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大衆紙の愚民化工作
藤原肇のマス・メディア辛口論評
藤原肇(国際政治コメンテーター)在カリフォルニア
外国に住む日本人の情報の源泉
住民や駐在員として米国に住む同胞に質問すれば、故国日本についての情報を知るメディアとして、筆頭に日本の新聞や雑誌をあげるのに続き、日本語テレビだという回答が一般的らしい。中には地域で発行されている邦字新聞や、NHKの短波放送を聞くと言う人もいるが、私の知る限りではそれは少数派に属すようだ。大部分の人は活字メディアの持つ威力と魅力のために、国際版を謳った日本の大新聞を購読して、それを読むのが毎日の習慣になり、補う形で雑誌を読むのが普通のようである。
その点で大新聞の影響力は海外でも絶大だが、国内で支配する三大新聞の朝日、毎日、読売の顔ぶれに代って、海外市場で脱落した毎日の位置に日経が入り、部数の面では読売、朝日、日経の順になっている。毎日新聞が海外進出から脱落した理由は、経営不振による事業の縮小路線のために、国内の販路を維持するだけで精一杯だからであり、悪戦苦闘する毎日の姿はある意味で心痛事である。これは積極的に社会不正を告発し続け、多くのスキャンダルを告発した社会部に反発し、財界が広告を差し止めて兵糧攻めにしたのと、長年続いた経営陣のお家騒動の影響で、経営がガタガタになった結果だと言われる。
読売の戦後史を『梁山泊の記者たち』という風雲録にまとめ、[鉛筆ヤクザ]の鎮魂歌を残した三田和男記者は、[私の読売時代、毎日新聞では親分子分の派閥がスゴくて、部長が異動すると、部員の半分が異動したという「伝説」があったものだ]と証言しているが、毎日はこうして派閥争いで自滅してしまったのである。
アメリカを舞台にした三大紙の勢力分布
日本人が多く住むニューヨーク近郊の住宅地で、ある機関が個別的に調査した例によると、国際版の各新聞の購読者の比率を較べたら、読売80%、朝日10%、日経3%という数字が出たという。住民の多くがニューヨークで働く駐在員で、その過半数が中流のサラリーマンだとしても、この読売の突出した数字は目を見張るものがある。
そこで、この数字の意味を邦字新聞の編集長に尋ねたら、それは読売のダンピング戦術の結果であり、他紙の半値ちかくだから仕方ないとの答えだった。ついでに知人のジャーナリストに同じ質問をしたら、朝日と日経は会社で講読しているから、個人でとる人が少なくても当然であり、こんな住宅地で調査は余り意味がないという。それと似た意見は親しいビジネスマンにも多く、ロスやシカゴでも似たような意見を耳にして、成程と納得した記憶が私にはある。また、ある大手商社の副社長の意見は突飛であり、「駐在員は月給では中流の上かも知れないが、問題意識や社会的関心では中流の下だから、中味は問わないから読売で十分満足なのでしょう。日本に帰ればスポーツ紙かマンガ週刊誌だから、たとえ読売でも新聞をとるだけましと考えるべきです」と言い放ったのが印象的だった。
発行部数では1,000万部を越す読売は日本一であり、850万部の朝日に大きな差をつけているが、一般に読売の読者は下層サラリーマンを始め、職人や水商売に従事する人が圧倒的だ。それは『平成幕末のダイアグノシス』(東明社刊)の第一章で、読売新聞の歴史について総括した記事において、[インテリが書いてヤクザが売る制度]や[シェアー争いとダンピング作戦]で論じたように、読売が持って生まれた体質と宿命でもある。
だから、かつては教養のある日本人は読売新聞を読んだり、読んでいることを知られるのを恥じるだけの心情を持っていた。現にこの傾向は国内に未だ残っているようであり、国立大学の教授の80%が朝日で18%が読売、官僚の課長以上では朝日が75%で読売が25%、また、上場企業の総務部長の55%が朝日で読売が30%という具合に、どんな人がどの新聞を読むかを統計は正直に示している。
