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昼休板は独特の雰囲気が有りますな。
まあ〜、修羅の住人自体が風変わりな人々なのだから、
昼休みの雑談もそこそこの雰囲気を持つのだろう。
ボケ〜としてると、突然変なアイデアが浮かぶことがある。
現在の安倍の支持率はどれぐらいだろう。
まだ60%ぐらいの支持率を保っているのだろうか。
もちろんこんな支持率が当てにならない事は十分承知している。
支持する理由のトップはまだ
「ほかに適当な人がいない」
とかだろうな、多分。
小泉の時もそうだった。
こんな理由で支持と言えるのかと気になっていたのだ。
質問をどの様にしているのだろうと何気なく考えていたら
次のような考えが浮かんできた。
日本語の
「はい」と「いいえ」。
これらを発音のしやすさ、言い易さからちょっと考えてみる。
言っておくけど全くの妄想だよ。
言葉は社会生活を営む為の重要な手段だと思うが、
普段よく使う言葉に、発音し難いもの、言い難いものを
当てるだろうか。
当然、言い易い言葉にすると思うよね
では、「はい」と「いいえ」は
発音する時、どちらがより発音しやすい言葉だろう。
微妙だが、「はい」の方が母音の響きからも
発音しやすいのではないだろうか。
つまり、「はい」の方が、より楽に発音され、
「いいえ」の方がやや意識的に発音されるということ。
「いいえ」のほうが、より自分の意志が必要なのだな。
このことは、「いいえ」の方が、より「意志的な言葉」
つまり自分の考えを出している言葉と考えられないだろうか。
それでは「はい」が「いいえ」より発音し易いということ
の意味するものは何だろう。
それは、日本において「はい」と言う機会が「いいえ」と言う機会よりも
多かったのではないか。
つまり、日本は「はい」の文化、すなわち「受け入れ文化」ではないだろうか。
同じ事を英語で考えてみると、
「yes]と「no」
これは「no」方が言い易いよね。
つまり、「yes」の方が「意志的な言葉」
英語圏は「no」の文化、すなわち「拒否型の文化」ではないだろうか。
ものすごい暴論なんだけど、
昼休板なので言いたいこと言わせてもらうよ。
そこで世論調査に戻ると、安倍を支持しない人々は安倍、或いは自民党の政策が
良くないと思っているから、はっきり不支持を表明するわけ。
主張がはっきりしている。
つまりこれが、「いいえ」による意志的な主張。
ところが、支持の理由の第一位が「他に適当な人がいない」とすると
これには意志的な主張が一切入っていない。これが「受け入れ文化」の「はい」
つまり、どちらかと言えばの「はい」、何となくの「はい」ではないだろうか。
この部分の支持率は、質問の仕方による影響も大きいのだろうな。
質問の内容が具体的になるほど、この「はい」は少なくなるのではないか。
多分、安倍の支持率の高さは「安倍を支持しますか」の類の質問に
よる、この何となくの「はい」なのではないだろうか。
日本のマズゴミの世論調査は、あてにならない事はもちろんだが
この考え方からすると、支持率にそれほど意味はなく、
意味があるとすれば、はっきり意志の表示されている不支持率だろう。
反対にアメリカの世論調査では
「yes]の支持率が重要とおもうが。
実際の選挙で怖いのがこの「何となく はい層」ではないかな。
主張がないので、彼等が、動きやすい。
無党派層と言えばそれによって何か主張があるかのような響きから
「おばかっちょ」の心をくすぐるが、実態はこの「何となく はい層」
ではないのかな。
「無関心層」は、ほとんど投票に行かないだろうし。
だから、政府やマズゴミは
「何となく はい層」の空気を動かさないように
ごまかしの、カタカナ語やもっとも語(さももっともらしい言葉)を多用
するのではないだろうか。
ベリイ クレージーなストーリでソーリ。