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神戸小学生惨殺事件への疑問 特殊な切断方法はなぜ問われないか
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投稿者 white 日時 2007 年 1 月 09 日 20:14:08: QYBiAyr6jr5Ac
 

□神戸小学生惨殺事件への疑問 特殊な切断方法はなぜ問われないか

 http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/toda2c/shakaiundo.htm

神戸小学生惨殺事件への疑問
特殊な切断方法はなぜ問われないか

戸田清
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はじめに

 一九九七年五月二十四日に神戸でB少年が犠牲になってから一年あまりが経過した。その「犯人」としてA少年が十月に医療少年院に入れられてからも半年以上たっている。一九九七年六月の逮捕以降のマスコミを通じたキャンペーンなどによって「A少年が犯人である」という圧倒的な「社会的心証」(1)が形成され、今日に至っている。A少年の逮捕と少年審判を経て、法曹関係者もマスコミも学者・文化人も教育界も政治家も、A少年が犯人であるという大前提で議論をしている。しかし、A少年犯人説に対しては合理的な疑いが少なからず存在し、再検討が必要であると思われる。多くの問題点があるが、今回は、私にとってもっとも印象的な「切断方法」とその周辺の論点に絞って検証したい。「A少年は冤罪である」という断定は差し控えるが、「A少年犯人説には重大な疑いがある」というのが本稿の前提である。

第二頚椎の切断

「文藝春秋』一九九八年三月号に掲載された検面調書(検事調書)および神戸家裁決定要旨(一九九七年十月十七日)によれば、頭部切断の「公認ストーリー」はつぎのようになっている(2)。すなわち、タンク山のケーブルテレビアンテナ施設で、B少年の遺体を局舎の床下から引っぱり出して仰向けにし、首が溝の上付近にくるようにして置き、B少年の死体の目や顔を見ながら、糸ノコギリもしくは金ノコギリで首を切ったというのである。アンテナ施設という「切断場所」については、検面調書と決定要旨の記述は一致する。「切断道具」については少しやっかいである。切断場面を供述した一九九七年七月七日付検面調書および向畑の池への道具投棄を供述した七月九日付検面調書では糸ノコギリとなっているが、警察によって「発見」されたノコギリを提示されて尋問された七月十七日付検面調書では金ノコギリに訂正された。七月六日の向畑の池捜索で発見されたのは金ノコギリだったからである。決定要旨では、金ノコギリとして事実認定された。

 バラバラ事件でみられるというノドボトケのあたり(第五頸椎と第六頸椎の椎間)での切断であれば、このような切断方法も可能であったかもしれない。しかし、実際に切った部位は、第二頸椎という高い位置であったという驚くべき事実がある。この事実は、B少年の頭部が発見された当日の兵庫県警の記者会見(正式発表)で明言されているにもかかわらず、警察はその後いっさい説明(いかにしてその部位の切断が可能であったか)をしていないし、少年審判の過程でもまったく無視されたと推測するほかはない。マスコミや識者(特に医師)による言及もほぼ皆無である。第二頚椎は、正面から見ると顎のうしろに隠れてしまう部位である。第二頸椎を切断するためには、首を強くのけぞらせる必要があり、そのためには切断場所に深い段差が必要である。第二頚椎切断という事実があれば、図のように、「首をのけぞらせた」「段差」ということは医学的な常識から自動的に導き出されることである(このことは、念のために一〇人あまりの医師にも確認した)。ところが、私は現地を見たが、アンテナ施設には深い段差はなかった。したがって、検面調書のなかの切断場所については、虚偽自白であると断定するほかはない。第二頸椎切断という物的証拠と供述内容が論理的に矛盾するからである。

