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ここでは何を書いても良いようなので
気楽に書かせてもらいます。
なお、勘違い、或いは知識不足、或いは誤字脱字が有ったとしても
当方は一切関知しないので
そのつもりで・・。
少し古いがこんな記事があった
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20061020AT2M1902Q19102006.html
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核不拡散、米主導の体制批判・アフリカ議長
アフリカ連合(AU=加盟53カ国・地域)のモンゲラ全アフリカ議会議長は
このほど日本経済新聞記者と会い、北朝鮮の核実験を非難する一方で
「『世界の警察』を標榜(ひょうぼう)する国が核兵器を大量に持つ一方で、
別の国には持つな、と迫っている」と米国が主導する現状の核不拡散体制に
批判的な立場をにじませた。
議長は現状の核不拡散体制を「ダブルスタンダード(二重基準)」と表現。
「核兵器の廃絶に向け、国際的な条約を考える時機にある」と述べ、
保有国と非保有国の立場を固定化している
核拡散防止条約(NPT)に代わる不拡散の枠組みを模索すべきだとの考えを
示唆した。 (07:02)
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この議長の言っていることは、全くまともな意見で、これを批判する人は
あまりいないのではないだろうか。
私が、あれ?と思うのはこの記事の中の言葉の使われ方。
見出しでははっきり「批判」という言葉を使っているのに
本文の前半の最後では「・・・・批判的立場をにじませた」と表現する。
毛細管現象はもう一度勉強し直すとして
私など、素直に読めばはっきり批判していると思うのだが。
何故「・・・を批判した」と書けないのだろう。
本文後半部の最後では「・・・すべきだとの考えを示唆した」
示唆=それとなく気づかせること。
また、暗にそそのかすこと(電子版広辞苑)
贈収賄の心理はこれから学ぶとして
私など素直に読めばはっきり示していると思うのだが。
何故「・・・すべきだとの考えを示した」と書けないのだろう。
まさか日経の記者がこの言葉遣いの違いを知らないわけはあるまい。
意識してこの様な言い回しを選択しているのだろうね。
変に持って回った言い方だと私など思うが、
アメリカ批判は遠慮した表現になるのかな。
私はマズゴミの言葉遣いが気になるのだ。
マズゴミの用意した言葉には注意しなければいけないと
昔、書いたことがあるが、今でもその考えは変わらない。
特に注意しなければならないと思うのは、
マズゴミでよく使われる言葉だ。
言葉の中に何か違和感を感じることは
ないだろうか。
最近、はてな? と思っているのが、よく使われる「格差社会」
少し前まで「勝ち組、負け組」がよく使われていたが
耐用月数が過ぎたらしい。
格差=商品の標準品に対する品位の差。
また、価格・資格・等級などの差。(電子版広辞苑)
それで「格差社会」ってのはどういう社会だい?
差がある社会なのかい?
それなら、いまだ嘗て均一な社会など有ったためしはないのだから、
普通の社会が格差社会だ。
敢えて社会を「格差社会」と呼ぶ必要もあるまい。
では改めて、「格差社会」とは?
