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(回答先: 強制のない世が理想だが、ルールを守らない不埒者へ国家が強制力を行使するのは仕方がないと思います 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 1 月 08 日 23:15:44)
最大多数の最大幸福さん、こんにちは。
早速で恐縮ですが、あっしらさんの言う“開かれた地域共同体”が実現した時、
国旗、国歌、そして愛国心はどのような変容を遂げるのでしょう?(あるいは変容しない?)
あっしらさんの説明では、
国家は、開かれた地域共同体の緩やかな集合体に変わる、というような説明であったと思います。
まずは地域共同体旗、地域共同体歌、そして地域共同体愛があって、それからその延長線上に国旗、国歌、愛国心が乗っかってくる、
というイメージでしょうか?
私の直感ですが、
開かれた地域共同体になってしまうと国旗、国歌、愛国心の需要(!)はほとんど無くなる様無気がします。
また地域共同体旗、地域共同体歌のようなもののも不要な気がします。
しかし、地域共同体愛だけは必要かな。しかし、そもそも○○愛と言うのは強制されるべき問題ではありますまい。
国旗、国歌、愛国心というのは“閉じられた国家(あるいは共同体)”において効力を発する、
いや、逆に、国家の範囲で人と人の連帯を閉じてしまおうとする意図にこそ、
国旗、国歌の制定、愛国心の涵養というのは遡及されるのではないか?
とすると、“開かれた”地域共同体と言うのは文字通り開かれているわけですから、
コミュニティを閉じるための舞台装置である国旗、国歌、愛国心は無用の長物になるように思います。
単なる感想文です、読み飛ばしてください。