 もしアンテナ施設という「切断場所」を生かすとすれぱ、金属製なり木製なりの板を持ち込むなどの方法で深い段差を人為的に作るしかないが、そのような供述内容はない。少年法の趣旨からいって、『文藝春秋』が検面調書を「公表」したことは、非公開原則に照らして不当なことであるが、そのことはここでは論じない。「公表」されたのはすべての検面調書ではなくて、一部である。しかし、公表されていない検面調書のなかに、もし万が一、第二頸椎切断という物的証拠と論理的に整合する供述内容(板を持ち込んだなど)があったとすれば、それはそれで新たな大問題である。検面調書相互の重大な内容不一致が発生して事実認定が不可能になるからである。また、決定要旨の第四項目には員面調書(警察官調書)は違法捜査(警察官が筆跡が一致したといって少年をだました)ゆえに証拠から排除したと記されているが、「検面調書の一部も証拠から排除された」とは書かれていない。なお、A少年は警察官にだまされたままの状態で検事の尋問を受けたわけであるから、員面調書を証拠から排除したのに検面調書は採用したというのは、論理的におかしい。A少年の付添人だった弁護士も、なぜか最終審判から半年以上も経過したのちに、「検面調書も排除を要求すべきだった」と述べている(3)。


 神戸事件における頭部の切断方法を、他の切断方法と比較してみよう。第一に、元監察医(匿名)によると、バラバラ事件などでは、のどぼとけのあたり、すなわち第五頸椎と第六頸椎の椎間(椎間軟骨)あたりで切ることが多いという(4)。このような切断方法を取ると頸部が長く残るので「神戸事件」のように「据え置き」ができず、置こうとしても頭部がバランスを失って倒れてしまう。第二に、江戸時代の斬首処刑の名人は、第一頸椎と頭骨のあいだの軟骨を切ったという(5)。このように切ると「首を立てる」ことができる。第三に、医学部の解剖学実習においては、遺体の頭部をはずすときに、第一頸椎(環椎)と第二頸椎(軸椎)のあいだの椎間(軟骨)で切り離す。第四に、頭部切断の代名詞といえば一七九二年から一九八一年(死刑廃止)までフランスで行なわれたギロチンであるが、これはパリ大学医学部の解剖学教授ギヨタン博士が「失敗が少なく人道的な方法」と称して考案したものである。『グラン・ラルース』の挿し絵(6)などから、やはり第五頸椎付近で椎間軟骨または椎骨を切断したと推察される。もちろん刃が椎骨にあたった時は刃こぼれが激しい。斬首のように一気に切る場合は、主として骨を切ることになる場合と、主として軟骨を切ることになる場合があると思われるが、刃が椎間軟骨だけにあたって椎骨には一切触れないということは解剖学的に不可能である(7)。ルイ一六世の「首が太すぎてギロチンの首穴に納まらず、首の位置がずれていたために、ギロチンの刃が落ちた時に完全に首が切れず、下顎を砕いた」という説があるそうだが(8)、これも切断位置がどこであったかを示唆している。斧(西洋中世・近世)や青龍刀(中国前近代)あるいは日本刀(アジア太平洋戦争など)による斬首の切断部位もギロチンと同様であったろう。


 つまりいずれの方法にしても、巧妙に軟骨を切断するか、本格的な刃物で成人男性が刃こぼれと困難を覚悟に骨を力まかせに切断するかのどちらかである。骨を切るよりも軟骨を切るほうがやさしい。ところが、「神戸事件」では、頚椎のなかでも大きくて頑丈で接近しにくい第二頸椎の骨の部分が鋭利に切られていた。第二頸椎が大きいのは、胎児のときに第一頸椎の一部が分離して第二頸椎に癒着するからである。第二頸椎で切ると目線が約四五度上を向く形で「据え置き」できる。しかし、第二頚推は顎の後ろにあって位置的に切るのが難しい(9)。ふつうの角度では前から切れないので、遺体の頭部を強くのけぞらせなけれぱならない。のけぞらせたときの後頭部を入れる「くぼみ」が必要だが、アンテナ施設の側溝は浅いので物理的に不可能である。神戸事件では二重に難度の高い方法で切断されているのである。

