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(回答先: 天動説でも地動説でもどちらでも良いのですが、、。 投稿者 haru 日時 2006 年 12 月 25 日 20:20:35)
Kは「自分の価値観」を正しいとは思っていません。
もちろん、自分の形成した価値観ですから、それなりに正しいと自信は持っていますが、それが「普遍的な目」で見て、正しいかどうかは自信が無いと云うことです。
Kの主張には「最終的には、国民投票によって決定するしかない」という物があります。
この日本は「Kの国」ではなく、「日本国民のみんなの国」なのですから、Kの価値観とは「違った解答」が出る事もあるだろうとKは思います。
しかし、現状では「本当の意味での国民審判にはならない」だろうとも思います。
組織票・依頼票・権力票というような物は「本当の意味」での投票を歪めるだろうと思い、それらの票は「権力サイドに大きな有利として働き、全く公平性が保たれていない」と考えています。
「イデオロギー」にあわせて「行動する」のではなく「自分自身のイデオロギー」を創造する必要性を感じています。
「過去の社会主義系のイデオロギーによる行動は、少なくとも敗北の歴史を作りました」
その部分は「謙虚に受け止め、行動を見直す必要がある」と思っています。
それをしない限りは「半永久的に敗北の歴史を積み重ねる」のだろうと思います。
今まで「抵抗を続けてきた努力」は「努力として評価して、処分などに対する裁判闘争は応援する」としても「これからも、活動家に犠牲を強いる運動を続けるか?」は適切に判断する必要があります。
「効果が認められず、副作用の多い薬の使用」を続けるのでは、治せる病気も治せません。
そんな事は、誰でも理解できるでしょう。
一般市民に「戦争をしたいか?」と問えば「したくない」との解答が多数でしょう。
労働者に「労働者の地位向上を望むか?」と問えば「望む」との解答が多数でしょう。
その中で「数的には圧倒的に有利なはずの一般市民や労働者に不利な投票結果が出ます。」
どこかが、間違っているのです。
「当たり前の事が、当たり前の結果にならない」のですから、どこかに歪みがあると言うのが「Kの考え方」ですが、もしかしたら「一般市民は戦争をしたい」のかもしれませんし「労働者は地位の向上など望まない」のかもしれません。
Kの常識では「ありえないだろう」とも思いますが「憑き物が憑いている」と云う可能性もあるでしょう。
Kは「Kの望んだ状況下で国民投票が行われた結果で、Kの望む解答が得られなかった」のなら、それでも「Kの考えが正しい」とは強弁する気はありません。
しかし、その為には「全ての投票者が、十分な判断材料を適切に分析した上で、誰の意見・投票にも影響されずに、自分の判断で投票する」という状況下である事が条件だと思っています。