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(回答先: 「ブルジョアジー」に人権や生存権があると主張する『ト』の指摘がない論は、「居酒屋の与太話」 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 12 月 21 日 23:58:47)
一般論と本質論とは似て非なるもんだべす。
Kotetuさんのレスのタイトル
>「ブルジョアジー」に人権や生存権があると主張する『ト』の指摘がない論は、「居酒屋の与太話」
は矛盾がありまする。
Kotetuさんは
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/624.html
と一般論イコール与太話とすてます。
Kさんが「「ブルジョアジー」に人権や生存権があると主張する」のは、これは階級本質論さかかわる問題だすな。Kさんが労働者であありながらそう考えていることであってこれはKさんのイデオロギーであるべす。つまりはKさんは労働者でありながらブルジョワイデオロギーから脱却でけてねえ、善良な「市民」意識ばもった人だとおらは規定できると思います。このイデオロギーばKさんは根拠とすて発言すてきてんだべ。Kさんのイデオロギーはメディアや支配階級による恒常的な国家イデオロギーの浸透によって、プロレタリアートが植えつけられている市民道徳(「常識」といえるかも)みてなもんだべな。
このKさんの発言は、阿修羅以外の人々ならば、どこでも聞かされるもんだす。ならば彼らに対して、「土台」がねえからっつてこれば否定すて、そだら人たちとは対話する価値がねっつこったすかや?阿修羅ばROMすてる人も多かんべすが、日本労働者人民のこういう政治的に悲惨な現実ば、Kottuさんは放置すろっつう風に捉えられますな。
んだから、一般論ば語ることが酒屋の与太話というのはあたってるが、労働問題を語ることはすでに一般論ではねぐて特殊現実論だすな。Kさんとの対話はすでに一般論から現実的な労働問題という「具体性」ばもった否定的現実の論議さたどりついてます。Kさんの論理展開さ限界があってなおも一般論的な言辞があるとすても、論議内容はすでに具体的問題さ到達すてる部分もあんべすた。ゆえにKotetuさんがおっしゃった酒屋の与太話の与太話の領域ば越えてるわけだす。
それゆえ、Kさんがブルジョワジーの生存権ば認めるとすても、それは日本人民一般のイデオロギーでもある。それを
>前提が間違っている。間違った前提はコンニャクにしか過ぎない。コンニャク積み上げても家は建たぬ。
土台がない論は家にならぬ。文字列が並んでいるだけ。
というのは「尼僧にマラ出せ」っつう無理難題だすがや。
ブルジョワジーという場合は、個々のブルジョワが組織された階級のことであって、Kさんはそのへんは「生存権」という問題では、「ブルジョワ「個人」の生存権のことを言ってるんだべす。ここはブルジョワジーとブルジョワとの混同から発する誤謬だべ。革命が起きれば一人ひとりのブルジョワが殺害されるっつう懸念ば表明すてるもんだ。んだから個々のブルジョワの抹殺には反対っつことば言いたかったわけだすな。すがす、こういう混同を混同とすて指摘すてあげるんではねぐて、Kotetuさんのような頭のええかたが、Kさんの限界ばとらえてマンナンハウス(こんにゃくでできた家)だとか土台がないとか罵倒するのはいただけません。むしろブルジョワジーとかプロレタリアートとか、帝国主義とかあまり使用しようとしないKさんの意図を汲み取ってわがりやすぐ語るのがおらにもKotetuさんにも求められるんだすがな。
んでも「黙っていられるかい」っつうHPを必読とすて紹介まで依頼するKさんの主張は、「ブルジョワジー云々」や「土台」抜きに同感できるのであって、決してそれが与太話ではないことは、労働者の苦しみば共感しようっつう熱い思いが伝わってくることからもわがります。
なすて固執すんだべ?