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先日、人材派遣会社が既に飽和状況になって、倒産も出始めているという放送を見た。
数年前から「これから需要がある有望な企業として、人材派遣会社は注目されてきた」が既に淘汰の時代に入っている。
その淘汰の時代のために「労災飛ばし」というのが行われているようである。別に「労災隠し」も行われる。
大企業に派遣で行った職員が労災でケガなどをした場合、派遣会社には届ける義務があるのだが、大企業の中で労災があった場合には「大企業にも届ける義務が発生する」
大企業の心象を悪くした場合には「他の人材派遣に切り替える」となるので「労災は大企業とは関係ない場所で起こった事にする」というのが「労災飛ばし」である。
興味ある人は
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%8A%B4%E7%81%BD%E9%A3%9B%E3%81%B0%E3%81%97&lr=
あたりで研究してみよう。
ここでは、大企業のエゴで一方的に「事実の隠蔽」という事が起こっている。
許されない事であり、今トレンドな「官製談合」よりも悪質であり、達が悪いとKは思う。
「官製談合」というのは一種の整理行為である。会議において「収集が付かない様な混乱が予想される場合」司会の介入があって一定の規律を維持しようとする。
今の「官製談合」には問題は多々あるだろうが、それでも、誰も整理行為をしなかったら収集が付かなくなって、最終的には「労働者のしわ寄せ依存した安売り競争」になってくるだろうと思う。
「官製談合によって、無理な安売り競争までいかない」という部分も考慮する必要があるのだろうと思うが、Kの意見は別にして「官製談合が無くならない」のには「何か必要性があり、調整した方がスムーズに流れる」という部分があるのだろう。
それに比べ「労災隠し・労災飛ばし」は企業のエゴで行われる100%近い「悪」である。
「労災隠し」ならば労災の被害者は、一方的な被害者となり報われない。
多分だが、この「労災隠し」の被害者は「全国的には相当数いる」とKは考えている。多くは「雀の涙」くらいの口止め料で泣き寝入りではないだろうか?
ここでも「自己主張できない事の悲劇」が起こっているとKは思う。
「労災飛ばし」の場合には人材派遣会社としては「労災の被害者を救済しよう」という救いがある。
それもまあ、被害者が「自己主張できる」から、放置するよりは「救済する努力をした方がリスクが少ない」という判断であり、法的罰を逃れるためのリスク管理なのかもしれないが、大企業には迷惑をかけないで処理しなければならないとの企業保身によって、虚偽の労働災害を作り出すと云うことになる。もちろん「虚偽の報告」なのだから法律に抵触しているのだが、苦慮の選択で「労災飛ばし」の方がリスクが少ないと判断される訳である。
実はここでも「自己主張する事のできない悲劇(この場合の主体は個人ではなく、小企業)」が起こっている。
多分であるが
「労災飛ばしに応じなければ、契約を考えるよ。人材派遣会社はお宅だけではない。」
というような言葉を恐れているのだろうが、派遣会社が「労災隠し」をして発生するリスク判断から「労災飛ばし」を決断したように、大企業にも「労災飛ばし」を指示するリスク判断があるわけであるから、キチンと自己主張するのなら、事態は変化してくる可能性もある。
「労災飛ばし」を行わなかった事を理由に「派遣契約の見直し」という不当行為をされた場合は「出る所に出ましょうか?」と交渉する勇気一つである。
実はこの考察は、この日本が「まともな国」だったらの話である。
大企業は様々に癒着し、司法や行政とも結びついているので「理屈通りにはいかない」と云う面もある。
【労災を隠すのは罰金50万円以下の犯罪です(労働安全衛生法第120条)】
という記事もあるが、そんな罰では、罪が軽すぎると云う面もある。
大企業が「労災を隠すように指示して」失敗してもリスクは「50万円の罰金」では、痛くも痒くもない。
仮に裁判闘争の末、大企業相手に負けでもしたら「正義感に燃えた方は身の破滅」である。これでは、戦えない。
「談合問題」より「労災隠し、労災飛ばし」の方が優先順位は高いとKは思うが、世論は「談合で身を滅ぼしていく公務員」を見る方が好きだろうと思う。
と云うか、世間一般の人は「労災飛ばし」という言葉すら知らないだろう。
「ワーキングプア問題」「憲法改正問題」「教育改革問題」「防衛省昇格問題」「共謀罪問題」と様々な問題が渦巻いている。
ここで問題は「他人の意見で自分の動向を決める人の比率」と云う点である。
友人が「防衛省で良いと云うから」自分も同じで良い。と云う人の割合はどの程度であろうか?
