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高村薫さんと考える:今月のテーマ 飲酒運転 <with 藤原健・編集局長>
◇死の悲惨さ、どう伝える
飲酒運転による福岡市の3幼児死亡事故以降、飲酒運転根絶への機運が高まった。警察庁は酒気帯び基準の強化、ひき逃げ事件の厳罰化(注1)の検討を始めた。作家、高村薫さんは「飲酒運転撲滅を叫びながら、私たちは飲酒の欲望をかきたてる社会に生きている。運転者のモラルだけを責めても片付かない」とクルマ社会そのものに疑問を投げかける。誰もが被害者にも加害者にもなる可能性がある飲酒運転の問題を読者の皆様と一緒に考えたい。【構成・山田英之、写真・武市公孝】
◇欲望をかきたてる社会、厳罰化だけでは解決しない
◇検挙なら一発で免許取り消し。再交付はしない その方が受け入れられやすいかと
高村薫さん 交通事故の取材現場で変わった事はありますか。
藤原健・編集局長 私が若いころ、交通事故の死者は年間1万人を超え、現場に行く時間もないほどでしたが、「日常的なこと」として記者の感覚も摩滅していました。私たちが交通事故取材のあり方を反省するようになったのは、片山隼君死亡事故(注2)が一つのきっかけです。交通事故に無感覚な記者は他の事にも無感覚になってしまう。
高村 パワーステアリングでハンドルが軽くなり、オートマチック車の登場など、車の性能は上がり、誰もが運転する時代になりました。現在のクルマ社会は、自動車を初めて製造した時に想像できなかったところまで来ています。
藤原 都市化から置き去りにされた田舎ほど、車無しで生活できないようになっています。
−−営業制限も必要
高村 都市は幹線道路で結ばれ、車でないと行けない場所にファミリーレストランがあり酒を提供する。目の前にネオン街があり、欲望があおられる。いろいろな要素が重なって今のクルマ社会ができています。飲酒運転の問題は私たちが暮らす社会のあり方そのものにかかわっていて、突然表れたモラル破壊ではないのです。運転者のモラルだけを責めても片付かない。
藤原 私たちは登下校中の子どもたちの命を守ろうと「子どもとクルマ社会」を考えるキャンペーンを00年から続けています。子どもたちに「交通ルールを守ろう」と注意を呼びかけるだけでは命を守れない。歩車分離式信号(注3)の設置など、大人が交通システムを整えることで救える命があるはずです。
高村 物理的な取り組みや交通システムも整えないといけないが、飲酒運転をやめさせたいなら、駐車場を備えた飲食店で酒を出さない、24時間営業をやめるなど、制限も必要です。
藤原 厳罰化を求める傾向については、どう思いますか。業務上過失致死罪は刑罰として、あまりにも軽いという国民感情があります。
高村 他の犯罪との釣り合いを考えたら、私には難しくて判断できません。車は簡単に時速100キロを超えるスピードが出せる危険な乗り物なのに、免許を1度取れば18歳からお年寄りまで誰でも運転できる状況の方が問題です。飲酒運転をしたら懲戒免職処分で職を奪うよりも、飲酒運転で検挙された人は一発で免許取り消し、将来どんな事があっても再交付しない方向の方が受け入れられやすいのではないでしょうか。若い盛りに車を与えたらスピードを出したくなります。若い人の免許を制限してもいいかもしれません。
私は物書きになってから車の運転をやめた。車で人を傷つけたら私の職業生命は無くなります。人を傷つけたくない。
藤原 飲酒運転をすれば職も社会的信用も失います。飲酒運転の問題は今、多くの家庭で話題にのぼっていると思います。
高村 酒に酔ってふらふらでも運転できる高性能の車を製造し、飲酒できる店が深夜まで営業している現代社会に生き、クルマ社会の恩恵を受けている私たち全員の問題です。私たちが飲酒運転を生み出す社会をつくっておきながら、「飲んで運転した人間だけが悪い」と斬(き)って捨てれば、問題点を覆い隠してしまいます。
福岡市の飲酒事故で運転者を厳罰にするのは当然ですが、それだけでは解決しません。今のクルマ社会を30年前に戻すのは不可能です。クルマ社会を維持するのであれば、アルコールを検知したらエンジンがかからない仕組みも必要でしょう。
藤原 メーカーがやる気になればできるでしょう。利便性には手間がかかることを自覚する必要があります。
福岡市の飲酒事故では、母親が必死で3人の子どもを救おうと海に沈んだ車に潜り、通りかかった漁船も救助作業に加わりました。
−−世論喚起の中で
高村 詳細が報道されたことで、飲酒運転撲滅の世論が喚起されました。私は未来の運転者に交通事故の本当の悲惨さが伝わっていないと感じます。「事故を起こしたら、こうなるんだ」という現実を分からせるため、死体の写真を免許交付の時に見せるべきだと私は思います。
若者にとって死は映画やゲームの中だけの「架空の死」です。交通事故は悲惨だという話だけでは、悲惨さの中身はなかなか伝わりません。交通刑務所に服役している受刑者が、人を死なせた時の恐怖と絶望を世間に語ることも社会貢献になります。
藤原 人の生き死にへの想像力を、いかに働かせられるかが問われています。
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(注1)飲酒運転で人をはね、死なせても現場から逃げることで飲酒を立証できなくさせ、罪を軽くする「逃げ得」が横行している。警察庁によると、ひき逃げ事件は00年に1万件を超えた後、増加を続け、04年に約2万件に達した。危険運転致死罪が適用されれば最高懲役20年だが、酒酔い状態を証明できなければ業務上過失致死罪とひき逃げを併合しても最高懲役7年6月となる。交通事故の遺族らが法改正を求めてきた。
(注2)片山徒有(ただあり)さんの息子隼(しゅん)君(当時8歳)は97年、登校中にダンプカーにひかれて亡くなった。運転手は不起訴処分になったが、片山さんらの訴えを受けた検察が再捜査して起訴、裁判で有罪となる異例の展開をたどり、被害者の地位を向上させる契機になった。この事故を原点に、事件事故被害者の権利と支援策の確立を追求した毎日新聞のキャンペーン報道は00年度の新聞協会賞を受賞した。
(注3)歩行者が青信号で交差点を渡る際、右左折車が横断歩道を横切らないようにした信号システム。教職員や青信号で横断中に車にはねられて亡くなった子どもの遺族らが増設を求めている。
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◇危険信号
飲酒運転に対する厳しい処分や、それが引き金となって起こした事故への厳罰化を、「窮屈なこと」として受け止めてはならない。「ばれなければいい」として認めることは、他者への思いやりを放棄することにつながるからだ。
ハンドルを握るからには、相応の自覚が必要だ。利便性に隠された危険信号を社会全体で共有し、確固としたモラルにまで高めて具体的な対策を講じなければ、飲酒運転は後を絶たないだろう。命が失われた後では遅い。高村さんが指摘し、提言したことをクルマ社会の一員として肝に銘じたい。【藤原健】
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次回は12月3日、テーマは「いじめ」の予定です。皆さんのご意見をお寄せください。〒530−8251(住所不要)毎日新聞社会部「高村薫さんと考える」係。ファクスは06・6346・8187。メールはo.shakaibu@mbx.mainichi.co.jp
毎日新聞 2006年11月5日 大阪朝刊