全米を舞台にした販売競争
それにしても読売の安値攻勢は目立っており、アメリカ各地で出版されている日本人向けの出版物に、『経済的でお得な購読料金』という文句を強調して、[他邦字衛星紙との年間購読料金比較]を謳う棒グラフを並べ、いかに読売が安いかを大いに宣伝している。
月間の購読料金がどれだけ違うかを比べれば、三紙の中で一番高い日経は90ドルであり、次の朝日が80ドルであるのに対して、読売は57ドルの安値を売り物にしている。再販制度があって価格統制が支配する日本と違い、アメリカでは真の自由競争が機能しているので、新聞はコストに見合った好きな価格をつけられる。だから、内容と格がつり合っていると考える限り、付いている定価に関して他人が文句をいう筋はなく、それが自由経済の基本のように思えるが、果たしてこの見解は鵜呑み出来るものだろうか。
それというのは問題が情報の質に関わっており、しかも、一見すると尤もらしく見える経済原理が、より大きな枠組みで捉えるとダンピングと結びつき、決して経済原則に従っていないことが明白だからである。
私の読者には読売の記者やOBがかなりいて、『平成幕末のダイアグノシス』で読売の裏面史を書いた時に、彼らは多くの重要な内部情報を提供してくれた。そして、今でも親しくつきあっている人も多いが、彼らの証言では読売の海外販売は大赤字であり、安売りは超ダンピングに支えられているという。超ダンピングをやっていくカラクリの秘密は、連結決算をうまく利用するところにあり、アメリカで幾ら安売りをして損失を出しても、赤字はすべて日本の本社がかぶるので、現地は販売会社の役割を演じることに徹し、部数を伸ばすことだけを考えればいいそうである。
また、アメリカや欧州で大幅なダンピングまでして、読者を獲得する戦法を読売が採用している背景には、警察の情報部がまとめた心理分析があるという。ほとんどの日本人の読者が駐在員であり、海外生活の平均は3年くらいなものだし、その後は帰国して日本で読者になる予備軍である。しかも、たとえ主人が会社で朝日や日経を読んでも、主婦や家族が読売の記事を連日読んでくれれば、帰国して自宅で購読する新聞は必ず読売になる。
新聞は麻薬に似て習慣性を持つメディアだから、アメリカに住む間に読売の論調に慣れてしまえば、朝日や日経を読む能力を喪失してしまうので、将来の読者を耕す上での効果が大きい。そのためにダンピングの損失を上回る投資になり、ここに戦略としての有効性が潜んでいるらしいが、それが「悪貨が良貨を駆逐する」愚民政策に繋がるなら、この商業主義は亡国路線に繋がるのではないか。
日本でテスト済みのダンピング作戦
読売の大阪進出の時の殴り込み作戦については、拙書の第1章の記事に手口を紹介してある。ほとんどタダでばら撒いて他社の顧客を奪い、販路を拡大したことは有名な史実だし、ヤクザや暴力団まで勧誘員に動員している。また、これも広く知れ渡った拡張路線だが、実際の販売部数が1,000部の店に対して、1,200部を報告させて代金を支払わせ、その差額を折り込み広告の手数料で埋めるなど、読売はだいぶアコギな増紙作戦を展開している。これは創価学会が機関紙の聖教新聞を使って、会員に水増し購読を強制したのと同じ手口だが、信仰集団ではない民間新聞が似たやり方を使い、系列の販売店から搾取するのだから恐ろしい。そのために、この「販売部数の絶対確保」を至上命令にして、販売店に部数の押しつけを強要する手口の悪辣さに対し、販売店主の告発や反発が増えているという。
一般に販売店への押しつけはどの新聞でもあり、比較的少ない日経で5%だといわれており、朝日の場合は7%だと業界筋はいうが、読売ではそれが15%台になるらしい。この数字を信用して計算してみれば、公称1,000万部という販売部数のうちで、150万部ちかくが幽霊部数ということになり、[サバ読み売り]という陰口の背景にあるものが、なるほどと思えるのも面白いではないか。