「第二頚椎」情報はどこまで流れたか

 では、「第二頸椎を鋭利に」という特殊な方法で切断されたという情報はどのくらい流されたであろうか。

 第一は、B少年(五月二十四日に殺害されたと推定)の頭部が発見された一九九七年五月二十七日の午後九時四分に須磨署で始まった兵庫県警の山下征士捜査一課長の記者会見(公式発表)である。山下課長は、「死因は扼頸(手で首を絞めること)による窒息死。頭部は第二頸椎下部を鋭利な刃器で切断されている。死後二日ぐらいと推定。解剖は明日午後着手予定」と述べた(10)。しかし、山下課長が第二頸椎に言及したという事実は、翌朝の朝日、毎日、読売に報道されていない。記者会見に出席したのは各社の社会部記者であり、「第二頸椎」という情報の重要性に気づかなかったのかもしれない。あるいは、何らかの情報統制が行なわれた可能性もある。「暗い森」の朝日新聞社会面連載(一九九七年十月十八日〜-十一月十五日)のときには、第二頸椎への言及はない。第二頚椎への山下課長の言及が紹介されるのは、ようやく一九九八年四月発行の朝日新聞社の単行本「暗い森」においてである。この「十一カ月の遅れ」(一九九七年五月〜一九九八年四月)の意味をどのように解釈すればよいであろうか。第二頚椎という部位の重要性に関する記者たちの単なる認識不足であろうか。それとも何らかの情報統制があったのか。あるいは両方かもしれない。なお、山下課長は扼殺(手でしめる)と述べているが、絞殺(紐状のものでしめる)だったようである。

 第二は、六月はじめの週刊文春記者の質問に答えての「捜査関係者」の証言(リーク情報)である。この証言は、「首は第二頸椎のほぼ真ん中を真一文字に切断されていました。(切断に際しては、失敗の跡がない」と述べている(11)。したがって週刊文春の読者は六月上旬に「第二頚椎」という文字を見たはずである。「山下課長の会見」と書かずに「捜査関係者の証言」としているので、この週刊文春記者は五月二十七日の記者会見には出席しておらず、数日後に山下課長以外の兵庫県警関係者から聞き出したものと推察される。

 第三は、B少年の司法解剖を担当した神戸大学医学部法医学教室龍野嘉紹教授の九月二日の証言である。龍野放授は「頸部は第二頸椎の下端部で鋭利に切断されとるんや。第二頸椎の椎体を前から切ったんやと思う。結局椎体が最初に切れていますからね。そしてそのうしろの椎弓を切っています=からね」と述べている(12)。「前から切った」というのは、「仰向けにして切断した」ということである。

 なお、この龍野証言について法医学関係者に尋ねたところでは、龍野教授へのインタビューアーは神戸大学関係者であり、教授は「録音しない、公表しない」という前提でインタビューに応じたのだという。それを「神戸事件の真相を究明する会」の「第2集』と「第3集」に公表されたのであるから、教授は「約束違反だ」と立腹され、その後この問題については口を閉ざしておられるという。教授は九月二日、十月九日、十月十四日に取材に応じたのであるが、これは八月一日に開始が決定され十月十七日に終結した少年審判が進行している最中であり、当事者(司法解剖担当者)である教授が公表を是認したとは常識からいって考えにくい。おそらく「神戸事件の真相を究明する会」が約束違反をしたということはその通りなのであろう。もちろん約束を破るのは良いことだとはいえない。市民運動の「倫理性」が問われているともいえる。(ちなみに、「神戸事件の真相を究明する会」は無党派市民と革マル派関係者の混成であるといわれている。もちろん私は革マル派とは何の関係もないし、「神戸事件はCIA主導の権力犯罪だ」という彼らの説には同意できない。)また赦授の「監修」を経ていない「証言記録」であるから、聞き手の誤解や聞き間違いの可能性も残っている。そういう意味で、一応説得力のある内容であるが、資料としての限界は否定できない。しかし結果的には、「第二頸椎切断」という特殊な切断方法であったことが、警察関係者からだけでなく、担当の法医学者の口からも、「本人の監修なき証言記録」という不完全な形であるとはいえ、明らかになったのである。

