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□女子高生の主張、党首の主張 [プロパガンダファクトリー]
http://blog.livedoor.jp/augustoparty/archives/50762327.html
2007年02月12日
女子高生の主張、党首の主張
11日の朝日新聞朝刊「声」欄を見返してみよう。
ちょっと感心する内容の投書があった。
テレビ局のスポーツ中継に対する意見だった。
文章は「特定の選手に焦点を当てた構成をしている」という指摘から入る。
曰く「Jや海外内定、世代別代表ばかりが取り上げられていた」と。
思い出せば大会前は乾貴士や伊藤翔の話ばかりだった…。
更に「思いがけないドラマ、ヒーローが感動を呼ぶはず」と進めている。
党首も同感。去年夏の甲子園がいい例。
ハンカチ王子は急に出現したからこそ、新鮮な印象を世間に与えたんだ。
筆者は千葉県某市の17才!
筋が通って無駄もなく、説得力のある文章だった。
大学入試の小論文を書かせたらかなり強そう。
女子高生がこんなことを書くんだから、日本の将来も暗い。
こんな頭のいい子は、政治や経済を考えるべきだ(苦笑)
特に辛辣なのはこの一文。
「テレビ放送では、あらかじめヒーローを定めることで、
その選手が中心となって試合を勝ち進んでいくというドラマを
最初から作り上げているように感じます」
本当にその通り。サッカーだけじゃない。
赤坂某局のボクシング中継なんて典型じゃないか!
ただし大人としてはテレビ局の都合も分かる。
彼らは不特定多数を相手にしている。
90%以上の視聴者は普段高校サッカーなんて見ない。
インターハイも高円宮杯も結果を知らない。
代表戦だって「カズと中田英寿しか知らない」視聴者が少なくない。
そして人間は記憶力に限界がある。
1試合に登場する22人を全員把握するのは無理!
一人「主役」を作って、キャラ立ちさせて、最低限印象付ける。
視聴者が試合を消化するために必要な操作だ。
私は大学時代に某局で海外スポーツのネタ拾いという仕事をしていた。
視聴者と縁の薄い分野である。それを普通のニュース番組に出さねばならない。
与えられる時間は1,2分。うっかりすると何十秒…。
となると使える言葉もせいぜい100字200字だ。
伝えられることが無いわけではない。
驚きのある映像、エピソードを見つけて、「一発ネタ」を出せればいい。
ただし試合結果を報じるのはちょっと厳しい。
ならば徹底的に「スター」を推す!
当時ならマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズだ。
この2人なら「普通の視聴者」も把握できる。
もちろん語るべきアスリートは無数にいる。
でも視聴者が知らない選手を話題にしても、何も伝わらない。
誰だって最初は「ライトなファン」だ。
一般人を捕まえないとスポーツ報道は先に進まない。
テレビにとって大事なのは「入口」を用意することだ。
その先は各自が現場に足を運ぶなり、ネットを見るなりすればいい。
そういう意味で「高校サッカー中継」は間違っていない。
私だって今ではこんなサッカーオタクだが、
最初は「ブームに浮かれた俄かファン」であった。
党首はテレビ局の隅っこで「スポーツニュースはニュースじゃない」と思った。
スポーツコーナーの時間を測ってみれば分かる。
野球やサッカーの試合・キャンプ、マラソン、卓球のトーナメント…。
これは全部「予期されたイベント」だ。
つまりいつ、どこで何が起こるか、何ヶ月も前から分かっている。
一週間も前から「どこに取材へ行く」「どれくらい時間を取る」と決まっている。
さすがに結果までは織り込まないが、誰を主役にするかは決まっている。
そうしないとTVのスポーツニュースは成立しない。
カメラはせいぜい十台しか動かせない。
記者なんて十人ちょっとの局があるんじゃないか?
