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http://www.yukan-fuji.com/archives/2007/02/post_8365.html
20日封切りの映画『それでもボクはやってない』(周防正行監督)が公開前から話題を集めている。
事件を題材にした本作は、無実の男が言い分さえ聞いてもらえず、ベルトコンベアに乗せられたように有罪へ導かれる日本の司法制度の病理を描き、観客も憤りを禁じ得ないだろう。本紙は、監督の映画づくりの契機となった冤罪当事者2人に生の声を聞いた。
【小泉知樹氏】
――出版したのは
「もちろん、自分が無実であることを訴えるためです。私はずっとウソをつくことは卑怯なことだという考え方で人生を送ってきたのに、こんな事件に巻き込まれ、非常に悔しい思いでいっぱい。そのことを特に自分の子供に伝えたかった。また、事件前は信頼していた司法に裏切られていく経緯も知って欲しいという思いからです」
――書名は刺激的だが
「私は一貫して真実を主張しているのですから、当然、相手がウソを言っていることになる」
――その“彼女”にも読んでほしい
「映画の宣伝も活発にされているし、私も実名で出版したわけですから、本人も当然、気付いていると思う。読めば、自分のやったことの愚かさが身に染みて分かるのではないか」
――本を読むと、痴漢行為そのものがあったのか疑わしい
「始まりは小さなウソだったと思う。例えば、学校に遅刻した言い訳から痴漢されたことにしよう、と。女としての虚栄心があるかもしれない。そんなウソを重ねていくうち、周囲を巻き込んで後戻りできなくなる。そこでウソを守るためなら、他人がどうなるかを考えない行動に出るんです。調べや公判の途中、彼女から『ごめんなさい。ウソでした』と言ってもらえると期待はしたのですけれど…。(彼女から)損害賠償請求はありません。珍しいことだそうです」
――逮捕後の司法制度は有罪へまっしぐらです
「警察や検察は聞く耳を持とうとしない。ならば、こちらで無実を証明しなくてはならないのに、保釈もしてもらえない。つまり制度が無罪証明を拒んでいる。裁判官も『疑わしきは罰せず』という姿勢は全くなく、最初から有罪と決めつけている。推定有罪のまま裁判が進行し、判決が下されてしまう。無実の人がいるかもしれないという考えがない」
――映画の感想は
「細かい描写までリアルでした。ただ、主人公は公判で感情をストレートにぶつける場面がありましたが、自分の場合、裁判官の心証を悪くしないようにとのアドバイスから、怒りの感情を圧し殺しました。映画を見て、自分の心の代弁をしてもらえた気がした」
――生活は
「会社は裁判中も支援してくれ、当初は有罪無罪にかかわらず復職を言ってもらえました。有罪確定して勾留直前、自己都合での退職とならざるを得ませんでしたが、対応には感謝しています。今は自営です」
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『彼女は嘘をついている』(文藝春秋、1600円)
平成12年5月、小泉氏は朝の通勤時の京急電車内で女子高生から「痴漢です」と手を掴まれる。女子高生の申し立ては、膣内に指を入れられたというもの。小泉氏は一貫して無実を主張するが、約5カ月勾留され、一審・二審とも「強制わいせつ罪」で懲役1年6カ月の実刑判決。最高裁への上告も棄却され、14年12月、有罪が確定、1年3カ月服役した。現在、再審請求を目指している。
【矢田部孝司氏】
――本を出したのは
「最終的に無罪確定しましたが、事件からはまったく得るものはなかった。忘れたい経験だが、忘れてはならないとも思う。他人に説明するのも大変です。それで本に残しました。もし私の経験に、なんらかの意味があるとすれば、他の人に、この種の問題に関心を持ってもらうということだろうと思います。被告人とされてしまえば絶対に一人では戦えない。私の場合も、弁護士や友人ら多くの支援者に支えられた。私も無罪確定後、同じように冤罪に苦しんでいる人のための手伝いをしてきましたが、本にまとめておくのも役に立つだろうと思った」
――映画の感想は
「さすが周防監督はリアルでした。登場人物の役作りは、刑事も検察官も裁判官も現実の雰囲気をよく伝えていました。収監が長引いた主人公の加瀬亮さんが、どんどん無表情になっていきます。本当にあの通り。情報遮断の中、誰も無実を信じてくれないことが分かると、ちょっとした笑顔もどのように受け取られるかと思うと、怖くてできない。私は92日間勾留されましたが、それ以上だったら精神的におかしくなっていたと思う」
――映画を見て、ベルトコンベアに乗せられたように有罪へ進んでいくことに憤りを感じた