 なお、検面調査でも少年は「仰向けの状態」で「首を切った」と述べたことになっており(13)、「うつぶせにして切断した」という話は出ていないので、「仰向けにして切断した」という前提で考察をすすめる。うつぶせにして頭骨を傷つけずに第二頸椎を鋭利に切断することも困難であろう。

 さらに、B少年の司法解剖所見から、気管を上端部で水平に切断してから刃の角度を変えて椎骨を切断したと推測されている(14)。また、ある元解剖学教授(匿名)は、「凍結標本のように遺体を凍結させて頸部を硬くすれば、電動丸ノコで目づまりすることなく」気に切断できる」と証書している(15)。頭部発見直後の新聞にも「電動のこぎり」を示唆する記事があった(16)。また、死斑は淡紅色であったという鹿野教授の証言(17)をふまえて元北海道大学法医学講座助手(匿名)は、死斑が淡紅色となるのは【1】一酸化中毒死、【2】青酸中毒死、【3】死後冷たいところに置かれていたとき、であり、B少年は中毒死ではないので、「冷凍して切断されたとしか考えることができない」と証言している(18)。

 さらに、「通常は内臓のある胴体部の方が腐敗が早い」(元監察医)にもかかわらず、それとは逆に、頭部の方が腐敗が早かったのは、頭部を胴体より先に解凍したとすれば辻褄が合うとの指摘もある(19)。ただし、この腐敗差から凍結説を引き出すことには慎重でなければならない。上野正彦氏(元東京都監察医務院長)はつぎのように述べている。「普通は内臓のある胴部の方が早く腐敗します。でも、今回は首の腐敗の方が早く進んでいた。つまり、犯人は首だけを室内など外気と遮断された場所にある時間置いていたのでしょう。胴部が遺棄されていた場所は山の中で風通しもいい場所で、この時期は腐敗も遅いと思います。そのため腐敗差がでたのです。(20)」 もし凍結せさたのなら血液も凍り、溶血するので、解凍された遺体が法医解剖にまわったときには凝集反応による血液型の確認ができないはずであるが、溶血の有無はわからない。

 また、B少年(昼食を食べて家を出たのは一時三十五分頃)の胃のなかに昼食べたカレーや菜の花がほとんどそのまま残っていたという龍野教授の証言を「神戸事件の真相を究明する会」が記している(21)。それによれば、死亡推定時刻は五月二十四日(土曜)午後一時四十分ごろであるが、決定要旨によればアンテナ施設に連れていったのは二時過ぎで、それから格闘を経て絞殺しているので、矛盾が生じている。「週刊現代』に掲載された捜査関係者のリーク情報にはつぎのような言葉もある。「五月二四日の昼食であるカレーライスが十二指腸にはまったくなく、胃にほぼそのままの形で残っており、殺害時刻は五月二四日の午後二時頃であることは確実です。(22)」 死亡によって胃液の分泌は停止するが、すでに分泌されていた胃液中の消化酵素は死後も働き続ける。死亡後まもなく凍結されて酵素が作用を停止したと仮定すれば、解剖の時点で「食べたものがほとんどそのまま残っていた」ということは合理的に説明がつく。

