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(回答先: Re: 欧米の本物のブルジョアジーは額に汗等しないのだ。日本のは本物じゃない 投稿者 パルタ 日時 2006 年 11 月 30 日 22:14:08)
>欧米のブルジョアジーって、そんなんじゃない。
ここでいうブルジョワとは、kotetuさんも触れていますが、西欧近代に現れた都市の自由民を指します。 (従って、<自由主義>とは、彼ら自由民の行動或いは思考様式を言うのです)
だから、もし彼らと日本や非西欧を比較するのであれば、西欧近代という場(枠組み)を問い、加えて何より都市論として提起されなければならないー勿論これは(西欧)近代文明という時の文明(civilization)が都市(民)化を意味することからも明らかでしょうーと思います。
そうして、前者の西欧近代という場(枠組み)そのものが、奴隷貿易と中南米からの富の(海賊的)略奪を基底にした<大西洋経済圏>を背景に成立していることが疑いを入れないことからして、パルタさんの視点も、典型的な、木を見て森を見ず、と断ぜざるを得ない。
即ち、彼ら西欧近代の都市自由民の<資産>は、アフリカから拉致した奴隷(労働)と中南米からの富の略奪の凄まじさを示すものではあっても、彼らの能力や度量を示すものでは全く無いはず、でしょう。
(もちろん、その意味で、彼ら近代の都市自由民と古代ローマの都市自由民は何ら変るものではない)
付け加えれば、この二つの要因が、奴隷が賃金奴隷(プロレタリア)として(これを実にシンボリックに示しているのがアメリカ南北戦争)、更には略奪の対象になった中南米の社会の在り様が「ユートピア」(T.モア)即ち共産主義の原像として、資本主義における原罪の如く刻印されていると、わざわざマルクスを援用しなくとも、僕には思えます。
また、文明としての「都市論」から言えば、最近益々、(都市)文明が滅ぶ第一の要因が「環境問題」であることが歴然としてる以上、当然、評価の基準も又そこに在る、と言わねばならない。
そして、この点からいっても、彼ら西欧の都市自由民は、断罪されこそそれ、決して称揚に値するものではないはずです。 彼らの<自由>が「環境」を省みない、或は犠牲にすることによって成り立っていることが明らかな以上。
一体、パルタさんは考えたことがないのだろうか?
「産業革命」以来高々200年程で、人類の存続さえ危ぶまれるようになったこの産業文明は、根本において、致命的な欠陥を抱えたシロモノではないか?と。
近年、都市(文明)としての江戸の評価が国際的に高まっているのも、かかる視点(持続可能な!)が極めて重要なものと認識されてきたからに他なりません。
従って、この点からもパルタさんの「評価」は不可、総じて言えば、丸っきり倒錯していると結論付けざるを得ません。