なぜ読売がガムシャラに朝日に挑みかかり、日本一の発行部数を追い続けるのかという、その理由の筆頭にいつもあげられる俗説がある。それは現社長の渡辺恒雄が朝日に入りたかったのに、どうしても入れなかったという怨念が、アンチ朝日の深層心理になって燻り続け、その意趣返しという説は割り引いて聞くべきだろう。
しかし、それ以上に重要な意味を持つのは、朝日と読売では広告の内容が大違いであり、発行部数が倍になっても広告収入で差がつき、依然として読売は格の点で遥かに劣る点がある。朝日の広告は書籍、不動産、自動車、デパートなどが主体だが、読売は映画宣伝とかコックやホステス募集が得意で、垢ぬけしない点は衆目の認めるところだ。私の読者で博報堂の首脳部に連なる人の話では、1億円のマンションの広告を出すときに、読売ではそんな物件を買える読者はいないから、費用対効果を現実に考える者にとっては、議論以前の当たり前の営業路線であり、これは読売にとって泣くに泣けない辛い点だろう。
商業紙としてジャーナリズムで勝負する限りでは、読売の持つ限界で行き詰まらざるを得ないから、脱却の試みが販路拡大になるのかも知れないが、そのために日本の運命が道連れにされるのではたまらない。しかし、拡大路線の行き着くところはバブル化であり、膨れ始めた泡は自己増殖を繰り返し、最後には破綻の中で炸裂することについては、歴史の教訓が多くを教えているだけに不吉である。
読売 梁山泊の伝統とナベツネ体制の確立
警察とヤクザを基盤に発展した読売の歴史は、中興の祖である正力松太郎が警察官僚であり、[民間にあって世論を指導する機関、御用新聞として焼き打ちを食ったりしないマスコミ、その価値を見抜いていたものこそ、後藤、正力らの内務・警察高級官僚だった]と征矢野仁が『読売新聞・日本テレビグループの研究』(汐文社刊)に書くように、読売は新聞社の姿を装う警察の情報機関であった。だから、戦後になると正力の女婿の内務官僚で、警務に詳しい小林与三次がバトンを引き継ぎ、新聞とテレビを結ぶメディア王国を築いている。そして、販売戦略で大きな功績を残した務台光雄に続き、裏の世界に詳しい渡辺恒雄が社長になり、部長以上に[忠誠契約書]を提出させた独裁制を敷き、日本最大の新聞というステータスの確立によって、新しい装いに塗り替えて再出発したのである。
既に中曽根政権時代に非常に顕著になったが、時の政治権力に追従して世論の誘導を行い、政府の広報紙に似た機能を演じただけでなく、積極的に世論を動かすことまで試みている。しかも、最近では[改憲]試案を紙面に発表して、極右派閥の機関紙の役割を果たすほどになったように警察予備隊として始まった日陰者の自衛隊が、軍隊に脱皮して認知されるという警察官僚の夢を、読売は率先して描き上げるに至ったのである。
その原動力はナベツネの仇名を持つ渡辺社長であり、転向左翼でハイエナの嗅覚を持つ渡辺恒雄の人生航路は、『政界影の仕掛け人』(角川文庫)に大下英治が書いたように、自己中心主義者の権力志向の歩みだった。政治部の渡辺記者は大野番として出発したが、大野伴睦や児玉誉士夫に密着して子分役を務め、暴力団の東声会のクラブの運営委員に連なったり、ロッキード事件の前にワシントン特派員として、児玉の対米窓口を果たしたとも噂された。また、児玉が乗っ取った出版社の弘文堂では、若き日の中曽根と共同経営者に名を連ね、その時の株主仲間には児玉や中曽根の他に、大橋富重、萩原吉太郎、永田雅一、久保満沙雄のような、戦後の疑獄史の裏面に出没した政商たちが、読売の現役記者だった渡辺と共に名を連ねている。
