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本当に時の流れは速いのう。あれよっと言う間に12月じゃとさ。「正月や 冥土への一里塚 …」と一休さんも詠っとるが、ワシも切実に冥土ヘ近づいとると思える今日この頃じゃて。まあ今年もいろいろあったが、最近の世相を最も象徴的に表わしておると思うのは障害者自立支援法じゃとワシは思うんじゃがどうじゃろうか。
実態はどうやら障害者切捨て法らしいが、自立支援法とは旨いネーミングじゃわな。こう言うずる賢いコピーをぬけぬけと付けられる神経が恐ろしいのう。顔が見たいわな。
障害者にも身体、知的などいろいろあるようじゃし、障害者と言っても社会的な力の有無については様々なレベルがあると思うんじゃが、押しなべて表現すれば、身体障害者は日本社会で最も弱い立場のグループの一つとしても良いと思うんじゃて。
こうした弱者保護を法律で切り捨て、弱者を困らせることは社会全体が、国家全体が弱者への思いやりやいたわりを無くしても良いとか、見捨てても良いとするメッセージだとしかワシには受け止めれんわな。それは弱肉強食へシフトして行くんだと国が宣言したと同じじゃろうし、それなら国民同士間でも弱い者いじめがあってもしょうがないわのう。事実、会社間での敵対TOBは盛んになると言われとるじゃろうて。
現代のいじめ、幼児虐待の世相などにしても、国や社会が弱肉強食に向かっとるわけだからしょうがないじゃろうて。マスコミは個人的ないじめ等にはワアワア言うが、国や社会のいじめには黙っとるんかのう。脳みそどうかしとらんか!?玉突き的いじめ、いじめの連鎖となっとる部分も大きいわさ。
「弱い者はかばってやる」「弱いものいじめは卑怯者」「いたいけなものを苦しめるのは男じゃない」と幼年時代、貧乏人のワシの家でも厳しく言われたもんじゃが、国も社会もそうした観点が必要じゃて。道義じゃわな。
「もっといたわってやりたいけど、これが誠意パイのところじゃから、かんべんしとくれよ」この最低ライン、限界値が必要じゃわな。道義ある社会が構築されれば、民草のいじめも当然減るじゃろうて。
実はこうした弱肉強食の現代社会風潮には、霊的観点から見れば空恐ろしいもんがあるんじゃて。
いつもワシが言うとるように、この世に生れ落ちた命は、魂の意味で全て同等な価値ある命なんじゃて。大リーグのイチローも、おちゃら気の芸人も、脳性まひでベッドに横たわる人も、それぞれの立場で修行する尊い魂であり、いずれも使命を持ってこの世に生きる命であり、たまたま役目や使命が違うだけの存在じゃによって、同等の価値ある命であるんじゃて。
では、脳性まひの人の使命は何かと問いたいじゃろう。
脳性まひなど自分の力で人生を渡っていけないような人は、いずれも、一族、家族の霊界に積み重なった罪穢れの払拭を、身をもって行っておるんじゃぞ。これらの人が罪穢れを一人で背負ってこの世に出ておるわけじゃから、周りの人が元気で五体満足な生活を送れるのも、彼らのお蔭じゃわな。健常者からみればおぞましいその姿も、実は家族、一族、血族の負の部分を背負って立つ勇者の姿じゃぞ。
それだけだけじゃないぞ。彼らは、その身をもって、周囲の人々へ、「人への愛のかけ方」「献身の心」を教えようとする先祖の願いの心が表わされておるんじゃて。
「現世にいるお前たちには、愛が足らない。自己欲を捨てて人のために尽くすように」とするメッセージじゃわな。じゃから、一族の負の部分をその身でさらしながら、周囲が愛深くなるように導いてくださってもおるんじゃて。
だから、家族は当然として、周囲の人々もそれらの人々へは、愛といたわりを持って接するのが人としてあるべき姿じゃわな。
障害者等をないがしろにする家庭、血族は霊界の罪穢れが掃除できず、霊主体従の法則
