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(回答先: [袴田事件]再審開始求め、輪島功一さんら要請行動|毎日新聞 投稿者 white 日時 2006 年 11 月 20 日 12:13:37)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061107/mng_____tokuho__000.shtml から転載。
『袴田事件』 ボクシング界が再審支援
強盗殺人罪などに問われた元プロボクサー、袴田巌死刑囚(70)が再審を求めている「袴田事件」。発生から四十年のことし、ボクサー仲間たちが支援に走っている。今月二十日には特別抗告中の最高裁に再審開始の要請書を届け、元世界ジュニアミドル級王者の輪島功一・東日本ボクシング協会会長(63)ら元世界王者たちが街頭で訴える。果たして、再審のゴングは鳴るのか。 (橋本誠)
今月三日、約二千人の観客で埋まった東京・後楽園ホール。若手の登竜門「東日本新人王決勝」のラウンドの合間にリングアナウンサーがこう呼びかけた。
「東日本ボクシング協会は袴田巌さんの再審開始を支援しています。事件の内容を説明したビラがパンフレットに入っているので、ぜひ目を通してください。趣旨に賛同する方は要請書を書いてください」
熱戦に沸いていた観客も一時黙りこくって耳を傾ける。ビラをじっと読み込む人の姿もある。袴田事件のことは現在の観客の大半が知らない。「捜査側の主張も聞かないと判断できない」との声の一方で「死刑判決を出すなら、もっときちんとすべきだ」(学生)といった反応が多かった。
「袴田さんはもう七十歳。何とか出てきてもらいたい。ボクシングの仲間だからね」。ことし六月、同じ後楽園ホールのリング上で観客に再審をアピールした輪島さんはそう語る。
袴田死刑囚も最高位で日本フェザー級六位にランクされたプロボクサーだった。実姉の秀子さん(73)によると、袴田死刑囚は中学卒業後、自動車工場に勤めていたころにボクシングを始めた。アマチュアでは国体に出場。プロ転向後の戦績は29戦16勝(1KO)10敗3分。KO負けは一度もなく、一年に十九試合もしたこともあった。
所属ジムでトレーナーだった有田昭光さん(78)は「あまりパンチはなかったがタフで打たれ強い選手だった。練習も頑張るタイプ。あんな事件を起こすなんてとても考えられない。いつもニコニコ笑っていて、ちょっと人が良すぎるくらいだった」と振り返る。
一昔前にも、ボクシング界では袴田死刑囚を支援する動きがあったが、大きく再燃したのは二〇〇四年。
都内のボクシングジムの練習生、福田勇人さん(37)が事件に興味を持ち、やがて福田さんのジムの会長で、元東洋太平洋バンタム級王者の新田渉世さん(39)らが支援委員会を設立。ことし三月には、後楽園ホールで協会関係者や弁護士が再審請求を訴えた。
輪島さん自身は現役中には袴田事件のことをよく知らなかった。だが、引退後に読んだ本で捜査や裁判に次第に疑問を募らせた。
輪島さんはことし九月、秀子さんと東京拘置所に袴田死刑囚を訪ねた。長い拘禁生活で精神を病んでいる当人とは接見はできず、結局、ボクシング雑誌を差し入れただけだった。
それでも、今月二十日には再び訪れるという。「当人が会いたくないと言っても、当局は会えるようにする努力をしてほしい」
輪島さんは「事件の後も逃げずに寝泊まりしていたような人が(殺人を)やるはずがない。明らかにミスジャッジだ。誰かにはめられたんじゃないか」と強調する。犯行時にはいていたとされるズボンが、当人には小さくてはけなかった点なども熱心に解説した。
それでも、単なる元ボクサー仲間の事件というだけで、ここまでその「後輩」たちが思い入れるのだろうか。輪島さんらの熱意にはもうひとつの理由がある。
「袴田巌さんの再審を求める会」の鈴木武秀事務局長(39)がその理由をこう説明する。「当時の報道では『身を持ち崩した元ボクサー』という言い回しが多用された。四人を一人で殺すのは普通考えられないが、ボクサー崩れなら可能だという偏見があった」
