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(回答先: 考察者Kの考察】憲法も読めない考察者Kは、義務教育からやり直しだね。(笑) 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 1 月 08 日 23:50:39)
あの・・・”「君が代反対」は「社会貢献」”と言ったのはワタクシでございます。
K氏が日の君強制への反対を「社会と言うものを『否定する』」行動だと評したことに対抗する形で言いました。
社会貢献の要素がどこにあるかについては下記をご参照ください。
●主観によっては、どっちがワガママかなど、違ってくる。
そんないい加減な「ワガママ」などという基準をもとに「自由」を論じようとするK氏の見識を疑う。
内心の自由、表現の自由といったものは、もっと絶対的なものである。
それも、権力者の専横に対抗することを許さない範囲の「自由」など、無意味である。
なぜなら、内心の自由、表現の自由は、どのような時に侵されるかといえば、今回のようにまさしく権力の嫌うことを主張しようとする場合に侵されるからである。
だからこそ、権力者拘束規範である現行憲法には、内心の自由、表現の自由を始めとする人権の保障が規定されているのである。
そして、国民には、こうした人権を得、守るべく、不断の努力をしなければならないとされているのである(12条前段:この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。)(そしてこの12条は現行憲法の中で唯一国民に向けられた規定と言えよう)
逆に言えば、日の君への忠誠を嫌がる人たちの内心の自由、表現の自由が、権力者側の好むような形で蹂躙されることを許すのならば、それは権力者による憲法違反であるし、蹂躙を積極的に支持するようなK氏は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利」を自分から放棄しているも同然なのである。
・・・
改悪された教育基本法にも、また、前の教育基本法にも、「日本国憲法の精神にのっとり」との文言があります。教師は憲法の精神にのっとって教育すべきということでしょう。であれば、教師たちの抵抗は、憲法12条前段の、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」に則っている行為であり、教師として果たすべき職務の一環であるとの見方もできると思います。
●日の君強制への抵抗の持つ意味の一つは、日の丸・君が代への忠誠を、国民全員が誓わせられるということ自体が持つ問題点を訴えるということです。
その問題点とは、国家主義的、全体主義的な方向へ日本を向かわせるということ、
そして、
日の丸・君が代のもとへの国民の意識の統合(一種の偶像崇拝)により戦争において兵士として動員しやすい国民をつくることになるという問題です。
これは明らかに「社会と言うものを『否定する』」考えどころか、社会のためを思っての行動です。これこそが社会貢献でしょう。権力者の言うことにただ従順に従うことが社会貢献ではありません。それは単なるお追従、「奉仕」です。
以上、
改憲反対を主張しながら自民党の改憲案を地で行く主張を展開するK氏。
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1080.html投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 07 日 21:35:43: QS3iy8SiOaheU
及び
貴方には、「多様な価値観を認める(=人間の尊厳を認める)」ということができないのですか?
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1099.html投稿者 heart 日時 2007 年 1 月 08 日 15:03:32: QS3iy8SiOaheU
より。