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(回答先: 誰が問題なのか具体的に示して下さい。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 12 月 19 日 22:10:48)
>ワヤクチャさん どうもです。
Kは前から書いていますが「評価をするのは他人」だろうと思っています。
しかし、その評価を分析して「判断するのは自分自身」だろうと思います。
自分に対する評価に「何故、そのような評価が生まれるのか?」
その評価は「自分に起因」するのか?
評価する人の方に起因するのか?
仮に「自分の方に起因」するのなら、どこに問題点があり、どこを是正すべきか?
基本的には批判をしてくれるのは「ありがたい事」だろうと思います。
本当の意味で「ここは直した方が良いよ」なんて言ってくれるのは「親兄弟か親友」くらいのものでしょう。多少の感情対立では「2人の関係は壊れない」という自信のある場合以外は「滅多に批判は行われず、当たらず触らずで通り過ぎていきます。」
ただし、これは「触れ合いのある現実社会」の事でもあります。
直接的触れ合いのある社会では「面と向かって批判してくれる人は少ない」
しかし、その反面で「影で悪口は言う」のが実情でしょう。
他にも「そいつとは、今後、関係が壊れても良い場合」には批判がされる時もあります。
この時は「アドバイス」なのか「悪口」なのかの見極めが必要になります。
ネット上と云う場合には「最初から人間関係は希薄」なので、現実社会とは異なり、この部分が更に重要になります。
問題は「その批判は真摯に行われたものか?」
「虐めに近い、攻撃行為なのか?」
ここまでは「受け止める側の考え方」です。
しかし、議論の場合には「批判をした側」からも考える事が必要でしょう。
批判を他人に行った時
受け止め側が見極めるべき
問題は「その批判は真摯に行われたものか?」
「虐めに近い、攻撃行為なのか?」の
その回答は「自分自身」にあります。
ですから「判断するのは自分自身」だろうと思います。
他人への批判を「楽しい」と思うのなら、かなり危ない。
批判された人が「説明責任をもとめたのに、応ずる気がおきない」なら更に危ない。
条件反射的に「批判の感情を抱く」なら、ほとんど腐った蜜柑でしょう。
本来「相手がここを是正してくれるなら、これからも一緒にやっていける」と云う批判であるなら「あなたのここは直した方が良いですよ」というアドバイスになるはずであり、そこには「説明義務」が生じ、あまり、短い文章で収まる事はないでしょう。
もう「この腐った蜜柑はどうにもならない」というのなら「排除要請」の方が妥当でしょう。
Kは前に「それなら、Kの排除要請したらどうですか?」と書いた事もあります。
Kを含め、ある特定の投稿者の投稿数を「一日三回程度に制限」すれば、阿修羅は大分変わった印象になるだろうと思います。
その意味で「デラシネさんの意見」には見るべきものがあったとも思っています。