こうして築いた資金と暗黒人脈を背景にして、ダーティーな疑惑もものともせずに、読売に堅固な砦を確立したナベツネは、最後には中曽根康弘の刎頸の友として策動し、中曽根に天下を取らせてヤクザ政治の実現を果たした。その辺の具体的なことは『平成幕末のダイアグノシス』の中に、『日本列島を制覇したヤクザ政治とカジノ経済の病理』や『カジノ経済と亡国現象を生んだ'日本のサンクチュアリー』として詳述したので、そちらを参照して貰うことにしたい。いずれにしても、駆け出し記者の時代から札ビラを切ったナベツネは、表と裏の世界のドンの両方に繋がった、知的フィクサーとして記者仲間では有名で、そんな人物が日本最大の新聞を支配しているのである。
地球儀の中で読売路線の役割を読む
読売が中曽根政治の応援団の役割を果たし、ヤクザ政治を熱心に煽ったことは有名だが、キッシンジャー路線の宣伝部隊を演じながら、原発推進と軍拡キャンペーンに熱を入れ、それの集約が改憲工作だったことも衆知の事実だ。そして、読売がスポンサー役でキッシンジヤーの世界戦略を取り上げ、日本の役割を明らかにしたかに見えるものが、実は新世界秩序の枠の中に組み込まれて、人質の役割を日本は国を挙げて推進したのである。その典型が中曽根が私的参謀本部として企画し、竹下が国家の便宜提供を約束した世界平和研究所だが、これは『平成幕末のダイアグノシス』の最終章で論じた、ロンドンの国際戦略研究所の日本版であり、キッシンジャーの世界戦略の橋渡堡作りに他ならなかった。
ユダヤ難民としてアメリカに渡ったキッシンジャーは、出世街道を驀進してロックフェラーに食い込み、現在の世界政治を操る仕掛け人になった。そして、ロックフェラーとロスチャイルドの利害を調整しながら、新秩序の構築のための工作を続けている。また、「ユダヤ坊やの運転手」と呼ばれたキッシンジャーが、米陸軍参謀総長顧問になったクレマー博士に見出され、米国の体制の執事の地位を手にした話は、ドラッカーの『傍観者の時代』(ダイヤモンド社刊)が活写しており、その小間使い役をしたのが中曽根や渡辺だった。
[パンとサーカス]という形容はローマ時代のものであり、帝国の衰亡を決定づけた愚民政策を象徴するものだが、グルメとスポーツを商業主義で飾り立てれば、それは現代日本のマスメディアを体現して、読売グループの路線とピッタリ重なり合う。そして、歴史的な偽書であることを十分に承知した上で、『シオンの議定書』の章句と比較してみれば、 [われわれ自身は新聞の背後に身を隠し、われらの勢力を伸長させた(No.2)]、[われわれの出版物は、われらの方向に世論を形成するためのもので、値段を安くするので飛ぶように売れる(No.12)]、[われわれの新聞で芸能やスポーツがもてはやされ、やがてクイズも現れるだろう。これらの娯楽はわれわれと政治闘争する関心を、すっかり方向転換させてしまい、人々は独立して思考する能力を次第に失う(No.13)]などの意味するものが、如何に恐ろしい内容を持つか理解できるようになる。
ダンピング路線の背後に陰謀が介在すれば、質を軽視した安易な情報を選択することは、頭脳を人質にして思考力を投げ出す危険を犯すに等しい。だから、価格破壊の時代性の中でモノの値段が幾らか下がっても、人間にとって最大の価値である思考能力の保持のために、情報のバーゲン漁りだけは厳禁である。こう考えながら世紀末の社会情勢を見渡せば、情報時代と呼ばれる現代が秘める危険な陥穽の多さに、思わず肌寒さを感じて身震いしてしまう。なにしろ、デイスインフォメーションは洪水状態だし、心地好い愚民政策用の甘言は至る所に氾濫し、しかも、デフレ効果の威力は増すばかりである。
年頭にあたって思い起こすのは古人の言葉であり、[ことごとく書を信ずれば、すなわち書なきにしかず]とか[学んで思わざれば、すなわち暗し]という教訓は、新聞購読にピッタリの心構えではないか。だから、どんな情報にも無批判な姿勢で臨まずに、他人の意見や思想を自力で選択して咀嚼し、自分流の思想や意見を確立したいものだと思う。
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