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□そのまんま東支えた人物 [AERA]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070129-01-0101.html
2007年1月29日
そのまんま東支えた人物
「オスカル・メスカル」と聞いて、「ああ、あの……」と分かるあなた。
相当なお笑い好きですね。東氏の激戦の陰に意外な人を見つけました。
「将来の夢は、芸人と政治家」
小学校の卒業文集にそう書いたんだと、そのまんま東(49)は昨年、生まれ育った宮崎県都城市で三十数年来の友人に、一杯やりつつ政治への思いを熱く語ったという。
「芸人か政治家」ではなく、「芸人と政治家」というのが話のミソだ。
官製談合事件で宮崎県知事が辞任したことに伴う出直し知事選に立候補した東。「お笑い芸人に何ができる」と揶揄されつつも、ただ一人政策公約を具体的に記したマニフェストを発表し、1月21日の投開票に向けて有力候補2人と激戦を繰り広げた。
「やれば夢はかなう、と考える人なんですよ、東さんは。票読みとは関係なしに彼は信念として、俺は通る、と思ってる」
児玉振一郎さん(48)。都城市でプロパンガス店を営む。都城市の畜産地域の福祉センターで開いた演説会で受付と司会を務め、最後にガンバローの音頭を取った。
高校の応援団の後輩
実はこの人、東がまだ本名の東国原英夫で、芸能界での「出世」の足がかりをつかんだ時の相棒なのだった。
2人は県内有数の進学校、都城泉ケ丘高校の先輩後輩。初めて会ったのは運動会の応援団で。3年生の東が副団長、児玉さんは2年生で団員だった。東は東京の専修大、児玉さんは駒沢大に進んだ。
「僕の後輩のバイト先で東さんもバイトしてて、付き合うようになったんです」(児玉さん)
1980年秋の正午すぎ、児玉さんの下宿先で、2人でテレビを見ていた。フジテレビの「笑ってる場合ですよ!」。素人の芸人志望者やセミプロが出演し、選ばれた視聴者10人のうち6人以上から「合格」とされれば次回も出場、5日間合格すればチャンピオンになるコーナーだった。その時、児玉さんは大学4年、写真家志望だったという東は専修大を出て、今でいうフリーターだった。
田舎に帰るカネがない児玉さんに「あれやったら俺らにもできる。出てみないか」と東が持ちかけた。勝ち抜けば賞金10万円が出る。
「出てもいいけど、と僕が軽い気持ちで言ったら、少ししてフジから事前オーディションの電話が来た。東さんに電話すると『俺俺、俺が応募したとよ』」
オーディション前日、東が漫才のネタとコンビ名を持ってきた。コンビ名は「オスカル・メスカル」。オーディションは5分ほど。担当者に「キミたち訛ってるね」などと言われ、児玉さんはやっぱり落ちたと思ったが、間もなく出演依頼の電話がきた。2人は生放送で漫才を演じることになった。
「でも東さんは、出る前にもう5回分のネタを用意していた。最初から優勝するつもりなんです」
オスカル・メスカルは5回を勝ち抜き、チャンピオンに輝いた。
出演中の2人は、会場の舞台裏にポツンといる大物を見かけ、近づいた。それがビートたけし。
が、児玉さんには芸能界で勝負する気はもともとなかったという。2人兄妹で実家のプロパンガス店を継ぐのが義務と思っていたし、大学もそれを条件に4年間遊ばせてもらう感覚で行った。
故郷に戻って家業継ぐ
冬の卒業試験の最中、児玉さんは東に「1日付き合ってくれ」と頼まれた。東はたけしに弟子入りを頼み込み、「お前は相棒がいた方がいいから連れて来い」と命じられたのだった。2人は打ち合わせから楽屋まで一日中、たけしにくっついた。夜は銀座で酒、たけしの家にも行った。
安定した生活を選んだ児玉さんは故郷の都城で家業を継いだ。
一方、東は別の相棒と漫才コンビ「ツーツーレロレロ」を結成、「拓殖大、水で割ったら国士舘」などのギャグで人気を集め、その後「たけし軍団」に。写真週刊誌襲撃事件などに関わって浮沈を繰り返したが、有名芸能人になるという望みは果たした。
帰郷を選んだことを後悔していないかと尋ねると児玉さんは、
「それは人間誰しも思うでしょう。僕に兄か弟がいれば違ったかも。でも一緒にやって成功したとは限らない。こっちも故郷で貴重な体験をさせてもらってるし」
早稲田大第二文学部に学士入学した東は2004年に卒業、すぐに政経学部に移り、地方自治への熱意を児玉さんにも語るようになった。06年3月に中退し、宮崎での政治家への道を模索していく。
「宮崎はいま変わらんといかんです。もう変えないかん」
畜産地帯で、宮崎市の大ホールで、東は官製談合批判、財政再建、しがらみのない県政実現、知名度のある自分が地場産業を全国に売り込むと真摯に訴えた。
「景気偏差値は三重県が一位。北川(正恭)前知事が大改革をした。前知事は僕の早稲田の先生ですけども」と前振りし、自身のマニフェストに触れる。「一部の人間、いばっちょる人たちがやりたいようにやってきた」県政を批判し、県議の定数削減、県議の政務調査にメスを入れ、県が裏金を隠していないか調べる、と絶叫した。
「さんまさーん」
都城弁でしゃべりまくり、地元には幼少時にいただけの東大法学部卒、官僚出身の有力対立候補2人と違い、われこそ宮崎で生まれ育った候補とアピール。一方で、
「手を振るおばあちゃんに駆け寄って手を差し出したら『さんまさーん』と呼ばれた」
「カネ儲けしたいなら芸能界にいた。東京にいたら(宮崎で政治をしたい彼についていけないという女優かとうかず子と)離婚する必要、なかったじゃないですか。あんなキレイな奥さんと」
「そのまんまが知事になったら全国の恥やと言われた。でも同じこと繰り返す方がよっぽど恥」
と笑いも取る。真剣に聴き入る聴衆の多くが女性。「興奮したー」と漏らす人、感激のあまり泣き出す人。行く先々で、東主演の「宮崎版泣き・笑い・怒り劇場」が展開されるのだった。
とはいえ、素人だけで戦えるほど「保守王国・宮崎」は甘くない。東選対には都城を地盤とする衆院議員古川禎久の支援者が入っている。その人物の親族で、大分県選出の衆院議員岩屋毅の選挙に関わる人物も加わった。古川の仇敵が、過去2度の衆院選で敗れて自民公認で知事選に出た持永哲志だ。
東自身も昨年初めに自民党の有力者と接触したフシがある。関係者によると、狙いは今年夏の参院選か知事選。ところが談合事件がはじけ、知事選が前倒しになるなど県政界は大混乱。東は自民党から立つ機を逸したという。が、自民党は持永支持と前林野庁長官・川村秀三郎支持に分裂、独自出馬の東の追い風になった。
負けても芸能人には戻らず宮崎で政治活動を続ける、と明言した東。ともかくも、自民党に「されるまんま」になってはなるまい。
「どっちに転んでも、のみ込まれないようにしてほしい」
相方・児玉さんからの要望だ。
編集部 小北清人、秋山訓子