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(回答先: (お願い)皆さん,「阿修羅♪」のことをもっと真剣に考えてください。 投稿者 あっくん 日時 2006 年 12 月 24 日 07:34:09)
投稿の自粛には反対です。投稿はそれぞれの人の現状を表しているのであり、感情的になったり人にレッテルを張ったりという事を含めてその人のありのままです。私も考察者Kさんをファシストと書きました。君が代の強制に対して歌わないという抵抗をする人に対して「さらなる弾圧を生む」という事で批判するのです。弾圧者に対してではなく、弾圧をされる人間を非難するという本末転倒を彼は犯しているのです。彼の主張は権力に弾圧されないような運動をするべきだという主張であり、味方の顔をして敵の主張をそのまま受け入れるという事をやっているのです。全員が君が代を歌わなけれならないと主張する事はそれが式典の形式だからという理由付けがあったとしてもファシストの主張であると私は考えます。憲法で保障されている思想信条の自由を実現する為に私は今後も君が代を歌わないという抵抗運動を支持したいと思います。その意味で考察者Kさんに対する説得を今後も続けていきたいのです。彼に自らの主張がファシストそのものである事を理解してもらいたいと思います。阿修羅掲示板の質を高めるのは投稿者一人一人の自覚に待つしかないでしょう。投稿の自粛という方法は自覚を促しません。質を落としている投稿があると思うのならその事をその投稿にレスする形で示すべきだと考えます。それと貴方の主張で気になるのは貴方は自分が子供だという事でこんな社会を作ってしまった大人全員を断罪できる立場にいると考えているかのような事です。しかし、大人には色々な大人がいてずっと闘い続けている人もいるのです。大人の中の誰を批判し誰と共に闘っていくのかという風に考えた方がいいでしょう。一人一人にできる事は限られています。できる範囲で闘っていくしかないのです。できる範囲で闘っている大人に対しても「どうしてくれるんだ。こんな社会にしてしまって。」という態度を取る事は共に闘える人も突き放してしまう事です。それと闘い方は色々とあるのであり、国会前に集まる事だけが闘う事ではありません。様々な闘い方と共闘していくという姿勢が大事です。ネットでの闘いは対話の中から闘う論理を導き出していく事です。ネットで生まれた論理は様々な闘争の場で生かされるのです。現実の政党がネットの論理を拝借するような現象が昨今見られるようになってきたと思います。これも又立派な闘争であると位置づける事が必要です。貴方にとって私も「自分だけが大事な人間」に見えるでしょうか?もし、そうならこの投稿を無視してもらっていいです。貴方との共闘を望んでいますがしょうがないと思います。そのように見られた事は私自身の不徳の致す所ですので。