http://www.k2.dion.ne.jp/~well0369/newpage11.html
のとおり、霊界の汚れは現界での不幸へシフトする摂理によって、病気、貧困、争いの暮らしへ徐々に向かって行くわけで、そうした一族が増えるということは、国全体も病み、沈んで行くわのう。国が滅びの道をたどるわな。
こうした心身に関する不自由者が「皆さんありがとうございました。こんな私でも幸せで楽しい一生でした」と、感謝の心であの世へ帰ったとするならば、その時、霊界が清まる仕組みなんじゃから、国を挙げて取り組む姿勢が本筋じゃわな。
しかし、彼らを贅沢させろとか、過保護にせよとかではなく、自然体の中で、彼らの心が満足するような尽くし方が必要ということじゃて。
また、弱肉強食的行為は怨みを買いやすく、怨みは霊界に大きな穢れとなって一族の未来に暗雲を作るもんじゃが、たとえばTOBで法的に適切だとしても、怨みが残れば「江戸の敵を長崎で討つ」ごとく、将来何らかの形でお返しが発生することを肝に命じておかないかんわな。多くは子孫に反映されるでな。あるいは本人の病気など忌まわしい事象となるでな。気の毒にならんようにな。しかし、気の毒がどんどん起きとるわな。いじめの連鎖、虐待、自殺、一族内での殺人、通りすがりの事件、原因不明の難病などなど。
一方で、企業には減税じゃと言うとるが、海外へ優良企業が移転する懸念かいのう。天の摂理を知らん、よほどのたわけ者が国の中枢を支配しとるのかのう。優良企業、大金持ちからはどんどん税金とって、弱者や国民の役に立てれば良いわな。そのかわり感謝の念を贈る。敬意を払うことが大切じゃて。
銭ばっかりで理念無く、道義を忘れた企業が日本から出て行きたければ、どんどん出て行けば良いわな。スッキリとするわな。それから日本を再構築すれば良いんじゃて。
企業が人を支えとるわけじゃないからのう。人が企業を支え、従業員や目に見えない方々が、社長らに力を与えとるんじゃて。たとえば国の首相や学校の校長など組織の長たる立場の人は、国民や父兄など組織に関わる人たちの先祖の願いや祈りが、その長の個人的資質を遥かに超える大きなエネルギーを与えることとなり、能力を超える能力が発揮されるもんじゃわな。
これを自分の資質と勘違いする愚か者も多いが、自分の至らなさを支えてくださる目に見えない魂、霊界からの力に感謝を忘れてはいかんわさ。「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」は、このことを意味しとるわけじゃし、長たるものはそうした精神や道義を忘れてはいかんわな。
宗教界にも多いぞ。教団の幹部になると神々や、先祖の力が後押ししてくださるのでな、ついつい自分の力じゃ、俺の能力が強まったんじゃと天狗になって、さすれば、その邪念に悪神がつけいるわな。こうして、政治、経済、宗教界と悪にまみれて行きやすいわのう。
この国は悲しいことに理念、道義を忘れすぎじゃからのう。人は「他者の幸せのために貢献する」ことを念頭にし、そこを土台として理念や道義が構築され、それらが生活に反映し、その集合体で社会が形成されんとまずいわな。
どれだけ銭を集めても「あの世」には持って行けんということは、銭集めが人生の目的じゃないということじゃかろのう。
理念、道義無き銭集めは己を貶め、愛する者を苦しめ、社会を滅ぼすだけじゃからのう、為政者や大企業の社長や幹部は、その点をしっかり踏まえて欲しいもんじゃて。また、縁ある日本人は、それをイルミナティーの面々にも教えてやらないかんわな。
いじめにはいじめられる方にも原因があり、その因の多くは先祖や親の「怨み」があるもののそれをどこかで歯車を留める工夫が必要じゃわな。その意味でも障害者自立支援法は、社会をいじめと怨念の世界へシフトする、因果の小車を一層激しく回す象徴的な事象じゃとワシは思うんじゃがどうじゃろうか。