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□メディアに商人魂 記事の裏を見る [JANJAN]
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メディアに商人魂 記事の裏を見る 2007/03/01
自分の子供には「相手の立場になって考えろ」と教えている。相手の気持ちも、また弱点も分からないからだ。メディアのことを知りたい思えば、相手の気持ちになるとよい。記事を素直に読むだけでは分からない裏の顔が見える。
もし、家族持ちのあなたが左派系雑誌の編集長を任されたとを考えてみるとよい。あなたの最大の関心事は、販売部数となるだろう。減れば首が飛ぶからだ。家族の心配もしなければならない。雑誌が以前からの読者という固定客で支えられている現実を認識せざるを得ない。方針の転換は固定客を失う恐れがある。彼らをより満足させる記事を載せるのが無難な選択となる。より過激な方針が部数を伸ばすこともある。左と右を置き換えても同じである。「販売部数が減ってもいいから、君の信念を貫いてよろしい」などと言われるような甘い世界ではない。
経営者・編集者にとっての最優先事項は、会社の維持・発展と自分の地位向上である。いかに立派なことをいっても、潰れれば元も子もないのだから仕方がない。日本の戦時体制下では、新聞はみな軍の手下になり下がったが「社員を路頭に迷わす訳にいかなかった」というのが、戦後の代表的な言い訳のひとつである。社員のために犠牲になった言いたいようであるが、社員の中に自分も含まれている。今も体質はたいして変わらないと思った方がよい。
左や右の路線を継続するのは、それが固定客を大事にする商売の方法でもあるためだ。固定客は自分の考えに近い記事を歓迎する。この状態が続くと、社会認識や思考方法、言葉の定義にまで及ぶいわば「文化」の異なる2つの固定客の集団ができる。どちらも対立側の主張を読むことはあまりないから"「文化」は純粋になり、違いは大きくなる。新聞や出版社の利益のため、国内に「理解の壁」ができるのだ。「理解の壁」は社会にとってよいわけがない。
そのうち双方の過激な者同士が激しい議論を始める。一種の代理戦争である。「文化」が異なっているので、話がなかなか噛み合わない。同じ日本人ながら、相手を宇宙人のようだといわれた方がいるように、双方の理解は困難である。議論が激しくなるほど雑誌は売れて、経営者も編集者もニンマリ、となる。読者とは金を払って踊らされているだけの上客なのだ。
歴史問題をネタにすることは、販売を促進する1つの有効な手法である。数十年昔のできごとは、真偽がなかなか分からない。分からない以上、様々な解釈が出てくる。対立相手のアタマを熱くする解釈は歓迎される。双方が熱くなれば、販売部数は伸びる。しかし、やり過ぎると昨今の事情を見れば分かる通り、日中関係に水を差すなんてことになる。
南京事件などの歴史問題を、一般の人間が正しく判断するなんてことはまず不可能である。一般人が得るのは2次、3次情報ばかりだ。「AではなくBである」と思うのは、その人が読んだものによって決定されるといってよい。双方の固定客が与えられた情報に基づいて、熱くなって議論するのは滑稽な風景である。
もっとも、経営者や編集者達が使命感を持っている場合があることは否定しない。行動の背景には、たいてい複数の動機がある。上に述べたのはメディアの性格を理解するための、1つの側面である。要するに、メディアの中心部には常に商人の魂が座っていることを、理解して頂けたらと思うのである。
(岡田克敏)
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