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□日本核武装論を嗤う [ビデオニュース・ドットコム]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061031-02-0901.html
2006年10月31日
日本核武装論を嗤う
吉田康彦氏(元IAEA広報部長)
北朝鮮の核実験を受けて、日本の核武装の是非が盛んに取り沙汰されている。
しかしそうした一連の議論は技術的に日本が核を保有する能力を持っているか否かや、核武装が憲法上認められるか否かといった観念論の域を出ていないかに見える。
その一方で、日本では殆ど報道されないが、日本はIAEA査察官が8人も常駐するれっきとした核査察対象国だ。北朝鮮の核実験直後の米国主要各紙の報道にも見られるように、世界の目は日本の核武装の可能性について、日本人の想像を遙かに超えるほど敏感になっている。
核拡散を防ぐための査察を行う国連機関IAEA(国際原子力機関)で日本支部の広報部長を務めた経験を持つ吉田氏は、そもそもIAEAという組織が、戦後日本とドイツの核武装を防ぐことを最大の目的に結成された組織であることを、日本人の多くが正確に認識できていないのではないかとの疑問を呈する。
吉田氏は、日本の核保有が技術的には可能だとしても、万が一日本がそのような方向に一歩でも踏み出せば、国際政治上大変な代償を伴うと言う。日本が核兵器を保有するためにはNPT(核拡散防止条約)を脱退する必要があるが、その際に起きるだろう国連安保理による制裁や各国からのエネルギー供給の停止に、資源の無い日本が耐えられるはずがないというのだ。
果たして核武装論者はこうしたリスクを理解した上で核保有を主張しているのか、と吉田氏は訝る。
また、吉田氏は、北朝鮮の関心は「一にも二にもアメリカ」であり、今回の核実験は米朝二国間協議を実現させ、将来的にはアメリカとの国交正常化をするための手段に過ぎないとの見方を示したうえで、視聴率目的で情緒的な北朝鮮脅威論を煽るメディア報道に苦言を呈する。
そもそも核兵器とは何なのか。日本の核武装は国際的にはどのような意味を持つのか。日本は今後北の核の脅威にどう対応していくべきなのか。吉田氏と共に考えた。
神保哲生氏(ジャーナリスト)・宮台真司氏(社会学者)によるコメント
神保 吉田節炸裂という感じだ。一方で、吉田氏のような正論は、今の言論の場では話す機会がないのでないかと感じた。番組で全部言わせてもらおうという強い意志を感じた。
吉田氏は湾岸戦争の頃に、元国連の職員の肩書きで「朝まで生テレビ」などによく出ていた。当時の日本はまだまだ、PKOすら憲法に抵触する恐れがあるというレベルの議論が行われていた時だったから、そうした中でPKOに自衛隊を出すのは当然との論陣を張れば、当然「右」のレッテルを貼られることになる。
ところが北朝鮮問題、特に拉致問題が出てきてから、この問題を北朝鮮バッシング一辺倒ではない、ある程度抑制の利いた議論をしたために、北朝鮮擁護者だということで一気に「左」扱いされるようになった。
宮台 興味深い現象だ。例えば、日本がどのように15年戦争に入り、それがどのように太平洋戦争につながったのかについて歴史の本を読むと、世論の動きは、ある種の感受性のブレに見える。それだけ大きいものなのだろう。逆に言えば、記憶力をしっかり持っていないと、結構この国は怖い。
神保 個人の立ち位置が変わらなくても、日本の世論が動いたということだろうか。健忘症、集団健忘症とよく宮台さんが言っているものだろう。
あれだけバッシングされても、自分の意見を言い続けているのは立派だと思う。
今の世の中の見方は「とにかく北朝鮮が全部悪い」という前提で進んでいるから、客観的な状況を理解するためにも吉田氏の意見は貴重だと思う。
確かに北朝鮮が世界の問題児である事は紛れもない事実だが、かといって北朝鮮側に1分の理もないのかは慎重に考えてみる価値はあるだろう。北朝鮮が日本を敵視して、例えば日本は北朝鮮にミサイルを向けているわけはないのに、北朝鮮は日本にミサイルを向けているではないかということを言う人がいるが、実際は在日米軍が十分北朝鮮を標的にしたシフトを敷いている。北朝鮮や中国から見れば、日本か在日米軍かは関係ない。つまり、相手の立場から見れば、日本は十分に脅威となっていることになる。なぜこのような単純な見落としが起きるのだろうか。
