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(回答先: 警察・検察について/守大助 投稿者 white 日時 2007 年 1 月 20 日 11:22:58)
□守大助さんの最終意見陳述全
http://eritokyo.jp/independent/fujisawa-col0004.html
守大助さんの最終意見陳述全
藤沢 顕卯
2007年1月22日
私は、やっていません。この5件も含めて、どの患者さんに対しても一切、筋弛緩剤を点滴に入れたりしたことは絶対にありません。
私は、逮捕された平成13年1月6日の日から全ての時間がとまっています。刑事さんが自宅に来たとき、これから3年以上も自由を奪われ、親ともSさんとも自由に会えない日々が続き、凶悪な殺人事件の「被告人」として裁判を受けなければないこと等、全く思いもよりませんでした。今でも、今どうして自分がこんな状況になっているのか訳が分からなく、自分は悪い夢を見ているのではないかなどと考えることもあります。
私は、逮捕されるまで、いや逮捕されてからも半田教授のことを信じていました。半田教授から誘われてクリニックに就職し、就職してからも最先端医療と思っていたFESに自分が関わることができて、誇りに思ったりしました。教授の「これからクリニックは大きくなっていく、発展していく」という話を聞いて、教授についていこうと思っていました。両親に対しても、私は教授にずっとついていくと話していました。
平成12年12月4日、私は、私が信頼していた教授から何度も頭を下げられ辞めて欲しいと頼まれた以上は、受け入れるしかないと思ったのです。決してすんなり辞めたわけではありません。そして、逮捕された後も、私は、早く教授がきて刑事さんに説明してくれないかと本気で考えていたのです。そんな教授に裏切られて、大変残念です。また私もそんな教授にずっとついていこうなどと考えていたことは、大変悔しいです。
私は、半田教授から言われるまで、一度もクリニックを辞めようなどとは考えたこともありませんでした。仕事の内容としても、FES手術の介助はやりがいがあったし、婦長さんをはじめ他の職員の皆さんとも仲良くさせて頂きました。郁子先生との関係は、確かに、仕事上こうして欲しいというところはありましたが、それは職員の誰もが持っていた不満であって、職員と雑談の中で一緒に話しただけです。それ以上に腹を立てたりしていません。まして、郁子先生を困らせてやろうと考えたことなど一切ありません。
私事ですが、これは裁判でも出てきたことですが、私はSさんと一緒に暮らしていました。二人で生活する前には、私の両親に会ってもらい、平成12年4月から一緒に生活し、毎月のように私の実家に二人で帰ったりしていました。クリニックを退職してからも、彼女と旅行したりして楽しく過ごしてきました。クリスマスに光のページェントで彼女と撮った最後の写真、今も拘置所の部屋に入れています。
年末は同級生と忘年会をしたり、彼女と実家に帰り、両親に旅行したことなどを話しました。そして、2001年を迎え、新年会にも参加して、1月4日、5日と逮捕される前日にも彼女と実家で新年を楽しく過ごしていました。
そんな楽しい、今思うとささやかですが本当に幸せだった日々を過ごしていた私が、どうして患者さんに筋弛緩剤を投与しなければならないのですか。患者さんに何の恨みもありません。むしろSさんやK君とは親しくして頂いて、私も好きだったのです。何で、そのような患者さんまで私は殺そうとしなければならないのですか。そして、自分の人生をこの3年間のように滅茶苦茶にしようとしなければならないのですか。
私が看護師の仕事につきたいと思ったのは、私が膝を痛めたときに、入院先のお医者さんや看護師さんに大変よくしてもらったことがきっかけでした。優しくして頂いたことがとてもうれしかったので、私も患者さんに対して、少しでも自分が役立ちたいと思ったからです。実際に看護師の仕事についてからも、その気持ちは忘れないようにしてきたつもりです。元気に退院していく患者さんの姿をみるのはうれしかったです。患者さんから有り難うといわれるとうれしかったです。
それなのに、私は、准看護師でありながら、患者さんを殺そうとした人間と疑われているのです。こんな疑いをかけられること自体大変悲しく、悔しいです。
私は早く帰りたい、早く自由になりたい。あの1月6日に私の時計が止められてからずっと、ずっとそればかり考えてきました。
あの1月6日にも、とにかく早く家に帰してほしかった。もう怒鳴られたりしたくなかった。いくらやってないといっても無駄な気になったのでした。やっていないという以上は、家に帰してもらえないと思いました。本当にいやだったのです。そして、私がやったといっても警察が調べてもらえればすぐに間違いだと気がついてくれると思いました。私は警察を信用していました。尊敬する父の同僚である警察官を信用していました。私は、家に帰してもらえると思い、刑事のいうことにうなずいたのでした。今思えば、バカみたいですが、それで本当に家に帰してもらえると思ったのです。でも、3年以上たった今でも私は家に帰れません。
