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(回答先: 揺るぎない真理を持った大人が殆どいない。 投稿者 haru 日時 2006 年 11 月 30 日 19:47:14)
これは単純のように見えて、実は、極めて重要かつ本質的な問い掛けになっていますので、小生の関心ある視点からコメントをすることにしましょう。
何故ならこれは、少し考えただけでも、以下の様に、数々の問題が絡まってくるからです。
例えば、大人の不在と父の不在は、実は、同じ事の別の表現ではないのか?そしてそれは「家庭崩壊」とも何処かで繋がってるのではないか? またそれは戦後アメリカ的な家族制度を取り入れたことの、言い換えれば戦前までの大家族制の解体の結論なのではないか? 更にここで挑発的に言えば、同様にそれは、明治以来の天皇制の変容と連動しているのではないか? またそのことが、戦後の日本がアメリカから自立出来ないばかりか、今日の、極端な対米依存の大元にもなっているのではないか?即ち、現在の日本において、宛もJ.オーウェル描くところの「ビッグブラザー」(『1984年』)の如く君臨するアメリカ(という存在)とこの大人の不在は裏腹なのではないか?等々...
つまり、これらは本来1つの事として論じることも可能ですが、家族、社会、天皇制と、別個に論じられる要素も多々あり、却って焦点がボヤケて仕舞う恐れも出て来ます。 加えてここに、今日の「教育問題」を含ませるとなると。
そこで、これらの根っ子は1つということで、思想的な観点からこれらを論じてみたいと思います。 とは言え、「学校教育」を思想として論じることになるとイリッチ的な結論に落ち着いちゃうようで、それでは実も蓋も無い。 しかも、haruさんの所論自体が、本来社会に備わってるべきはずの、「社会的な教育機能」という観点からの「大人論」であるだけに。
小生は、この事態を、<近代化>の必然的な道行、と見ております。 特に戦後の<アメリカニズム>の浸透こそが決定的であった、その所以を次回述べたいと思います。