★阿修羅♪ > 雑談専用21 > 1459.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
人間には2種類の存在があるという。
一つ目は「他者依存体質」
二つ目は「自己主導体質」
この差は「良いと思う意見に帰依してしまうか」
誰の意見であっても「一応は疑ってみるか」の差であろうとKは思う。
マスコミが報じているのなら「真実」だろう。
政治家のお偉いさんが「こうすれば良くなる」と言うのだから、そうなのだろう。
ここは、第一段階
少なくとも「ここを疑った上で、別の角度の意見などを取り入れて、自分で分析、判断する事が出来なければ、どうにもならない」
しかし、マスコミの嘘に気が付き
政治家の詭弁に気が付いたとして、その嘘に先に気が付いた人にフラフラと付き従うだけならば、それは結局は同じ穴のムジナだろう。
要は、体制擁護の頭数の一人に埋没するか、反体制の員数に組み込まれるかの違いでしかない。
本当の意味での創造力を発揮できるか?
ここは、才能という分野になるのかもしれないが、少なくとも起業するにはこの能力は必要である。
創造力という才能の無い人はサラリーマンとなるしかないのだろう。
高級官僚であってもというか、高級官僚こそ典型的なイエスマンなのかもしれない。
他人に使用される人生
自分が他人を引っ張る人生
この差は大きいが、それを選択するのは「創造力」の才能いかんだろう。
「創造力」が欠如している人では「起業しても失敗は目に見えている」
政治家を見渡しても、自分の意見をしっかりと発言できる人というのは余り見えない。
ここは、所属する政党の縛りという部分もあるのだろうが、所詮はサラリーマン(員数の一人)としての政治家が多いという気もする。
その意味で「小泉純一郎氏には人気が集まった」
単なるサラリーマンの政治家ではなく、創造力があるように見えた。
しかし、実際は「単なるバカであった」
創造力はほとんどなく、あったのは「郵政は民営化しなければいけない」という親子三代に渡る妄執だけだった。
日本には「創造力のあるリーダーが必要である。」