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(回答先: 多分ですが、人間は「相当数」の人が「楽な方に流れて行く」と思われます。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 1 月 06 日 20:26:13)
考察者Kさん
「乞食は3日やったら辞められない」に適合するタイプの人(性格や、そういう状況、時期にある人)にとってはそうだろうと分ります。それは資本主義社会による「生きるのが辛い」と感じるような強制性があるからでしょうね。そのような社会とは関わらない立場でいるのを「辞められない」のはむしろ、当然でしょう。このように人は本性に従って生きるのが「楽」なのですね。物理的には「苦」でしょうが、精神的に「楽」なのだという側面があると思います。
「人は放っておけば楽をする」というのは、多分、「仕事をしない」=「物理的不便を社会にもたらす」というイメージに繋がってくるのが一般的なのだと思います。それに、「働かない=一時的な姿」という捉え方が正しいのではないかなと思うのですが…。むしろ、社会の物理的便宜・便利さを「何よりも」大切にする・させようとする社会状況のほうが変だと思う。つまり、そういう変な発想を皆がせずに、「物理的便宜は適当でいいのだから、彼が自発的に働くようになれればそれが一番良い」と思えれば良いのではないかと思う。
似たような事として、通常、「利益(物質的)」というものについて、「奪い合う」という行動が普通かも知れません。そして、より多く奪った者が(この世では)栄えるという状況があります。しかし、そのような行為は「そう長くは続きません」。そもそも、「(物理的)利益こそが生きる至上命題である」と思い込んでいるのは何故? 皆さん、精神的な利益について忘れていますよね。魂が忘れられた社会ではないかと思います。そんなことについてちょっとタイプしてみました。
http://oriharu.net/jtoyoungman.htm#zen_aku1