「ただ、被害者を恨んではいないんです。むしろ彼女は、最初の痴漢被害に加えて、警察や検察が被疑者を犯人に仕立て上げようとウソにウソを重ねることに付き合わされるという2次被害さえ被ったと思っています。しかも、駅員も刑事も検察官も基本的には被害に遭った弱い女の子を助けようと、よかれと思ってやっている。“善意の悪意”とでも言うか…」
《共著者の妻、あつ子さん
「痴漢冤罪の怖さは今ではサラリーマンこそ知っているけれど、逆に女の子の方は軽く考えていると思う。人が裁かれることの重み、自分の言葉の重みを理解していない。日本では司法について“三審制である”程度しか教わらない。刑事訴訟法の手続きや事態がどう進むか誰も知らないんです。国は司法改革に取り組んでいますが、皆さんも日本の司法のヘンな点、裁判がおかしいという点に関心を持ってほしい。本はそうした側面を描いたつもりです」》
――冤罪はなくなるか
「今のままの司法制度なら無理と思う。でも、映画の影響は大きいと思うし、冤罪報道がされればされるほど、実際の痴漢犯罪も減るんじゃないか。そう期待したい」
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『お父さんはやってない』(太田出版、1600円)
平成12年12月、矢田部氏は朝の通勤時、西武新宿線高田馬場駅ホームで未成年女性に上着をつままれる。女性の申し立ては、露出した男性性器を手に擦りつけられたというもの。当初から無実を訴え続けたが、約3カ月間勾留され、一審は「強制わいせつ罪」で懲役1年2カ月の実刑判決。14年12月の二審判決は逆転無罪。検察の上告なく、無罪が確定した。
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痴漢冤罪事件に関して、「特に満員電車での痴漢は、第三者が客観的に実態を把握するのが難しい。仮に『この手よ』と掴んだケースでも、本当に “その手” なのか曖昧なことさえある」と捜査の難しさを指摘するのは、『日本の司法文化』の著書もある元検事で弁護士の佐々木知子氏。そして、「疑わしきは被告人の利益に―という原則が司法の現場でどこまで貫徹できているかという問題がある」と話す。
冤罪が起こるのは、
(1)女性が被害妄想だったり騒ぎを起こしたいからとウソをついている
(2)誰かがやったが、その人ではない場合
――の2通りが考えられる。
「当事者の供述しかないので、冤罪が起こりやすいとはいえ、パーセンテージとしては、そんなに多くはない。やはり警察も検察もよく捜査すべきだ。被害者の話を―疑うことも含めて―よく聞いて、客観的事実と合わないようだったら落とす(不起訴)ことも必要。特に検察官はよく見極めないといけない。この段階では嫌疑不十分で落として構わないが、起訴してしまえば、検察の公判部としては有罪をとるのが宿命になってしまう」
映画では、被疑者の主張が容れられず、有罪に突き進んでいく様子が描かれている。
こうした司法システムの背景を佐々木氏は、「日本の司法は独仏式の必罰主義といって、犯人は必ず償わなくてはならないという考えが主流。痴漢の場合、遺留物などから犯人にたどりつくわけでなく、最初から容疑者の身柄がある。しかも、容疑者の主張を裏付け捜査することは“犯人”を失うことであり、そこから真犯人の捜査・逮捕は無理。ただし、ここ数年は無罪判決がいくつか出ているから、無罪を嫌う検察も変わるかもしれない」と解説する。
映画だから作りごとなのだ―などと思うなかれ。司法関係者も、なにより冤罪当事者が「リアルだ」と声を揃える本作を見れば、司法界は実社会の一部ではなく、まったく別のパラレルワールドではないかと思わざるを得ない。
「推定無罪」「疑わしきは被告人の利益に」「保釈制度」などなど、学校教育で習ってきた司法の原則は現実には絵空事にすぎなかったことがよく分かる。
折しも、2年後の裁判員制度導入など“司法改革”が進められている。「めんどうくさい」などと対岸の火事視する向きもあるが、公開に合わせて出版された当事者の著作を合わせて読んで、私たち一人ひとりが司法を常識の側に取り戻さなければならない。
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【「それでもボクはやってない」20日公開】
それでもボクはやってない 就職面接に急ぐフリーター(加瀬亮)は、飛び乗った満員電車の扉に上着の裾を挟まれた。引き抜こうとゴソゴソしていたら、降車後、女子高生に腕を掴まれる。痴漢冤罪による長い勾留の始まりだった。元裁判官のベテラン弁護士(役所広司)と同僚の新人(瀬戸朝香)、そして母親(もたいまさこ)や親友(斎藤達雄)らが濡れ衣を晴らそうと奮戦するが…。
(2007.01.17紙面掲載)
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