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日本古来より知られている「ひふみ歌…一二三四五六七八九十」は、ヒ(ヒト)、フ(フタ)、ミ、ヨ、イツ、ムユ、ナナ、ヤ、ココノ、タリと読むようじゃが、これは人の成長する段階を表わしているといわれておって、人と一口で言っても段階があり、同じ人の姿をしていても、それぞれの魂の位置に上下段の差異があることも暗示しとるわな。よって、見た目には同じ様な姿でも皆、自分と同じ人と思うてはいかんらしいぞ。
また、ヒ(ヒト)、フ(フタ)、ミ、…と成長して十に至るんじゃが、十はタリ(足り)とも、トとも呼ぶが十は神でもあるからのう。そして、一は獣に近い意識体ゆえ、一(ヒ)から十(ト)へと至るのが道であり、その道を歩む存在をヒトと称するわけじゃわな。魂の成長を果たして行く姿じゃのう。
見方を変えれば、人は獣から神に至る階段状の踊り場に居るとも言えるわな。しかも、上がるも下がるも己の意思(意識)によるんじゃて。自由とも言うらしいがのう。
こうして、獣みたいな輩と、崇高な生き様を見せる御方と、同居して学ぶ学舎がこの世であるとしても良いかもしれん。
一は二へ、四は五へなどとレベルに違いはあるものの、それぞれが上段位へと目指す存在であり、世界の富を牛耳ると言われるイルミナティーの連中も、北朝鮮の貧しき民草やイスラムの徒も、好むと好まざるとにかかわりなく、我々と同じ学舎で学ぶ同窓の徒でしかないようじゃ。同級生に素行不良や乱暴者、優等生がいるのと同じゃわな。
さすれば、この世にはいろいろな人がおり、様々な思想があり、価値観が多様なのも止むを得んわな。そして、例えば一のレベルと八のレベルでは話が合わんはずじゃが、居ないと社会が成り立たないように、そうした多様性から起きる混沌や摩擦は、魂向上の真に役立ち、己の命の課題に対する解答を見出すのに適した教材のようにワシは思うぞ。厳しいがのう。
ゆえに、イルミナティーの連中にしても存在意義があり、また解答を求められている立場場でもあるんじゃて。そして同時に、他レベルの解答についての反面教師や他山の石としての存在であるわさ。イルミナティーなどは悪の御用を、しっかりとやってくれているとワシは思うがどうじゃろか。彼らは誘惑、挑発が旨いから、つられてはいかんわな。
問われておるのは、金銭の量や地位ではないぞ。己の心にある愛の大きさであり、徳の量だと思うておるんじゃが、徳とは端的に言えば、人に感謝されることであり、この目に見えない「感謝の心」は霊界に光となって届き、その光が霊界を清め豊かにするんじゃわさ。そして霊主体従の法則により、霊界が明るく豊かとなった分、己の実生活に幸せがやってくるわけじゃわのう。じゃから、今の日本の状況では危ないわな。まずここを立て直さんと、経済も教育も平和さえもあったもんじゃないわな。
ところが、此度は「火の浄化」が待ち受けとると言われておって、イエスは水の浄化じゃとされとるんじゃが。これは、学舎風に言えば進級、卒業試験のようなもので、一二三…の段階をそれぞれ上がるチャンスの状況じゃわな。まあ、進級どころか格下げもありじゃがのう。ほとんどが格下げかのう、笑えん現実じゃて。
まあ、キリスト教関係に分かりやすく言えば、イエスが言うところの「麦の刈り取りの時期」じゃわさ。神道でも祝詞に「彼方の繁木が本を焼き鎌の敏鎌以ちて打ち掃う事のごとく」とあり、繁木とは麦であり人じゃわさ。日月神示にも神は皆救い上げたいが、魂の磨けた者しか救えんという主旨のことが書いてあるが、同じ意味じゃわな。
火の浄化はだんだん厳しくなるぞ。火は陽であり、霊であるからあらゆる忌まわしい出来事が、それぞれの霊的レベル…徳の量に相応して起きてくるぞ。
その意味において人口爆発、資源の枯渇、温暖化など気象異常、地震、環境汚染、核問題、異常な病気や事件、政治の腐敗や、それらに起因する戦争や経済紛争、病貧問題など、この地球規模の困難な状況に対して個々の人が、それぞれの立場で何を思い、どう行動するのかが問われていると思うんじゃのう。
だから苦々しい想いや、許せん怒りの込み上げることの多い今日この頃じゃが、不条理と思われることも条理じゃと神は仰せじゃから、一切が因果応報とそれぞれの学び、課題提示の現象だと受け止め、それぞれの霊的レベル、現実生活において、自分の心を見つめ、家族や身の回りの人たちに対してどれほど愛を捧げることができたか、人への思いやりやいたわりの行動がどれほどできたかが大切なんじゃろうし、天に何をどのように祈ったかが問われておると思うぞ。金や権力に群がっておるよう者は問題外じゃて。
昨年の年頭では
『すべては魂の向上、気付きのために起きているんじゃぞ、病気や天変地変さえも学びじゃと思ったほうがいいぞ。人の心で変わる。学ぶものが増えれば穏やかで豊かな道へ進めることになっておる。
平成18年じゃ。18は観音様の数字じゃが、統一して(結んで)開くとも読めるわなぁ。どんどん厳しくなるぞ、加速度増してなぁ。因縁が噴出してくるぞ。どんなに理不尽と思うことでも、起きることには起きる原因があるわな。じゃによって、今のうちに徳を積んで自分の因縁を清めていかんと危ないぞ』
と書き記しておいたが、当然、去年より今年と一層厳しくなるでな。
それは各国の首脳にも、ITや株でぼろ儲けした者や、日本のサラーリーマンにも平等に来るでな。霊格の低いもの、徳の無い者からハッキリと出てくるはずじゃて。イルミナティーの面々にしても、これまでは悪の御用じゃったから、人に苦しみと悲しみをばらまいていても必要悪だったかもしれんが、もう潮時じゃから、いくら金を積んでも権力をかさにきても、血が腐りゆけばどうにもならんじゃろうて、早く考え直したほうがええんじゃないかいのう。天に唾しとるだけじゃしのう。その他死の商人や権力、権威主義や拝金主義の面々もな。一年の計は元旦にありと言うから、きっちりと人の幸せに役立つプランを立てて欲しいもんじゃて。
風立ちぬ いざ生きめやも。 じゃわな。