意味が明瞭でない原因は
「格差」というこの言葉の使い方にあるのではないだろうか。
「格差」という言葉は、それだけでは何の意味もなさない言葉だよね。
何の差なのか限定されなければ、結局、全くの一般的な表現にしかならない。
つまり「格差」は限定する語が付いてようやく具体化する言葉なのだね、
例えば「賃金格差」とか「男女格差」とか。
だから「格差社会」という言葉も考えてみれば訳の分からない言葉なのだよ。
それでわかった、「格差社会」と言う言葉を使って、
いくら貧乏を論じても、実生活の苦しみが出てこないのは
非限定的に一般論を論じているのと変わらないからだな。
「勝ち組、負け組」にしてもそうだよね。
一般的勝ち負けなどあり得ないわけで、対象を限定して初めて勝ち負けが生じる。
だから、この「勝ち組、負け組」も非限定的な言葉なのだ。
金持ちと貧乏人を「勝ち組、負け組」など非限定的言葉にすり替えて論ずれば、
具体的問題が、一般化され焦点がぼけてくるわけだ。
マズゴミは常にこれをやるんだね。
問題が具体化、先鋭化しないように、常に非限定的言葉にすり替えるのだ。
問題が先鋭化したらみんな本質に気づくからね。お上は困るのさ。
話は違うが今年の3月だっけ、フランスで大規模なデモがあったのは。
その時、フランスでレポートしていたNHK記者は
「フランス社会の抱えてる病の深さを今回のデモは示してる云々」
(正確ではないが同趣旨)
で締めくくったな。呆れかえっちゃうよ。
日本社会の抱えてる病の深さの方がよっぽど深刻だと思うがね。
病はそれを症状として現さない方がよっぽど危険なんだぜ。
日本のマズゴミは社会の痛みに対し、鎮痛剤ばかり打っているな。
病の本質に気づいたときには、手の施しようもない状態に
なってたりして。
今は皆が「格差社会」という言葉を平気で使っているが
私は使う気がしない。
マスコミの用意した言葉を使えば使うほど
焦点をぼかされたり、隠された意味を刷り込まれてしまう
可能性があるからね。(造反組とか。反対しただけなのに)
「格差社会」という言葉で表そうとしている問題の本質は
「多くの貧乏人が何時までもあえぎ、少しの金持ちが
何時までものうのうと暮らす社会」だろう。
こんな事があったな。「格差社会」という言葉が使われ始めた頃、
確か日本テレビでだったと思うが、 勝○誠彦が
「格差社会は必ずしも、悪いとは思わない。努力する人が
より報われる社会が悪いとは思わない。・・・」
(正確ではないがこのような意味)
これを聞いて、「馬鹿たれ、何をトンチンカンなこと言っている」と
腹が立ったね。このトンチンカン男は「格差社会」で表そうとしている
問題の本質がまるで分かっていないのだ。「格差」の字面に引っ張られたのだね。
テレビで偉そうな口を利く奴の程度はこの程度だな。
しかし、このトンチンカン野郎でも、「格差」の代わりに
「多くの貧乏人と少しの金持ちが固定化された社会」を使えば
「多くの貧乏人と少しの金持ちが固定化された社会が、必ずしも悪いとは思わない」
とはいくら何でも言わないだろう。
マズゴミの使う、インテリ好みのしゃれた一般的言辞より
私たちの日常使う、より具体的な言葉こそ力があるんだ。
私は、そう思うよ。
マズゴミ言葉に翻弄されちゃいけないね、ホント。
言葉遣いでもう一つ記憶に残っているのが(これまた古いが)
NHKの「ワーキングプア」という番組のタイトル。
番組自体は良くできたものだったと思うが、
なんで「ワーキングプア」なの?
この番組は評判が良かったのだろう、
しばしば言及されていたが、
「ワーキングプア 〜働いても働いても豊かになれない〜」と書かれなければ
ワーキングプアの意味など、ほとんどの人はわかるまい。
「ワーキングプア」というカタカナなど不要、日本語の部分で
「働いても働いても豊かになれない」でもよいと思うが、どうか。
もう少し言えば、この「豊か」も何か意味不明なので少し変えて
「働いても働いても楽になれない」ではどうか。
ここまで来るともうほとんど石川啄木・・・・。
NHKはどのあたりの日本人を見据えて、
このタイトルを付けたのだろうか。
本当に見て欲しい人々は
この現実に驚いてみせる層ばかりでは
ないと思うんだがね。
「ワーキングプア」と言う言葉を
使えば使うほど、現実である「働いても働いても楽になれない」
が見えてこなくなる感じがしたな、私は。
今では「ワーキングプア」という言葉を使う人もほとんどいないだろう。
「働いても働いても楽になれない」現実は変わらないのに・・・。