それは報道にとどまらなかったようだ。姉の秀子さんは「警察は最初からボクサー崩れだから動きが敏しょうだとか、腕力があるとかとみて、巌に目を付けていた」と証言する。
輪島さんもその偏見に憤った一人だ。「ボクサーはみんな気が小さい。強くなる奴はみんなそう。繊細なんだ。おれも憶病だった。それにボクサーだったら刃物なんか使わず、パンチでひっぱたいているよ」
自らも若手時代にはそんな風評に囲まれた。「ボクシングは悪い奴がやるもんだと言われていた」。輪島さんの苦い記憶だ。
「でも、本当は最高のスポーツだよ。外で人を殴ったら大変だけど、不良もボクシングをやると更生するんだ。殴り合いで他人の痛みも分かる。それに拳一つで世界の頂点に輝ける。酒を飲んで愚痴ってばかりいる人間たちとは違う」
ボクサーとしてのプライドがある。輪島さんは自分のジムの選手たちにも、将来どんな仕事をしてもボクシングの修業は役に立つと話しているという。
「昔思い出して
あきらめるな」
「世間で言うように、金を稼げなかったら負け犬なのか。ふざけるな。ここで頑張ったら、引退した後だって別の世界でやっていける。実際、うちではおかしくなったボクサーはいないよ。ボクサーの練習の厳しさが決して道を外させないんだよ。だから、袴田さんを信じられるんだ」
業界内には、事件を掘り起こすことはイメージダウンにつながるのでは、と心配する声もある。だが、輪島さんは「損得勘定ではできない」と気に留めない。
新田さんも「ボクシング界にはまだまだダーティーなイメージがある。その意味でもいま取り組んでいる冤罪(えんざい)を無くす活動はマイナスではない」と考える。
こうしたボクシング界の動きに、鈴木事務局長は「ボクシングファンや報道で関心を持った人が新たに会員になってくれた。高裁で即時抗告が棄却された後、厳しい時期もあったが、協会の支援が運動の弾みになっている」と喜ぶ。
さらに袴田死刑囚を同じ六六年に米国で殺人犯とされ、約二十年後に無罪となった有名なボクサー、ルビン“ハリケーン”・カーター氏の姿に重ねる。
年内にも、特別抗告理由補充書を提出する予定の弁護団も、ボクシング界の援護射撃を高く評価する。小川秀世弁護士は「一般の人たちに訴えるインパクトが違う。絶対あきらめてはいけないという初心を思い出させてくれた」と話す。
輪島会長は「おれだって二十五歳でデビューして、ばかかって言われた。一度負けたら、今度は必ず勝つと頑張った」と支援者を励ます。そして、獄中の袴田死刑囚にこう呼びかける。
「あなたのために頑張っている人間がいる。だからあなたも『よっしゃ、もう一丁頑張るぞ』と思ってほしい。昔を思い出してね。しゃばに出てきて、一緒に食事でもしたい。絶対あきらめちゃだめだ」
<メモ>袴田事件 1966年6月、静岡県清水市(現在は静岡市)のみそ製造会社専務=当時(41)=方が放火され、妻=同(39)、二女=同(17)、長男=同(14)の刺殺体が見つかった。同社の住み込み社員袴田巌死刑囚が逮捕され、犯行を自白したが、公判では無罪を主張。検察側は当初、犯行時の着衣をパジャマとしていたが、公判中に同社のみそタンクから血痕の付いたシャツやズボンが見つかったため、冒頭陳述を訂正。一審では自白調書45通のうち44通が「任意性に疑いがある」などと排除されたが、死刑判決。東京高裁、最高裁も支持し確定した。
再審請求では、静岡地裁が請求を棄却し、東京高裁も抗告を棄却。弁護団は「凶器と被害者の傷が合わない」などと主張し、最高裁に特別抗告している。
<デスクメモ> 袴田さんは妄想の世界に閉じこもっている。十数年前からは「袴田という人物はいない」と実姉との面会も拒むようになったという。静岡地裁の再審棄却決定(九四年)を読んで以降、裁判文書も受け取らない。あまりに長い拘禁と絶望。心を閉ざし、自らを否定するしか、憤怒に耐えられなかったのだろう。(牧)