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戦争という仕事(日暮れて途遠し)
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投稿者 天木ファン 日時 2007 年 1 月 17 日 22:39:07: 2nLReFHhGZ7P6
 

朝日新聞の書評で目に付いたものを切り抜いておいたのですが、著者の内山節(うちやま たかし)氏に見覚えがあり、調べたらやはり以前に森田実氏のHPで紹介されていた「『里』という思想」の著者でした。読もうと思っていてまだ読めていなかった内の一冊でした。

戦争という仕事 内山節 著(50年生まれ、哲学者、立教大大学院特任教授)
信濃毎日新聞社1890円

評:高橋伸彰(立命館大学教授)

2006.11.19朝日新聞書評

「すべて破壊」は市場競争にも共通

ライバルを倒し、勝者が市場という「占領地を拡大」する企業競争は「戦争」に似ている。本当の戦争とは違い、市場での競争なら歓迎する人は多い。自由な競争を通して商品価格は下がり、新しい技術が開発され、消費者の利益が高まるのは望ましいと考えられているからだ。
ところがこの結果、かつては「自然や環境、地域」などに配慮しながら行われてきた仕事は、今や自分が所属する組織の命令や方針に従うだけの仕事に変わり、「社会にどんな影響を与えるのかについて深く考えることもなく」遂行されるようになっているのではないか。著者は「現代の労働のなかに、戦争という仕事と共通する何かがある」という。
1年の半分近くを群馬県の山村で暮らし、自ら農業を営みながら思索を続ける著者は、「現代の戦争を人間たちの寒々とした仕事のひとつとしてとらえたとき、そこから何がみえてくるの」だろうかと自問する。
現代の戦争が「敵」の社会のすべてを破壊するように、市場競争における勝利を目的とした現代の労働も、進出先の社会が持っていた「伝統的な関係の世界」を市場の力で解体してしまう恐れがある。
「グローバル化する経済が世界をこわしていく姿」を見すごし、「お金さえあれば大半のことば解決できる」便利な市場システムに浸かっていると、「人間も社会も蝕まれるように頽廃していく」。
大切なのは労働を単なる収入の手段とするのではなく、自分の仕事にこだわりを持ち、生きがいをみつけることだ。著者は、「自然と人間が助け合うように働いていた過去」に戻れと勧めているのではない。現実しか見ずに、「過去から学ぶことを忘れたら…未来への想像力も失う」と忠告しているのだ。
かつて戦争の抑止力として期待された「近代国家、近代社会」が実現しえなかった「戦争のない社会」を、私たちが仕事のあり方を変えることによって創造できるなら、お金や便利さを捨てても挑戦してみる価値があるのかもしれない。

------森田実の時代を斬る------
2005.11.29(その1)
2005年森田実政治日誌[472]
いま「哲学」を考えるべきとき/「転換期の苦しさ」/『「里」という思想』(内山節著、新潮選書)に学ぶ

「歴史の何かが終ろうとしている。その『何か』の正体は明らかではない。はっきりしているのは、それが根源的な何かだ、ということだ。自分が身を置いてきた根源的なもの。それが崩れていく。この現実が、私たちに、自分の存在に対する厭(あ)きを感じさせる」(内山節=立教大学教授、哲学専攻、『「里」という思想』「はじめに」より引用)

  定年退職後、山に籠もった友人I氏が久しぶりに訪ねてきた。現役時代は大変すぐれた政治記者だった。探求心旺盛な記者だった。勘もよかった。普通の記者なら見送ってしまうような問題も見逃さなかった。驚くほど深い人脈をつくり、皆から信頼されていた。ある時期、10年ほど前のことだが、彼は現場の勤務から地味な仕事に移った。「移った」というより移されたのだろう。I氏を支える社の体制が崩れたことが原因のようだった。
 この頃からマスコミは変質した。優秀な記者が十分に働くことができなくなったマスコミ、凡庸だが上役のご機嫌取りだけが上手い、パフォーマンス記者ばかりが目立つようになったマスコミ。ミーイズムに染まった記者ばかりのマスコミ。そして、ついに小泉政権になって、マスコミは、政治権力の「犬」になってしまった。
 I氏が山に入ってから半年以上が過ぎた。「あの優秀な男はいまごろ何を考えているのか?一度、彼の山小屋に訪ねてみようか」と思っていたとき、I氏のほうから電話があり、11月27日に久しぶりにあった。I氏は1冊の本を私に贈ってくれた。それが内山節著『「里」という思想』(新潮選書、2005年9月20日刊)である。
 「ぼくが山に入った考えと同じことがこの本に書かれています。読んでください」
 I氏とはお互いの近況について話し合った。この間I氏は「哲学」研究を行っていた。I氏がただ者でないことを改めて感じた。

 話を本筋に戻す。内山節氏はわれわれに向かって、同時に自分自身に問いかける。
 《経済が発展したからこそ、私たちはただの消費者になり、雇用されなければ生きていけない人間になった。市民が生まれ、人間が個人になったからこそ、私たちは自分の居心地のよさにしか関心を示さなくなり、連帯や関係性を失った。そして民主主義の定着が、衆愚政治やデマゴーグの政治を成立させる。自由という理念が、今では「自由を守り、ひろげるための戦争」を生み出す。
 私たちが呼吸しているのは、こんな時代である。とすると、この状況のなかで、哲学は何をしなければならないのか。》(「はじめに」より)

 内山氏は「世界のアメリカ化として進行するグローバル化する世界とそれに対する抵抗」を概観した上で、こう述べる。
 《私たちは、歴史、あるいは歴史性を回復しなければならないのかもしれない。》《おそらく歴史性の回復とは、それを可能にする場所をもたなければ実現しないだろう。過去の自然の営みがみえる場所。過去の人たちの営みがみえる場所。その場所が、歴史を現在のなかで再生させる。
 とすると、このような場所を国土と呼んでもよいし、「里」と呼んでもよい。》
 そして、著者は、本書の目的を、次のように述べる。
 《世界に普遍性を求めるのではなく、それぞれの自然があり、歴史があり、関係性があるローカルな世界から思想を組み立てなおす。あるいは、多元的な認識と多元的な世界像をつくりなおす。それを経由しないかぎり、私たちは普遍的世界のなかの無力な個でいるしかない。
 私たちは、自分が存在する「里」をもち、その「里」からすべてを組み立てなおす必要があるのである。「里」というローカルな世界から、である。ここから、「近代」を解消させるリアリズムを手にすることはできないか。》
 《「里」とは村を意味していない。それは自分が還っていきたい場所、あるいは自分の存在の確かさがみつけられる場所である。》
 本書は、生きるべき目標を見失い「日本の米国化」という愚劣な道に向かって暴走している小泉政治に浮かれてきた日本国民に、根元的な反省を迫るすぐれた著書である。
 本書が全国民に読まれ、本書の問題意識が全国民のものになったとき、ブッシュ・小泉の乱暴な政治は日本から消えていくだろう。国民必読の書として推薦したい。 

http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/f071f7e4c06b5da88eeab96fb91f21ac

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