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(回答先: 共同主観について一言! 投稿者 CCマーク 日時 2006 年 10 月 14 日 12:47:57)
6・16「廣松哲学と現代世界」に500人が参加
廣松哲学を実践論として読む
廣松渉著作の「中国語訳」刊行記念(南京大学100周年記念事業)
2002-7-5
http://www.bund.org/opinion/1081-2.htm
■第1部講演会
世界観変えた廣松哲学 12時30分、開場とともに客席は次々と埋められていく。壇上の向かって右側には生前の廣松さんの写真が掲げられている。死の直前まで探究し、現実の変革運動を後世に訴え続けた廣松渉。環境問題や反戦運動に取り組む若者たちの参加は本望に違いない。
13時。司会の大下敦史さん(情況出版)が開会のあいさつを行う。「廣松さんは実践家を非常に可愛がった人でした」。そう述べたあと大下さんは、研究者の世代交代が進む中国で廣松哲学を媒介にマルクス主義の再考が進められていることを紹介。続いて主催者を代表して的場昭弘さんがアソシエ21の活動報告と今後の抱負を語った。
13時15分。いよいよ第1部の講演会が開始される。講演者は5月29日、南京大学での「廣松渉マルクス主義哲学国際シンポジウム」で発言した野家啓一さん(東北大学教授)と熊野純彦さん(東京大学助教授)だ。 はじめに野家さんが、実物の中国語訳『物象化論的構図』を手にしながら「中を開くと漢字だらけですが、日本語も漢字だらけなのでほとんど変わりがないかもしれません」と切り出すと、会場は笑いに包まれる。廣松訪中団の様子を報告したあと、「著作の中国語訳と併せて、南京大学に廣松哲学研究室が開設されました。このことは廣松さんが世界に紹介される第一歩となるでしょう」と訴える野家さんは、廣松哲学の概要を平易な言葉で解き明かしていく。
近代的世界観にかわる新しい世界観の創出を力説した廣松。その世界観とは近代主客図式を超えた「事的世界観」である。廣松哲学の出発点はマルクスの読み直しにあったが、哲学の全体像はけしてマルクス主義の枠内に収まるものではない。新カント学派および現象学、マッハ哲学および現代物理学にまで幅広く知見を求めながら、認識論としての「共同主観性論」・存在論としての「関係主義」・イデオロギー批判としての「物象化論」を提起するに至る。
このようにまとめると、野家さんは「近代的世界観はまだ乗り越えられていません。廣松さんの未完のプロジェクトを完成させていくことがわれわれ後進に残された宿題です」と締めくくった。
次に熊野純彦さんの講演に移る。「廣松さんから『君、大学教授をやめて職革にならないか』と言われたときはびっくりしました。そのときはじめて『職革』という言葉を耳で聞きましたが、それだけ活動家の人たちへの期待が大きかったんでしょうね」。革命家廣松の一面を打ち明ける熊野さんは、若き後継者の第一人者らしく現在の思想情況に照らしながら話をすすめる。
「廣松哲学に対しては、『共同主観的な同一性の哲学』であり、その『共同主観性』には『外部』が存在しないという批判が繰り返し行われてきたが、はたしてそうなのか」。そこで熊野さんは、「差異・他者・外部」をキーワードに廣松哲学の読み直しを行っていく。なかでも『存在と意味』の第2巻で「通用的価値」と「妥当的価値」を区別したのは、共同主観性の内部には回収不可能な「他なるもの」がたちあらわれ、「通用的価値」を成立させている現実的・社会的体制の変革を追求したからだと強調。「こうして実践論の領野へ踏み込んだ廣松哲学をわれわれは知ることができます」と述べる熊野さんに、会場から大きな拍手が寄せられた。