 凍結の有無にかかわりなく、頭部をのけぞらせないと第二頚椎は切れない。死後硬直の前にのけぞらせる方法と、死後硬直が緩解してからのけぞらせる方法の二種類が考えられる。決定要旨によれば五月二十五日午後一〜三時過ぎに金ノコギリで頭部を切断したことになっている。死後硬直が始まる前にのけぞらせたのであれば、二十五日(死後硬直の最盛期)の切断はありうるが、死後硬直が緩解してからのけぞらせたのであれば、二十五日切断は時間的にきつい。警察のつぎのようなリーク情報もある。「捜査本部は首を切断された淳君の遺体の解剖を神戸大医学部に依頼したが、その鑑定結果をまとめた報告書の中には、『首が切断されたのは殺害後間もなく』などとする記載があった。(23)」この情報が正しいとすれば、龍野教授は死後硬直が始まる前にB少年の頭部が切断されたと判断していたことになり、A少年の自白にある五月二十五日切断説は崩れる。

 以上のような複数の警察官と複数の医学者の証言を総合するならば、仮に凍結説を採用した場合、つぎのような「死体損壊プロセス」が蓋然性の高いものとして浮かび上がるであろう。【1】B少年を絞殺する。【2】死体を仰向けに安置して死後硬直が始まる前に前方から皮膚、皮下組織、筋肉、気管などを切断する。【3】深い段差のある場所を利用して、遺体の頭部を強くのけぞらせる(硬直が緩解した後に気管などを切断し、頭部をのけぞらせる場合は二十五日切断は困難)。【4】頭部をのけぞらせたまま大型冷凍庫に入れる。冷凍庫の中にも段差がなければならない。板を挿入して段差をつくってもよい。トラックに積んだ移動式冷凍庫でもよい。【5】凍結状態を確認して冷凍庫から出す。【6】電気丸ノコあるいは何らかの高性能切断装置を用いて頭部を第二頚椎下部で一気に切断する(死後硬直が始まる前に頭部を切断し、それから凍結するというシナリオもありうる)。【7】頭部を解凍し、顔面に傷をつける。【8】胴体を解凍する。「顔面に傷をつける」とは具体的には、目玉がくりぬかれ、「まぶたと目尻にかけて何条かの縦の切創、×印の切創もあった」というものだ。(24)

 結論を述べておこう。凍結説は仮説の段階にとどまる。凍結されたとしても、凍結が頭部切断の前か後かもわからない。頭部切断が死後硬直の前か後かもわからない。殺害が五月二十四日であることは間違いないが、頭部切断が五月二十四日であるか、五月二十五日であるかはわからない。頭部切断がアンテナ施設で行なわれたのか、別の場所で行なわれたのかもわからない。ただし、アンテナ施設周辺で血液反応を検出するルミノール反応がほとんど見られなかったというリーク情報(25)からは、切断場所がおそらくアンテナ施設ではなかっただろうと推測される。いま絶対確実に断定できることは、第二頸椎が切断されたこと、頭部を強くのけぞらせて切断されたこと、頭部をのけぞらせて切断するためには深い段差が必要であったこと、の三点である。確実に推論できることは、困難な切断方法だということであり、A少年の自白にあるようにアンテナ施設の段差のないところで切断されたというシナリオは崩れることである。つまり自白の信用性は失われる。もしアンテナ施設で切断したとするなら、板や箱を利用して人為的に「段差」を作らなければならなかったはずであるが、自白のなかでそのようなことは述べていない。

「第二頚椎」情報の受け手の問題

 それでは、「第二頸椎」という情報の「受け手」の問題はどうであろうか。「第二頸椎を鋭利に切断」と聞いて直ちに「きわめて特殊な方法」であると察知するのは、医師、歯科医師、獣医師であろう。医師約二五万人、歯科医師約九万人、獣医師約三万人を合わせて日本国内で約三七万人である。つまり、およそ国民の三〇〇人に一人の割合である。私がインタビューした一〇人あまりの医師はいずれも神戸事件に関して「第二頸椎」の報道をこれまで知らなかったとのことであり、第二頸椎切断は困難だというコメントが圧倒的であった。合理的に推論するならば、実は、B少年の父親も医師(公立病院の放射線科医長)であるから(26)、被害者の父自らが「A少年犯人説」を疑っておられる可能性も否定できないと思われる。そして、コメントした精神科医らは第二頸椎問題を回避している。

