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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070201-00000012-yom-soci
大化改新(乙巳の変、645年)で、中大兄皇子(後の天智天皇)らに滅ぼされた飛鳥時代の大豪族、蘇我氏の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡で、7世紀前半の大規模な石垣と塀の跡が見つかり、奈良文化財研究所が1日、発表した。
蘇我入鹿(いるか)らが城柵を巡らせ、軍備を固めた様子を描いた日本書紀の644年の記述と一致し、入鹿邸「谷(はざま)の宮門(みかど)」に付随する要塞(ようさい)の一部とみられる。古代最大の政変である改新の前夜、飛鳥を覆った軍事的緊張を物語る資料となりそうだ。
石垣が出土したのは甘樫丘の谷間の斜面。南北15メートルにわたり、最大50センチ大の花こう岩を6〜7段積み重ねていた。高さは最高1メートル。1段積むごとに土を埋めた丁寧な造りで、渡来系の技法が使われたらしい。近くの泥土から640年代の土器が出土しており、この時期のものとわかった。