「確実なネタ」に取材を絞らぬと時間が埋まらない。
プロ野球は試合ごとに分担して融通しあう仕組みがある。
だからテレビ局は自前で全試合を抑えている。
でもサッカーはチーム数が多いから、物理的にカバー不能だ。
人気が無いという以前の問題である。
映像はJリーグ中継などが撮っているが記者は出せない。
高校サッカーに割ける人員などいるはずがない!
アナウンサーは過剰なので変なところに足を運んでいたりするが…。
ローカル局は各地域をカバーしている。でも日本のテレビは極端に中央主権。
「地方発」が全国ネットに出ることはまずあり得ない。
テレビはその影響力に比して、貧弱な報道体制しか持っていない。
面白いネタを発掘するなんて無理な相談だ。
マンパワーは新聞の方がずっと恵まれている。
こうやって現状の説明は付く。論理的な帰結だ。
でもこれを擁護するのか?と問われれば断じて「ノー」だ。
放送局は極端に硬直的なカルチャーへ嵌っている。
「前例主義」「横並び主義」「事なかれ主義」だ。
その背景は免許制度だ。
チャンネル数が限られるから、広告は簡単に売れる。
社員の待遇はどんな業種よりも高い。
リスクを冒すインセンティブが全くない。
公務員と同じ状況だ。だから視聴者でなく「局内」を向くようになる。
マニュアル通りに番組を作れば、ほどほどの数字は出る。
でも製作者に実力はつかない。
「縮小再生産」に陥って緩やかな衰退が進む。
私は「戦略的な単純化」を許容する。
平均的な視聴者へ伝わるよう、過剰な情報を切り捨てることは必要だ。
でも今のテレビ局は「手抜きの単純化」じゃないかな?
現実を台本に取り入れるのでなく、台本に現実を合わせるような風土が見える。
分野は違うが「あるある捏造」はその典型だ。
番組を面白くするというより「手間を減らすため」の情報操作に思える。
スポーツの醍醐味は「台本から外れた瞬間」に尽きる。
そんな「驚き」を臨機応変にすくい上げるのがプロフェッショナルだ。
「何か起こらないかな?」と前向きに現場へ出る人と、
「何も無ければいいな」と取材に臨む人間は、仕事の質に違いが出る。
テレビ局のスタッフにそういう気概はあるのだろうか?
日本のテレビ局はスポーツを開拓できていない。
やり方によって、もっとずっと視聴者の時間を奪えるコンテンツである。
例えばアメリカの市場規模は数字の桁が違う。
NFLの放映権料は年間3千億円、4千億円という水準だ。
各メディアが競争して釣り上がったのだろう。
これだけの金額が「楽しみの対価」として発生している。
日本のスポーツ人、企業人は「海外から学ぶ」ことに熱心だ。
でもキー局はほとんど「鎖国」である…。
倉敷保雄さんが南米のサッカー中継を参考にしたという話を聞いたことがある。
テレビじゃないがエルゴラはガゼッタ・デル・スポルトをパクった(笑)
アナウンサーも、スタッフも、視野を広げればいいと思う。
もちろん真似しても、工夫しても、視聴者に受け入れられるとは限らない。
でもチャレンジをしない業界に進歩は無い。
「リスク」を冒さねばゴールは決まらない。
アメリカのスポーツを豊かにしたのは専門局、ローカル局だ。
供給の増加が先行することで、ニーズも発掘された。
日本はマスメディア挙げて、堅固な規制を維持しようと必死だ。
「供給を絞ればその分中身が濃くなる」という議論である。
私はこれに同意しない。
そもそも「公共性」とはテレビ局の中で自己完結するべきものでない。
電波が広く活用されることで自然と多様性が確保されればいい。
今ならチャンネル数は何倍も増やせる。ブロードバンドだって整備されている。
でもキー局はチャンネルを囲い込んでサボタージュしている…。
競争の欠如がこの国のスポーツ中継、そしてテレビを殺している。
頑張るんだスカパー!!希望は君だけである。
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