 多くの「知識人」は「首を切った」「頭部切断」という抽象的な把握だけで事実認識に満足している。しかし、どのような場所で、首のどの部分を、どのような方法で切断したのかという具体的な「細部」こそ大切なのである。「頭部切断」だけに着目するならば、少年犯罪史にはひとつの実例が存在する。一五歳の高校生が同級生を刺殺の後、その場で頭部を切断した「サレジオ高校生生首切り殺人事件」(一九六九年四月二十三日)である(27)。ただし、特殊な切断方法ではなかったようである。典型的な少年犯罪は、黒磯事件(一九九八年一月)や米国で多発する銃乱射撃件のような「衝撃的」なものである。高度な死体損壊技術をともなう「神戸事件」はそれとは異質なものを感じさせる。


(1)「社会的心証」という言葉は、築山俊昭『無実!李珍字:小松川事件と賄婦殺し』三一書房、一九八二年、一二五頁などで使われている。他の文献ではまったく見たことがないが、有益な概念である。この本は大変説得力ある内容である。
(2)『文藝春秋』一九九八年三月号一二〇〜一二四頁
(3)本上博丈「実践例C 偽計による自白 神戸事件の自白排除事例」『季刊刑事弁護』一九九八年夏号、五八〜六〇頁(現代人文社)。
(4)『続神戸小学生惨殺事件の真相』(以下『第2集』と略す) 神戸事件の真相を究明する会、一九九七年、一二頁。なおこのパンフレットの八〜一三頁の数名の医学者(匿名を含む)の証言は、きわめて重要である
(5)高橋長雄『関節はふしぎ』講談社ブルーバックス、一九九三年、三一頁
(6) Grand Larousse, tome 5, 1962 p715
(7)高樗長雄『関節はふしぎ』講談社ブルーバックス、一九九三年、三〇〜三四夏。
(8)柳内伸作『西洋拷問・処刑残酷史』日本文芸社、一九九七年、一一七頁。
(9)頭蓋骨と頸椎の位置関係については、たとえば伊藤隆『解剖学講義』(南山堂、一九八三年) 五九九頁の図八・一二六がわかりやすい。
(10)朝日新聞大阪社会部『暗い森』朝日新聞社、一九九八年、一八頁。
(11)『週刊文春』一九九七年六月十二日号、三四頁。
(12)『第2集』一〇頁。
(13)『文藝春秋』一九九八年三月号一二三頁。
(14)『第2集』一一頁。
(15)同、一三頁。
(16)毎日新聞一九九七年五月二十八日。
(17)「第2集』一二頁。
(18)『「A少年供述調書」の虚構 神戸小学生惨殺事件の真相・第3集』(以下第3集と略す) 神戸事件の真相を究明する会、一九九八年、四七頁。さらに錫谷徹『法医診断学』南江堂、改訂第二版、一九八五年、四四〜四六頁参照。
(19)『第2集』一二頁。
(20)『週刊ポスト』一九九七年六月二十日号、四三頁。
(21)『第3集』一四頁。
(22)『週刊現代』一九九七年六月二十一日号、三八〜三九頁。
(23)『サンデー毎日』一九九七年六月二十二日号、二〇頁。
(24)『週刊文春』一九九七年六月十二日号、三四頁。
(25)『サンデー毎日』一九九七年六月十五日号、一四五頁、『サンデー毎日』一九九七年六月二十二日号、二〇頁、『週刊ポスト』一九九七年六月十三日号、四二頁。
(26)『週刊文春』一九九七年六月十二日号、三五頁。
(27) 間庭充幸『若者犯罪の社会文化史』有斐閣、一九九七年、一三三夏。
(28) 石立優『衝動暴力』学陽書房、一九九八年。
(とだきよし、長崎大学助教授)


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