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(回答先: ビートルズ生演奏で著作権法違反、スナック経営者逮捕 [読売新聞] 投稿者 white 日時 2006 年 11 月 09 日 18:03:08)
□JASRACの横暴 [月あかりの予感]
http://blog.goo.ne.jp/tsuki_chan/e/0444df8367ec5328cbfee442378e1512
JASRACの横暴
2006年11月09日 17時15分53秒
ビートルズ生演奏で著作権法違反、スナック経営者逮捕(読売新聞) - goo ニュース
このニュースを見たとき「ひどいなぁ」という感想をもちました。
逮捕されたスナック経営者が、じゃありません。刑事告訴したJASRACがです。
著作権が大切だというのはよくわかります。アーティストも作家も、自分の作品から発生する収入で暮らしているのですから、他人に権利を侵害されることは、それをあらゆる手段で防止しなければなりません。
でも、もともと著作権というのは「他人の著作物を使って勝手に金儲けすること」を防止するための権利じゃなかったのでしょうか。つまり、CDを複製して売ったり、漫画をコピーして売ったり、入場料を取って行うコンサートで他人の曲を勝手に歌ったり、そういうことを防止するのが第一義だったように思います。複製したものを勝手に安く売られると、オリジナルのCDや本が売れなくなるし、作詞作曲した人から見れば、自分の曲を勝手に金とって歌うなんて、権利の侵害だと考えるのも理解できます。著作権と一口に言っても「複製」だけではなく、様々な権利が付随するのは理解しています。著作者人格権、著作隣接権など、保護すべき権利は多岐にわたります。
しかし、それらのことを考慮しても・・・自分のお店で、他人の曲をハーモニカで吹いたから逮捕って、これは一体どういうことなんでしょうか。あまりにもあからさますぎる「みせしめ」に思えます。
法律的に見れば、確かに問題はあるのです。公の場で演奏したり歌うことは、たとえ料金を取らなくても、上演権の侵害になるからです。さらにこの経営者は、既に上演禁止の仮処分を地裁から受けているにもかかわらず、演奏を続けていたのだそうですから、違法性の認識も持っていたと思われます。
それでも・・・やっぱり釈然としないものが残ります。音楽ってそういうもの?という気持ちになります。これじゃそのうち「公の場で鼻歌を歌って逮捕」なんてバカバカしいことも、今のJASRACなら起こり得るんじゃないでしょうか。
権利を管理する側は、それを守るだけではなく、たとえば音楽という文化を健全に発展させる義務も負うのではないでしょうか。ストリートミュージシャンが自由にカバー曲を歌えないような状況になったとして、音楽文化は発展するのでしょうか。
実はホームページ上における歌詞の引用についても、JASRACはがんじがらめに規制する立場を取っていますが、常々これにも疑問を持っています。歌詞というのは、それが「歌われること」を前提に作られているものです。詩集などに収める「詩」とは性格が異なると思います。
それなのにホームページに歌詞を引用すると「権利侵害」だと噛みついてきます。
「この歌は良い曲ですよ。〜〜〜〜こんな歌詞です。お勧めだから絶対に買ってくださいね♪」
JASRACの解釈では、これで「ハイ、権利侵害」です。
「良い歌だから買ってね」と宣伝までしているのに、権利侵害なんです。
権利者(作詞者)から見たら、CDを買ってくれる方が印税が入るんだから、これを見た人がCDを買ってくれる方が、わずかな権利料が入るよりも望ましい結果になるはずです。これは非常に本末転倒な話です。
せめて「タイトルと作詞者を明示すること」を条件として、ホームページ上での引用くらいは自由化してもらえないものかと思っています。もちろん作詞家の総意が必要だし、決して簡単なことではないでしょうけど、これくらいの自由は認めた方が、音楽文化の発展に有効なのではないでしょうか。私だって、あーやの曲を紹介するとき、歌詞を引用できたらどれだけ紹介しやすいかと、ブログを始めた頃からずっと思っています。
法律というのは、拡大解釈しようと思えば、いっくらでも出来ます。家の中でカラオケを歌った。そしたらその歌声が近所中に漏れ聞こえた。これを「公衆送信」※だと権利をもつ側や管理する側(JASRACなど)が解釈すれば、そして裁判所がそう判断すれば、家の中で他人の曲を歌うことまで「権利侵害」だとされてしまうことも、絶対にあり得ないことではないのです。
※もっとも「公衆送信」は、現行の法律では「放送」やインターネット上での配信などを想定して規定されています。それが仮に「第三者が視聴可能とすること」みたいな規定に変更されたとすれば、「家の中で歌ってそれが近所に聞こえること」まで「公衆送信」というような解釈も成り立つという「極端な例」として書いています。もちろん現実的な話ではありません。
そんなことを、つらつら考えてしまったニュースでした。