「なぜやってもいないことを自分がやったと言ってしまうのか、やっているからこそ認めるのだ」と思われるかもしれませんが、それは全く違います。
私も体験して初めてわかったことですが、やっていなくても、やったと言ってしまうこと、嘘の自白は誰にでも起こりうることです。やっていない人でも、警察官に怒鳴られ、徹底的に非難され、いくらやっていないと言っても全く聞いてくれない状況が続けば、肉体的な暴力を受けなくても十分に精神的な苦痛を受け、やっていないと抵抗し続けることができなくなってくるのです。まして、私は、当日彼女も別室で取り調べを受けているのであり、私と同様な取り調べをされているのではと心配になったのです。
裁判では、警察官が取調べのことについて、全くでたらめなことを言って本当に腹が立ちます。彼らは密室での取り調べをいいことに嘘ばかりじゃないですか。こんなでたらめな証言を今後許さないためにも、取り調べについては、是非録画、録音を義務づけて欲しいと思います。
私が、1月9日にやっていませんと否認した後の取り調べもひどいものでした。刑事からも検事からも人間扱いをされませんでした。人間以下だ、人間のクズ、人殺し、殺人者、安らかに死刑を受けろ、お前なんか死ね、さっさと死ね!といった言葉の暴力を毎日朝から深夜まで受け続けました。父親が変だからお前も変なんだ!ふざけた父親だ!恥さらし親子だ!などと父のことも侮辱されました。背もたれもない丸椅子にされたり、背もたれつきのパイプ椅子のときでも背をつけることを禁じられたり、姿勢が悪いと怒られたりしました。やってない証拠を出せということもよく言われました。そして反省しろ、お前しかいないんだ、俺と裁判官がお前を死刑にしてやると言われました。
私は何もやっていないのだから、やっていないというのは当たりまえじゃないですか。それなのにどうして、人間以下の扱いを刑事や検事から受けなければならないのですか。1月9日から、4月20日までは、今思いだしても本当に地獄のような日々でした。でも、私は、1月6日の時のように、彼らの言葉に屈しませんでした。自分をしっかりもってやっていませんと言い続けました。私の話などを無視して作られた調書にも一切署名指印はしませんでした。それができたのは、弁護士の先生達が毎日励ましてくれていたこともありますが、私自身が何もやっていないということに自信があり、もはや警察は信用できず、やったということにつながる調書に署名してはダメだと自覚できたからにほかなりません。
裁判の結果については、私は無罪しかありえないと思っています。なぜなら、何もやっていないということは、ほかならぬ私自身が一番よく知っているからです。いくら警察や検察が、私を犯人とする証拠をつくってきても、裁判官には必ず真実をみてもらえるものと信じております。検察が私を殺人犯にするために出してきた証拠の中にも、私が無実であることの証拠が多く見られると思います。弁論で先生達が言ってくれたように、証拠からも無罪しかありえないと信じています。
私は、半田教授や郁子先生と違って社会的地位も名誉もないただの准看護師です。それでも公正に審理していただけると信じています。そして、こんな私でも、家族や彼女、友人、救援会、支援者の皆様が私の無実を信じて私を支えてくれています。また弁護士の先生達は、私が逮捕されてからずっと、忙しい中を私のために毎日交代で面会に来て励ましてくれました。
私がこの3年間何とか頑張ってこられたのは、やっていないということを私自身一番わかっていることもありますが、皆さんの支えがあったからです。本当に感謝しています。私は、早く自由になって私を支え励ましてくれる方々に対して直接会ってお礼がしたい。その日が早くくることを信じています。
この事件のために、私自身や家族、彼女の人生の貴重な時間を台無しにされました。また、この件のために私だけでなく家族、彼女、友人はどんなにつらい思いをしたことでしょうか。この件を担当した警察官や検察官らが、ある一部の人達の言葉をうのみにすることなく、きちんと調べてくれてさえいれば、こんなことにはならなかったはずです。私を犯人と思いこむことなく、慎重に捜査をしてくれてさえいれば、私が筋弛緩剤を点滴に混入したりしていないことは当然わかったはずです。そういったきちんと調べてくれる警察官や検察官がこの件を担当した人の中にいなかったことはとても残念です。
あらためて最後に言います。私は、どの患者さんに対しても筋弛緩剤を点滴に混入したりしたことはありません。私はやっていません。私は無実です。信じて下さい。本当のことを分かって下さい。よろしくお願いします。
※ 以上は2004年2月10日の一審最終公判で守大助さんが涙ながらに読み上げたものです。
患者さんなどの個人名は仮名に変えています。