宮台 見落としというより、まともな感情のプログラムがインストールされていない人が多いのだろう。「元も子もない」という現象だ。例えば、最近の若い人に目立つ現象はすぐにブチキレることによって元も子もなくしてしまうことだ。例えば自分の彼女が浮気をしたことに対して怒るのは当然だが、怒りすぎれば関係が壊れて元も子もない。最後は自分の所に戻ってくれるにしなければいけない。
複数同士のグループ交渉になった場合は、一枚岩ではだめで、片方が強硬路線で行って、もう片方が抑える側に回って話しをまとめるのが、最終的な交渉力は一番高い。外交においても同じことがいえる。
他者から見たときに自分がどう見えるのかをイメージをコントロールすることによって、相手をコントロールすることが重要だ。言いたいことを言ったり、爆発的に表出すれば、カタルシスはすっきりするが、最終的な決着点は不利になってしまう。
神保 本来であればキレるのも、相手から有利な条件を引き出すための戦略でないと困るのだが、どうも日本を見ていると戦略ではなくベタで切れているかにも見える。日本人は子供なのだろうか。
宮台 素朴なのだろう。大変痛い目にあうことを、日本人は民族的に経験を語り継ぐことによって、他人の感情を織り込んだうえで表現をしないと社会関係は営めないことを学ぶのだろう。
神保 もうひとつ気になったのは、情報の偏りだ。個々の情報には色々な立ち位置があって、それぞれの立ち位置から見ているから偏っていて当然で、そういった色々な立ち位置の情報があれば全体像が見えてくるのが、本来メディアのあるべき姿だが、日本は一辺倒だ。ひとつの流れができると、それに沿ってない情報は排除されるか、叩かれるか、自然に消えていくというのが日本の繰り返しのパターンになるのは、なぜだろうか。
宮台 いじめ現象の背後にあることだと思うも。ある種の分離不安だ。共同体の全体的ノリのなかに自分がうまくはまり込んでいないと、村八分、孤立感を味わうことがある。
神保 では、叩きたくなるのはなぜだろう。
宮台 共同体的メカニズムが原因だろう。ある種のお祭り体質の人間たちは、声をそろえる、行進することで身体的に高揚する。同じメカニズムで、同じ敵を共有することでシンクロ度合いが高まる。「共同身体性」を演出するときに必要な道具として敵がある。
神保 それにしても、メディアをやっている人たちは、本来は狭き門をくぐってきた優秀な人々なはずだから、実はわかってやっている可能性はないだろうか。正論を述べる人たちには自分たちの贖罪意識を刺激するので、それを叩きたくなるのではないか。
宮台 それは、ネタであるはずの「あえての」振る舞いがベタになることに近い。思い通り振舞えば、正義の表現であっても、組織のなかでポジションを失ってしまい、最終的には影響力がなくなってしまう。
ミイラ取りがミイラにならないためには、イニシャルな志やオリエンテーションをどう維持し続けるかが大切で、それには人間関係が必要だ。本音の部分を隠して会社の中で行動するなら、本音の部分でコミュニケーションし続けるネットワークを維持することを意識的に行う必要がある。
神保 今回の吉田氏の主張は、主要メディアに出ている情報と大分違うが、極論ではなくそれなりに合理性があるように見える。最初のスタート地点、つまり94年米朝枠組み合意がくずれたのは何故なのかを見逃すと、それだけでボタンの掛け違いが起きてしまう。
つまり、アメリカが枠組み合意を壊したのではないかと言われた瞬間に、ここまでのストーリーの前提が崩れてしまうわけだ。確かに北朝鮮はウラン濃縮による核開発を進めたが、ウランについては米朝合意には何も書いてなかったというのはその通りで、これは結構な「からめ手」だ。しかし、普通の人はそこまで思い出せない。
宮台 逆に言えばアメリカは私たちの忘却癖をうまく利用して情報宣伝活動をしているということで、それは見習うべきものだ。
神保 それに対して、日本人は忘れやすいし、子供っぽいということか。困ったことだ。
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