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ふっと考えたのだが
仮に「鳴くまで待とうホトトギス」と言ったのは「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の内の誰?」という質問があったとき、100人の回答者がいたとしよう。
手元の「スイッチ操作」で回答する場合と「挙手」による回答では、多分だが、回答結果に差が出るだろうと思う。
例えば「本当の回答者50人の中に50人のサクラを入れて、その50人に一斉に自信たっぷりと云う感じで、織田信長の時に挙手させたら、多くの人が釣られて挙手する」という気がする。
「そんな事はないだろう」と云う気もするが、それは「確かな記憶力とも関わってくる」と云う部分であろう。「徳川家康が正解」と云う確信にどこまで自信を持っているかと云う部分である。
問題に「確実と思われる解答が存在し、知識次第では、正解が分かっている場合」では、さほどのブレはないと云う気もするが、それでも、数人レベルで「他人に合わせる事で多数派に埋没する習性から、間違いだろうと思っていても、織田信長の時に挙手する人もいる」と云う気もする。
もし仮にKの推理(間違っていると分かっていながら、挙手をする人がいる)が正しいとすると、その理屈は「多数派に埋没して、目立たないようにしたい」という習性が知識に優先する行動原理になっていると云うことである。
行動の思考は「この問題は知らないで、間違う方が『普通』なのだ。」というような事になっているのだろう。
なぜ、このような行動思考ができてしまうか?と云うと「出る杭は打たれる」からであり「異質なものは「虐められる」と思っている」からだろう。
郵政民営化の法案決議において「自分の信念に従って反対をした」議員がいる。
この議員の考えが正しかったかは判定するべきではない。
ただ、この議員達は「その時に持っていた情報を分析し、自分の判断では、賛成できない」と結論したのだろうと思う。
一方、賛成した議員の中には「相当多い比率で、何も考えないようにして、上層部の意向に従って賛成票を投じた」という人がいるのだろうと思う。
自分の信念に従って、郵政民営化に賛成であるなら、それは「成否に関係なく」理解はできる。
しかし、自ら思考停止をして「賛成」をしたのでは「議員」の資格はない。
議員とは「議論の中で去就を決める、多数決の審判員」なのである。
少なくとも、周りの者に釣られる事無く、自分で「判断する」事が最低条件である。
・・・と、ここまで書いた時に「大きな、悪の要因」に気が付いた。
それは「お客様は神様です。」という考え方である。
この考え方が、多くのジレンマの原因を形成していると気が付いたのである。
でも、今日は眠くなってきたし、考えが纏まらないので、その内に・・・
気まぐれKの「その内」ほど、アテにならない物はない。
寝て起きれば忘れているし・・・
のほほほ