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すでにホワイトカラー・エグゼンプション導入中の企業多し
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/1037.html
投稿者 初哲学者 日時 2007 年 1 月 15 日 17:27:38: RbkUj35Ik5oFI
儒教精神に凝り固まってる日本人には全く違和感のないことなのだが、
格上(といわれるステータスのこと)の人の意見をありがたく頂戴するもんだ。
・・
儒教精神にのっとり格上の米国のためにこんな日本売りしてみてくださいな(笑)?
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言わんとする趣旨に対しては何ら異議は無いのですが・・
奴隷根性のことを「儒教」と言わないでくださいませ>初哲学者
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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=288448703&owner_id=5049163
たけ(tk)の日記 全体に公開 2006年12月10日 01:48
従属者の徳目(忠孝悌)と自律者の徳目(仁義礼智信)とがある
>教育再生会議・・「奉仕の精神」や「友情」「親孝行」といった徳目
おそらく
1. 忠:「奉仕の精神」:権力に忠誠を尽くす。
2. 孝:「親孝行」:親に孝行する。
3. 悌:「友情」:上位の仲間に従う。
といった徳目を強調したいのだろう。
これらは従属者の徳目である。
それに対して自律者の徳目には次のようなものがある。
1. 仁:人民に対して深い理解と思いやりを持つ。
2. 義:正しいことは正しいと突っ張る。
3. 礼:現状の慣習は尊重する。
4. 智:目的実現のための智慧を持つ。
5. 信:言ったことは実行する。
従属者の徳目が悪いとは言わない。人間は社会生活において従属的な関係に立たざるをえないことが多いからだ。そのときに、社会的関係を維持するためには従属者の徳目が最低限必要であろう。
しかし、ヒトは、上位者の立場にならざるをえない場合も多々ある。そのときに、自律者としての徳目が必要になることは明らかである。上位者に徳性が欠けていれば、社会は腐敗し、人びとは希望を失うだろう。
自律者としての徳目を無視して、従属者としての徳目を強調するのは、国民を奴隷化する教育であるを言わざるをえない。
■教育再生会議、「徳目」「規範意識」必要で一致(読売新聞 - 12月09日 13:11) http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=128806&media_id=20 教育再生会議、「徳目」「規範意識」必要で一致 (読売新聞 - 12月09日 13:11)
安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は9日午前、前日に引き続いて都内で審議を行い、学校教育を通じて「奉仕の精神」や「友情」「親孝行」といった徳目を身につけたり、奉仕活動などを通じて忍耐や働く大切さなどの「規範意識」を身につけたりする必要があるとの考えで一致した。
1月にまとめる第1次報告に盛り込む考えだ。
徳目を身につける具体策として、地域に伝わる伝説や童謡、言い伝えなどを学校で教え、国や地域の伝統を尊重する心を養うとしている。また、郷土の偉人について学ぶ機会を増やし、子供の郷土への関心を高めることが重要だ、とした。
家族への感謝の気持ちを確認する機会とするため、「家族の日」の創設を提案する方針だ。多くの委員からは「国民運動として家庭教育の再生に取り組むべきだ」などの声が出たという。
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自律者の徳目(仁義礼智信)と従属者の徳目(忠孝悌)
http://www.asyura.com/0304/dispute9/msg/806.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2003 年 4 月 10 日 02:20:01:SjhUwzSd1dsNg
(回答先: グローバルアイ 3月号 アメリカ民主主義で育ったインテリが「反米」を叫ぶ日本 投稿者 Ddog 日時 2003 年 4 月 10 日 00:46:54)
>「義をみてせざるは勇なきなり」の信義もあった。
>国際信義とは同盟の"義"の死守
にだけ反応。
http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/lrin/lrin79.html
>『南総里見八犬伝』で有名な「仁義礼智忠信孝悌」という八つの徳目の内、儒教では「仁義礼智信」を「五常の徳」という。
「五常の徳」というのは自律者の徳目(仁義礼智信)です。それに対して馬琴が追加した忠孝悌は従属者の徳目です。
仁(思いやり)義(普遍的正義)礼(習俗を尊重する)智(智慧)信(自分の発言は実行する)はどれも自律者として必要とされる徳目。それに対して、
忠(権力者に忠誠を尽くす)孝(親に従う)悌(兄に従う)は何らかの隷属関係にある人間の、上位者にとっては都合のよい「徳目」。
「日本的な」美徳として忠義(権力者に忠誠を尽くすのが正しい)とか、義理(恩を受けたものにお返しをしなければならない)とかいうものがある。(「日本的な美徳」といっても、おそらくは江戸中期以降のイデオロギーだと思う)。
社会関係においては、従属的地位に置かれることは当然あり得る。従属者が自ら仁(思いやり)義(普遍的正義)礼(習俗を尊重する)智(智慧)信(自分の発言は実行する)の評価をした上で忠(権力者に忠誠を尽くす)孝(親の利益を考える)悌(兄に従う)ことを決断するのは一向に構わない。
しかし、仁義礼智信を投げ棄てて、ただ忠だけに従うのであれば、奴隷の平和を求めるに過ぎなくなる。
「義を見てせざるは勇なきなり」を「寄らば大樹の陰」の意味でことあげするのは、孔子に対する冒涜である。
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http://homepage3.nifty.com/take_tk/gaia/jingi.html
(1)論語での「孝・悌」の扱い
(2)論語での「忠」の扱い
(3)「孝経」
(4)宋代の十三経
(5)宋代に「忠・孝・悌」が重んじられるようになった理由
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http://homepage3.nifty.com/take_tk/honyaku/daigaku1.html
たけ(tk)訳『大学』コメントなし版