。未成年だから自殺する時の暗黒は一緒なのだ。自殺する奴は大人でも子供でも死ぬ前に「お前は自殺しろ」と言う誘いが来ているはずだ。自殺者が未成年の時に限り「強く生きろ」というのは「まだ子供だから大した悩みなんかないだろ」という意味なのだ。未成年だからその暗黒が小さい訳ではなく、10歳でも20歳でも60歳でも自殺する時は、暗黒だ。
大体、未成年だから善悪がつかないという訳ではない。未成年だって両目は開いている。躾は一生必要だ。人間は常に他者に躾されるのだ。子供だからと言って猿という訳ではない。明らかな人権侵害や侮辱を「いじめ」として「子供が強くなるための必要悪」とするから加害者がのさばるのだ。「子供の人権」などと特別扱いするな。未成年でも成年侮辱は侮辱、暴行は暴行、恐喝は恐喝なんだ。「いじめ」じゃなくて犯罪なんだ。「いじめ」を根絶することは、「いじめ」という言葉を根絶することから始まる。
集団無視は集団無視、犯罪は犯罪、暴力は暴力とはっきりと記述する。そこから「いじめ」とされる事象はなくなっていくのだ。
たとえ子供であっても、人間を虫けらのように扱う人間とは闘うべきだし、未成年なら止むを得ないとして見殺しにする心があってはならない。生きるための闘いを「いじめをなくす取り組み」などと矮小化してはならない。人間の尊厳を踏みにじった奴はたとえ被害者が未成年であっても糾弾されるべきだ。しかし、加害者の人権も配慮すべきだろう。加害者が同様の行為を繰り返さないことが目的であって、自殺させるのが目的ではないのだから。加害者を許すことは難しいが、許すことも大切だ。マスコミはイエスの精神を最も正しく受け継いでいると思われるアーミッシュの人々の加害者の家族への接し方に学ぶべきだ。自殺者の遺族にとって、どれ程加害者を許しても、本当に心の底から許すことはできないのだ。第三者が阿修羅や2ちゃんねる、ザ・掲示板、チャンネル桜などのネットで「もうそろそろこの教師の話題やめようぜ」「そうだ。そうだ。他の話題がいい」と思っても、遺族だけは忘れないだろうから。
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