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昨日の朝のラジオのNHKニュースで民主党の小沢氏が「野党協力で与党過半数割れをさせるため、一部の選挙区では、民主党の候補を立てない事を検討している」との放送を聞いた。
Kの主観では「活気的な決断だ」と感心するが、色々と難しい部分もあり、実現するのかは不明である。
人間と言うのは「妙にバカな部分がある」
「意地」とか「プライド」とか「信念」とか、糞の役にも立たない部分を行動原理にして「全てを失う」という事が少なくない比率でおこる。
Kはただ「実効・実益を第一の視点」にと唱え、常に労働者・弱者の視点で「どうすれば、良い社会になるのか?」の一つの視点を示しているにすぎず、自分の意見を絶対正しいとすらしていない。参考になれば良いとしているだけである。
多くの人が自分の主観に囚われている。
例えば
【植草さんの裁判の傍聴に行ってきたよ。植草先生の無罪を確信した。 クエスチョン】
http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/920.html
を例にすると、なぜ確信できるのか?Kには全く理解できない。
列車の方向を間違えるくらい酔っぱらっていた状況下で「なぜ、そんなに覚えている?」というような矛盾のある自己保身のための言い訳が書いてあるが、仮にこれが国策逮捕劇だとしたら、関係者は公安で固められているので、その方向から調査すればボロが出ると思うが、それすら行わず、主観だけで確信しているとしか思えない。
今回の擁護論を「植草氏」に行うのなら許されて、例えば「みんなに嫌われているような政治家に適用した場合」には、政府の工作員になるだろう。ここが問題点である。
公平な視点、誰に対してでも公平な見方、多くの人が「自分の判断において、そのような判断力を身に付ければ、おかしな社会は改善していく」とKは思っている。