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http://outlaws.air-nifty.com/news/2007/01/post_e0aa.html から転載。
2007年1月10日 (水)
ジャーナリスト山岡俊介が「武富士」事件で全面自供情報源を警察・司法権力に売り渡していた
03年12月、盗聴を指示した疑いで武井保雄武富士会長(当時、故人)が逮捕された。いわゆる世に言う「武富士盗聴事件」である。そして、この事件が「東京アウトローズ」元編集長の山岡俊介らに対して仕掛けられたものであったため、あたかも山岡が「世界一の富豪を塀の中に落とした貧乏フリーライター」であるかのように喧伝された。
しかし、山岡はジャーナリストとして絶対にしてはならないことをしていた。自分の身を守るために、情報源を積極的に権力に売り渡していたのである。
盗聴事件に先立つ03年5月、中川一博元武富士課長と大塚万吉氏らが武富士に対する恐喝未遂容疑で逮捕されるという事件がおきた。中川元課長は同容疑では不起訴となったが、内部資料を持ち出したとして業務上横領の罪で再逮捕・起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けている。また、政財界や闇社会にも幅広い人脈を持つとされるフィクサー大塚万吉氏に至っては、実刑判決を受け服役せざるを得なかった。
本誌は、この恐喝未遂事件に関連して、山岡俊介が東京地検において任意で供述した調書を入手した。日付は03年6月27日。この調書には、山岡が02年10月に中川元課長を大塚氏に紹介した経緯について記されていた。以下、その核心部分を抜粋する。
「私(山岡)が次に中川に会ったのは、(02年)9月30日のことで、場所は飯田橋にあるコージーコーナーでした。私は、この時、中川と2人で話をし、どうして私のところに電話をしてきたのかを中川に尋ねました。すると中川は、私に『私は武富士を飛び出してきた。私は武富士の資料を持っている。私には5000万円の借金があるので、その資料をお金にしたい』などと言ってきました。
そして中川は、その内部資料の内容について『武富士が暴力団や右翼団体に利益供与をしていること。武富士と警察との癒着。武富士が盗聴を行っていること』などを明らかにするものだと話し、中川が私のことを知っていたのは、武富士の武井保雄会長からの指示で、私の自宅の電話を盗聴していたからだという話をしてきました。
私は、中川の話を聞いて、武富士が私の自宅の電話を盗聴していたことに驚くと共に、中川が持っている内部資料は、武富士が行っている不正な行為を暴くことができるものなのではないかと思い、大変興味を持ちました。
ただ、その資料をいわゆる内部告発として純粋に武富士の不正を暴くためであればともかく、中川は、その内部資料を金に換えたいと言ってきたので、そのような内部資料を金に換えるために取り引きすることは、どんな罪名になるか私には分かりませんでしたが、目的が正当ではないので犯罪になるのではないかと思いました。
それで私は、私自身、中川の5000万円の借金を返済できるほどの金額を支払ってやる金はもともとありませんでしたし、中川が持っているという内部資料を金で取り引きすれば、私自身も犯罪の共犯になってしまうと思ったので、その内部資料を私が入手するためには慎重にしなければならないと思いつつ、ただ、ここで金の件を断ってしまえば、せっかくのネタ元である中川が、私から離れてしまうと思ったので、中川に対して『誰か適当な人がいないか聞いておきます』などという曖昧な答えをしたと思います。
私は、9月30日にこのように中川から話を聞いたときに、大塚万吉であれば、私たちジャーナリストのネタ元になるくらいたくさんの情報をもっており、政財界だけでなく、闇社会にも人脈があるので、中川の借金を返せるくらいの金を、中川が持っている内部資料のために出す人間を知っているかも知れないと思いました。
それで私は、その日のうちかその翌日には、大塚に対して、電話で、武富士の社員の中川が、武富士の内部資料を金に換えたがっているという話をしたと思います」
言うまでもないことだが、中川、大塚両氏は山岡にとって重要な情報源であった。しかも両氏が恐喝容疑などで逮捕・起訴されている最中に、山岡はこのような供述を検察側にしていたのである。
なお最後に、本誌が調書を入手したのは、山岡が「東京アウトローズ」編集長を辞任した後であったことを付言しておきたい。