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(回答先: 弾圧する側を批判しないという貴方の立場は何なのか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 12 月 24 日 13:01:02)
ワヤクチャさん 正直言って「あきれ果てて」います。
>【君が代は明治時代から歌われてきたのであり意味が曖昧ながらも「天皇の世が末永く続きますように。」と解釈して歌う人が多かったのではないかと私は推測します。】
と
>【たかが「歌を歌わない」だけなんですよ。それで処分するのは強権的過ぎるでしょう。】
この2つの理論が矛盾していて「その場しのぎで、自分の都合によって使い分けられている」という事に気付きませんか?
本当に【たかが「歌を歌わない」だけ】と思うのなら、ワヤクチャさんの全ての主張は意味をなさないのですよ。
【「君が代」を歌うのがどうしても適当でないと判断するのなら 1の対案は「口パク」で十分だろう。】に対する【それでは闘争にならない。】が全てを物語っていますが
これはイデオロギーに根ざした【闘争】とワヤクチャさん自身が分かっているのに【たかが「歌」】と詭弁を弄しているのです。
>【一人の教師が歌わなかったぐらいで式典が台無しになったと考える事自体がファシズムでしょう。】
私一人くらいは「勝手をしても良い」が、社会の崩壊を招くのです。
ファシズムでもなんでもなく「個人の我が侭が、広がる事は危険だろう」と思います。
これは、一般論であり、君が代問題では「イデオロギー」という部分もあるので一概に論ずるのも危険なのですが、「君が代」を歌うと「戦争賛成」になるというのは一種の強迫観念症的な考え方だろうと思います。
君が代の歌詞が【国家主義の高揚】になるとも思えません。
歌詞には「敵国人をたたき殺して天皇の世を永遠としよう」とも「死んで護国の鬼と化そう」ともなっていません。
「君が代」を歌うと「愛国者」になるというのは「屁理屈」です。
百歩譲って「キリスト教徒が踏み絵」を踏むのに似た「屈辱的な思い」が存在するとしても「踏まないでキリシタンと認定される」くらいなら「踏んだフリ」をするという手も考えられるでしょう。
本当に「個人の主義主張」の面からのみで「歌わない自由を考える」なら「口パク」で悪いという意見は詭弁としか思えません。
それが「口パク」では【闘争にならない】のですから、これは、明らかに「反政府的な意図を表す運動」になります。
政府に対して「反政府運動を見逃せ」というのは「勝手な理屈」でしょう。
これでは、誰が見たって「弾圧されて当たり前」でしょう。政府の人でない「普通の第3者が見て」も「自分の存在の脅威となる者には対処する」のが当然でしょう。
それとは別に「勤務時間に個人のイデオロギー的な自由権を行使する」のは、一般市民から見ても、おかしいと思われると思います。ましてや、今は「公務員に厳しい時代」です。
教師という職業は「先生・先生」と呼ばれ、増長している楽な業種だと多くの人が「半ば憎んでいる」だろうとKは分析しています。
Kからすれば「その考えは間違った認識だ」と思いますが、Kと社会一般の常識にはズレがあるのが「現実」です。
多分ですが「苦労知らずの高級取りが、自分の我が侭で、式典妨害をしている」という反発心を抱く人は結構いると言う気がします。
「これは、政府側の視点ではなく、先生より自分の職業の方が厳しく、給与も少ない」と思っている人の視点で考察をしています。
更に「ほとんど全員とも思える労働者」は「勤務時間中に勝手な行動をするのはいけないこと」だと考えているでしょう。
自分の信条で「この商品は売らない」などと言う事が許されないのが「対価報酬を得る拘束時間」と思っている人は多いだろうと思います。
そのように考えている人からも反発心は出るだろうと思います。
自由と言うのは「拘束時間以外」に行うというのが「社会の一般常識」だろうと思います。これは、イデオロギーには関係なく、一般的な「保証される自由」だろうと思います。職業に「職業軍人を選択した人が、戦闘行為は殺人に繋がるので拒否する。」のは、心情とすれば理解もできますが、転職するしかないでしょう。
仮に「職業の注意書きに、殺人を拒否した時は退職させる」と書いてなくともです。
>【式典で君が代を歌わない事がどのような迷惑を及ぼすというのですか?その程度の事で気分を害する人ってファシストではないですか?「皆がやっている事をしない人間は許せない。」という主張こそがファシストの主張ですよ。】
相手が迷惑だと認定するから「強制」になるのでしょう。
勤務時間中に「会社の方針反対をアピール」をする労働者は、まず、クビになるでしょう。
ファシストでもなんでもなく、「勤務時間中」に社の方針に従わない職員を放置するのが正当と思う人の方が異常ではないでしょうか?
これは、自分の休暇に私的に出席した「式典」で「歌わない自由を行使する」のなら、ワヤクチャさんの意見でも正当性はあるでしょうが、仮に宗教的式典に出席した人が「みんなで起立して賛美歌を唱和願います」と言う場において「たった一人で起立しないで歌わない自由を行使した人」が「みんなから変人と認定される」のは仕方がないだろうと思いますよ。
これは、ファシズムでもなんでもなく「社会常識」でしょう。
教師ならば「自分のイデオロギーを生徒に押し付ける前に、その程度の社会常識を教え、社会に出た生徒が実生活に困らないような知識を与える方が先」だろうとも思います。
>【「弾圧が強くなると分かっている。」という状態自体が問題です。】
そこはシステムの問題でしょう。確かに今ある法規の中には「理不尽なもの」と思われるものが多いでしょう。
ブルジョアの都合によって法体系ができてしまっています。
ここは、選挙によって変えるか、憲法裁判という手法に訴えるか、世論形成をするか等の是正が必要です。
しかし、ある内は「違反すれば罰せられる」のが現実でしょう。当たり前です。
「俺は反対だから違反しても良い」などと言うことはありません。
制度を変えるのが先なのです。
Kは文中に「良いか?悪いか?は別にして」と何度か書いていますが、Kがどんな考えを持っていても、それより優先される事実として「現実」という物があるのです。
前から、書いていますが、君が代反対運動をKが応援したところで「反対者が処分される」のが現実なのです。
処分される可能性が限りなく高いのに「それでも、頑張れ」というのは無責任だろうと思います。
多分ですが「本当に心配してくれる先輩教師は、『上に睨まれるだけだから辞めた方が良いよ』と言う」だろうと思います。
Kは無責任に後押しするよりは、少なくとも「もっと良く考えて行動した方が良いよ」と言うのが「正しい」のだろうと考えています。