日本人には「横睨みで、自分の動向を決め、多数派の方に流れていく」という性質が強くあるのである。いわゆる「勝ち馬に乗る」という部分である。
そこには「自分では判断できない」という性質と「他人に依存する」という両面がある訳であるが、この部分が大きくなると「情報を取り入れようともしない」という性質に変化していく。
「私は政治の話は大嫌い!」と公言する人もいる。比率的には女性の方に多いが、男性にもいる。研究もしようとしないのに「まともな判断などできるわけがない」
Kは前から主張しているが「まともな判断をする事ができない奴らに、決定権(選挙権)を与える必要性」を感じない。
「ワーキングプア」と云う言葉を知らず、「労災飛ばし」という言葉を知らず、「共謀罪」という法律の概要すら知らない者に「何を判断させようと言うのだろう?」
好きな政党の人気投票が「選挙」ではなく「正しい政策を託すのが選挙」である。
自分で判断する事を忘れ、他人の動向によって「自分の動向を決める」と云う人にいかに「自立心を持ってもらうか?」
そこを突き抜けられない限りは「個々の案件の正義」すらも意味などないのである。
「憲法改正は、改悪である」というのが正しいとしたって「悪意を持った人気者が、改正は改善である。」と主張しただけで、中味の研究もせずに「人気者が言うのだから、正しいに違いない」で終わりである。
「ここには理屈も何もない、感情的な好き嫌いだけが存在する」
個人の主観なんてものは「考え方次第」であり信頼性は少ないだろうと思う。
問題は「自分が、そう判断する根拠」があるか?ないか?
その判断に対して「判断するだけの十分な知識を有し、かつ研究したか?」という部分であろう。
良く「何の根拠も示さずに、妙に自信だけは持っていて、しかも、こちらの意見は受け止めようともしない」論客がいるが「何を根拠に、信じ込めるのか?全く不明」である。
他人に対し、説得力ある説明もせずに「私の言葉を信じなさい」では、宗教の世界である。このような「言葉に惑わされる人が増える」と日本は危ないのだろうと思う。
つまり、根拠も示さずに「反対表明だけしている」という者の存在自体が「かなり問題」なのだろうと思う。
「意見が正しい、違っている以前」に「根拠の示せない、感情で判断する人の増殖を促す」と云う部分である。
「自分が正しいと思うから、それは正しい」のではなく、「論理的な根拠が示せるから、それは正しい可能性が高まる」のである。ただし、根拠というのは「知識と経験などによって切り替える必要もある」のである。知識不足と経験不足が「未熟な根拠」になる場合があり、それが確認された場合には「考えを変える」という自己検証も忘れてはならないだろう。
大抵の思想団体や政治団体、さらにマスコミの広報活動は「支持者拡大の作戦的意図」と云うものがあり、一定のフィルターをかけてから「考えるようにした方が良い」だろうとも思う。
「好きな政治団体が言っている」というのが一番危ない思考である。
多分であるが、好きな団体と、嫌いな団体では「好きな団体の方が、貴方にとって比率的に正しい事を主張している」だろうから、応援するのは当然であるが、引きづられるのなら、その団体は「個人の判断力を無くさせようとしている」という部分があると云うことである。
最近は、Kの考えにおいて「どう考えても、理屈に合わない法律が成立している」
もちろん、Kの考えの判断基準が間違っている可能性もあるが、その法律が「なぜ必要で、他の案に比べてどのように優れているか?」と云う部分の説明が不十分なのだろうと思う。
例えば「郵政民営化法案」に対し、あった説明は「官から民への流れ」と「改革の本丸」という「説明ではない、説明だけ」であり、決定された後の状況は「サービス低下」の状況報告だけという状況で、どこに「24時間のコンビニ郵便局が建設されるのだ?」という感じである。
ちなみに「コンビニATMで郵便局のカードを使うとしっかり手数料を取られる」ので注意した方が良い。
Kは一回利用しただけで「年間利息以上の手数料を取られて大損気分になった」、確か「郵便局ではカード利用者から、今のところ手数料は取っていない」とか言っていた気がするのだが・・・
あっ! 長くなったので、この辺で終わります。
言いたいのは「自分で判断するようにしよう」です。