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(回答先: 教育の場の勤務時間内での「個人の思想信条の自由」には制限があると思います。 投稿者 考察者K 日時 2006 年 12 月 23 日 08:42:25)
>heartさん どうもです。
一応ですが、議論と言うのは「自分の意見」を発言してなんぼ?とKは考えています。
誰々が「このように書いている」というのは「参考に留めるべきであり」基本的には「自分の判断を示して優越を競うべき」だろうと思います。
「誰々が言っているから、それに従え」という考えこそがファシスト的な考え方です。
なぜなら「引用された誰かと、議論するのは困難だから(例外もあります)」です。
例えば「死んだ誰々はこのように書いている」と言われたって困ります。
その人が「いて、Kと意見交換をしたなら、絶対に意見が変わらない」とも言い切れないと思います。まあ、その人に「相手の意見を聞く気がない場合」には「変わらない」だろうとは思います。死んでいるなら「絶対に変わりません」
ですから、「あなた自身の言葉で論証してください。」とお願いしています。
Kが議論しているのはheartさんなのですよ。
人の文章を引用するなら「解説・自分の意見付加」といったプラスアルファーをして下さい。
単なる「引用なら、リバイバル板」にでもしてください。
その上で「法と道徳」についても少し触れておきましょう。
議会制民主主義が「完成した制度」とは言い切れませんが、異なる2つの意見は「会話」によってしか「すり合わせ、方向性を得る事はできない」と考えます。
多数決で決定された事には「個人の意見はどうであっても協力してもらう」のが集団におけるルールであり、それを遵守するのが「道徳」とKは思います。
「多数決での決定には従えない」という自由は尊重すべきかもしれませんが、「それならば集団からは出て行ってください」というのが「正しいとは限りませんが、仕方がない」のだろうと考えます。
制限速度40キロの道があり「俺は60キロに変えるべきだと思う」だけで60キロで走るの事をKは「正しいとは思いません」
本当に「60キロでも安全上に問題はないのなら、まずは制限速度を変えるべき」であり、実力行使していれば「いずれ変わる」と思って捕まって「罰金を払わされる」事は周りからの同情も得られない。と考えます。
仕事のルールは「勤務時間中は業務の遂行に全力を尽くす事」でしょう。
そこには「業務命令には従う」という部分も含まれます。
その辺まで、踏み込んで考えて「なおかつ、それでも歌わないのが正しい」と主張するのでしたら、自らの言葉で「論証すべき」だろうと思います。